青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2009年7月>

(773) 駒込獅子踊り その6
(774) 駒込獅子踊り その7
(775) 駒込獅子踊り その8
(776) 駒込獅子踊り その9
(777) 駒込獅子踊り その10
(778) 駒込獅子踊り その11
(779) 駒込獅子踊り その12
(780) 駒込獅子踊り その13
 
(773) 駒込獅子踊り その6 2009年 7月 4日(土)
 【駒込獅子踊り その6】


 今回は、踊りの内容について、高坂昊一保存会長が詳しく説明してくださいます。



 駒込の獅子踊りは、異国西国をまわり、わが国にたどりついたが、気候風土の良い、住みよい安住の地を求め山に入る出発の場面、「門入りの踊り」から始まります。
 希望の山に入ったが、川や谷があり、また敵がいないかを入念に調べ、幾多の困難を乗り越え、ついに理想を実現するという縁起のよい内容になっており、踊りの構成としては、「追い込み踊り」「山跳ね踊り」「山掛け踊り」「山担ぎ踊り」「松山踊り」と続き、「女獅子争いの踊り」で一つのクライマックスを迎え、「和楽(わらく)踊り」を経て、「暇乞(いとまご)い踊り」で終わります。
 そのほか、地固踊り、機織(はたおり)踊りがあり、地固踊りは、単独で新築の家などで踊られます。


 ところで、この踊り方も時代とともに少しずつかわってきたようですね。我々の大先輩がいろいろと昔のことを教えてくれたものですが、それによると、昔は獅子頭を、激しく振りまわすことが「上手な獅子踊り」だと言われた時代もあったそうです。
 首が折れるぐらいに獅子頭を振りまわすわけですが、かつての獅子頭は今と違って作りも雑で重いので、首を激しく振るというのはたいへんなことだったと思いますよ。相当の訓練が必要だったと思われます。

 また、駒込の獅子は腹に太鼓をつけないのですが、もともとはついていたようですね。
 なぜかというと、振り付けの中に、腹についている太鼓を叩くようなしぐさが残っているんですよ。ですから、かつては太鼓が腹にあったんでしょうね。ただ、うちの獅子踊りは、地をはう動作が多いでしょう。腹に太鼓がついていたのでは邪魔ですからね。それで、はずされ、消えたのではないかとみられています。ただ、最近、もう一回、腹につける太鼓だけでも買ってみようかという意見も出ています。


 このように踊りは時代とともに変わっています。昔の踊りはこうだといわれても、私としては、それが本当に昔の踊りかどうかは疑わしいですね。
 かなり昔は形が違っていたと思いますよ。我々の保存会は、獅子踊りの研究会でもありますので、踊っている中で、もう少し、こうした方がいいのではという意見も出ます。そして、その意見を取り入れ、踊りを時代の流れに合わせ、今も少しずつ変えているわけです。踊りは絶えず、時代とともに進化しているのです。


 [2年女子生徒の声]

 初めて獅子踊りを見たとき、何百年も続いている踊りを自分が見ているんだなあと思い、とても感動しました。今は、自分がその踊りをやっています。そして囃子もやっています。伝統芸能というと固い感じがするけれど、そんな感じはなく、身近にあり、誰でも楽しめるものだと思っています。
 私が思う獅子踊りの楽しいところは2つあります。
 1つ目は、仲間と一緒に合わせて踊り、どんどん踊りを覚えていくことです。難しい踊りでも、みんなで踊れたときはとても達成感があります。体力が必要なので大変ですが、終わったときはとてもうれしいです。
 2つ目は、指導してくれる人がとても親切で、獅子踊りを楽しくしてくれることです。これからも新しい踊りを覚えたり、囃子を覚えて楽しんでいきたいと思います。

 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(774) 駒込獅子踊り その7 2009年 7月 8日(水)
 【駒込獅子踊り その7】


