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沿革
明治33年5月14日軌道敷設免許取得
明治33年11月20日浅野熊沢硫黄鉱山の専用線として開業
明治35年浅野熊沢硫黄鉱山閉山
明治41年5月31日浅野製材株式会社創立、軌道譲受
大正8年9月北秋木材株式会社に改称
昭和3年〜5年軌道を秋田営林局に売却
平成2年5月株式会社北秋に改称し、現在に至る

東京の実業家、浅野総一郎が経営する熊沢硫黄鉱山から産出される硫黄を運搬するために軌道を敷設したのが始まりです。同鉱山は、ほどなくして閉山となり、軌道も撤去される予定でしたが、同鉱山に従事していた緑川賢策氏が、豊富な天然秋田杉の運搬に同軌道を活用せんと浅野製材を設立し、林用軌道として再生させました。 その後会社は増資や新工場の建設などを行って拡大し、軌道も沿線住民の貴重な交通手段としても活躍していましたが、大正末期に工場が度重なる火災に遭うなどして会社は衰退、工場機能を大館町に集約するために扇田工場は閉鎖となり、軌道も運命をともにすることとなりました。 ところが、軌道の重大な価値を認めていた秋田営林局がこれを買収、昭和3年から5年にかけて路盤改良や一部ルート変更などを行い、扇田営林署の所管となったのです。(→秋田営林局扇田営林署扇田線

路線概要

種別:軌道(貨物)
開業時営業キロ:17.9km
線路規格:非電化単線 610mm
動力:蒸気(H. K. ポーター社製蒸気機関車)
区間:工場−大谷

廃線跡


浅野製材があった場所で、専用線の起点です。

現在も製材所の敷地となっていますが、当時の会社とは関係がないようです。

花輪線との分岐点付近です。

軌道跡らしく緩やかな弧を描いているのがわかります。

この先にある「営林署踏切」付近で花輪線と平面交差していました。

▲TOP2010/5/2撮影
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