 今回は、津軽藩のおかかえ御用獅子であった弘前市松森町の獅子舞(獅子踊り)との関係について、高坂昊一保存会長が語られます。


 「女獅子隠し」の演目では、普通、どこの獅子でも、恋愛格闘で雄獅子同士がケンカをして女獅子を争いますでしょう。駒込の場合は、ここにサルも加わって、サルも女獅子を隠したりするんです。
 私は、かつて駒込の獅子が村まわりをしたときに、おもしろおかしく見せようとして、正式な踊りを崩してしまったために、こんな“変な”形になってしまったのかと、他所とは違う「女獅子隠し」の踊りの形式に疑問を持っていたんです。
 それであるとき、図書館に行きましてね、獅子踊りの資料を見ていたところ、弘前市の松森町の獅子踊りについて書かれた文献を見つけました。そうしたら「オガシコは老猿で、女獅子隠しの際、獅子の遊戯の邪魔をする」という文面があったんですよ。
 松森町の獅子踊りも、駒込と同じように女獅子隠しにサルが加わるんですね。この文を見たとき、我々駒込の獅子踊りのスタイルは間違いない正規のものなんだ。このままでやっていけばいいんだと自信を持ちましたよ。図書館でこのことを偶然見つけたんですが、「あー、うちと同じだ!」と思いましてね。本当に感動しましたよ。

 こうした一件からもわかるように、駒込の獅子踊りは弘前市の松森町の獅子の流れを汲んでいるように思います。
 実際、駒込の獅子踊りでは、「街道渡り」、通称「流し踊り」は「松森踊り」とも呼んでいるんです。
 平賀の大光寺(だいこうじ)の獅子踊りの書き物によると、大光寺の獅子踊りは松森町の獅子踊りの伝統を最も正しく伝えているものということになっていますが、その大光寺の囃子と、うちの駒込の獅子踊りの囃子は、ほとんど同じなんです。
 駒込の村の誰かが習ってきたのか、あるいは松森町の関係者が駒込に獅子を持ち込んだのか判然としませんが、私としては、松森町の獅子の流れを駒込の獅子踊りは少しもらっているのではないかと思っています。歌い手も5〜6人で唄うとあり、うちとかなり形態が似ているんです。


 [3年男子生徒の声]

 とても楽しそうと思って獅子踊りをやってみた。はじめのころは動きがよくわからなかった。しかし何回も練習しているうちに、とても簡単な感じがしてきて、だんだん楽しくなってきた。
 公民館で、たくさんの人の前で実際に踊ってみたが、何回も間違えたり、動作を忘れたりもした。だけど踊り終わった後、「とてもすごいね」「かっこいいよ」と見てくれた方にほめてもらい、とても気持ちがよかった。まだまだ完成ではないので、もっと練習をがんばっていきたいと思う。

 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(775) 駒込獅子踊り その8 2009年 7月12日(日)
 【駒込獅子踊り その8】

 今回は、不思議な歌詞を持つ駒込獅子踊りの唄について、高坂昊一保存会長が語られます。



 駒込の獅子踊りで唄われる歌詞は次のようになっています。




(1)この獅子は、生まれて落ちれば 頭(かしら)振る


(2)この獅子は 異国西国(いこくさいこく) まわって通る するがの麓(ふもと)に 立ち寄れ


(3)富士の山 取って担ぐは 富士の山 取って担ぐは 富士の山


(4)富士の山 取って担(かず)だる 富士の山 三度まわって 拝んで 納めろ


(5)松山の 松サ からまる つたの葉よ 縁(えん)でなければ サーラリ ほごえろ


(6)キリギリス 一つはねなが キリギリス ちんで はねなが 藍(あい)の 機織(はたおり)


(7)女獅子ごーよ 七つ八つから育てた 女獅子ごーよ ここのお庭に 隠(かぐ)し 供えろ



 この獅子の唄の7番目ですが、他所の獅子は、ここが「13から」となっているんです。うちの唄は「七つ八つ」なんです。
 なんで13かというと、十三湊の「13」から出たという人もいますが、よくわかっていません。ただ、日本文化芸能の本をずっと見ていったら、福島県の獅子踊りの中に、我々と同じ「七つ八つ」という歌詞が出てきて、びっくりしました。
 また、2番目にあるように、うちの獅子は「異国西国をまわってきた」とあります。
 静岡県の駿河が歌詞の中に出てきて、富士山まで出てくるんですね。
 普通はこの部分は「四国西国」とか「四国八十八ヶ所」と唄われることが多いのですが、うちは不思議なことに「異国西国」なんです。
 他所の獅子踊りのように「四国西国」にしようという声もあったのですが、うちはうちの独自性を示そうということで、今も「異国西国」の歌詞でうたっています。


 実は、駒込の獅子踊りには、古い巻物が残っておりまして、駒込獅子踊りのいろいろな唄の歌詞が記されているんです。この巻物が書かれたのが明治41年。誰が書いたのかよくわかっていません。

 その巻物ですが、まったくの当て字で書かれており、文章も少し変なのですけど、巻物の歌詞を見ると「ゑ句く 三永くく」となっており、「ゑ句く」は「異国」の発音と考えられ、明らかに「四国」の発音ではありません。
 また、巻物には「するがに立ち寄る」と、これまた当て字ですが記されており、歌詞の中に出てくる駿河や富士山が何を意味するのか。なにか、その地とうちの獅子踊りが関係あるのか。聞きたいところですよ。


 獅子の巻物からすると、もっともっと唄い踊らねばならないんですが、現在は省略されて、短い形で唄われ、踊っています。

 先ほども述べましたが、巻物は当て字で書かれており、文章も変なところがあるので、漢字だけからは意味がとれませんし、駒込の獅子踊りの基本的知識がないと解読できないものとなっています。

 ただ、一生懸命解読した結果、現在は、7割程度意味がわかっています。
 内容は踊りのことが主です。
 歌詞についても様々触れられています。春の御神酒上げのこともあるし、墓踊りのこともあるし、地固めについても書かれています。
 門をほめる唄とか、同じことを繰り返して書いているところもあるなど、構成も少し乱れていますが、かつての駒込獅子踊りのことを知るための貴重な資料になっています。



 [3年女子生徒の声]

 獅子踊りとはじめて出会ったのは中1の「日露交流会」でのことだったと思います。ロシアの方々に披露されたものだったと思います。うわぁ、かっこいい。でも、少し物足りない。これが第一印象でした。
 中3になって、選択教科の中の一つに獅子踊りがあったので、なんとなく選びました。しかし、実際に踊ってみると、ステップは難しいし、激しく踊るところもあるしで、初めて見たあの獅子踊りよりも難しい技もあるということがわかりました。
 8月15日、私たちは駒込町会の人たちとともに、町会内をまわって歩きました。楽器の演奏もやらせていただきました。夜には踊った人もいました。
 9月12日。団地での敬老会で獅子踊りをおどることになり、市民センターに集合しました。私は初めて人前で踊ることになるので、とてもワクワクしていました。おじいちゃんとおばあちゃんが「頑張れ」と言ってくれたので思いっきり踊ることができました。拍手をもらい、「すごかったよ」「もう一度見たいなあ」と言ってもらえました。うれしかったです。これからもこんな楽しい出会いがあるならば、もっと続けていきたいなと思います。

 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(776) 駒込獅子踊り その9 2009年 7月16日(木)
 【駒込獅子踊り その9】


 前回も触れた、伝承されている巻物について、高坂昊一保存会長がさらに詳しく語ってくださいます。



 少し巻物の内容をご紹介しましょうか。
 例えば、今は踊られなくなった「墓踊り」については「長き草は鎌で刈り、短き草は鍬で削り」など、歌詞のような、踊りの説明のような記され方をしています。
 また、弘法大師も出てきます。巻物では「小保大永新」と当て字になっていますけど。弘法大師(空海)といえば、日本に本格的な密教を持ち込んだ師として知られていますが、この弘法大師に由来するマントラ(真言)なのかどうかわかりませんが、巻物にはこれを3回唱えよと、「サマンタ バンサラタ」というお経のようなものも記されています。3回唱えると阿弥陀仏(巻物では安美多佛)がどうのこうのという内容になっているので、なんか宗教的な功徳でもあるのでしょうか。
 こういった感じで、唄の歌詞なのか、踊りの説明なのかよくわからないような書き方でいろいろと記されています。しかし詳しい踊りの手順までは書いていないんですね。
 伝承によると、この巻物の他に踊りのだいたいの様子を描いた「絵巻物」があったそうです。しかし、昭和36年にこの辺に大火があって、そのときその絵巻物を他所の家に貸していたそうなのですが、その家が焼けてしまったために消失してしまいました。この巻物だけが、運良く残されたのだそうです。


 [3年女子生徒の声]

 私は3年生になって初めて獅子踊りを知った。2年生がやった獅子踊りのビデオを見ながら踊った。はじめはあまり覚えられなくてたいへんだった。でも、土曜日の夕方に駒込市民センターで教えてもらってだんだん音楽を聞いて踊れるようになった。獅子頭をつけて踊るのは考えていたより大変だったし、あつかった。
 9月12日に戸山市民センターの敬老会で獅子踊りを発表した。少し間違えたけど、楽しく踊れた。踊った後で、おじいさん、おばあさんにすごくほめられた。
 これからも練習を続けて創造祭での獅子踊りの発表では、敬老会で発表したものよりも良いものにしたい。今度は間違えません。


 [2年男子生徒の声]

 僕は1年生の頃から獅子踊りをやっている。最初はあまり楽しくなくて、ただ単にやっているだけだった。1年生のときもサルをやっていて、2年生でもサルを続けている。
 ところが、2年生になって踊りが、がらりと変わった。毎週土曜日、保存会の方から踊りを教えてもらいに行っていたが、保存会の会長さんから大会に出てみないかと言われた。そして大会に出ることになり、毎日、僕を含めた4人で踊りを覚えに行った。その頃から踊りが楽しくなり、みんなより、たくさん踊りを覚えた。毎日通っていると、みんなが踊りを教えにきてくれてとても助かった。お兄さん方の踊りを見てびっくりした。テレビも来たりした。
 大会はとても緊張した。でも楽しかった。
 成功はしなかったが、よい経験になった。これからも続けていきたい。


 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(777) 駒込獅子踊り その10 2009年 7月19日(日)
 【駒込獅子踊り その10】

 今回は、かつての保存会の様子について、高坂昊一保存会長が語ってくださいます。



 駒込の獅子踊りですが、かつては、年をとった人たちの「古老組」と、若手のグループである「青年団」とで二分して、別個に伝承していた時期もありました。
 その後、昭和35年に青年団でその古老組を吸収し一本化し、それ以後、村の「青年団」が獅子踊りを維持することになりました。
 私が若い頃は、もっぱら青年団で獅子踊りをやっていたのですけれど、青年団も時代の流れの影響を受けましてね。青年団の組織が弱体化していくことになりました。
 昔は村に「寄せ太鼓」というのがありました。バン・バン・バンと太鼓を三つずつ打ってまわれば、青年団の男女が村の公民館に30分以内に集合とか、バンバンバン・・・と速打ちすれば男だけの集まりであるとか、そういった形で召集がかかったものです。
 男女で集まれば、そこでみんなで騒ぐのが一番の楽しみでしてね。自家用車もないような、ほとんど自転車の時代でしょ。私らが若い頃の喜びは、村の青年団が集まって騒ぐことでした。こうした集まりが縁で結婚する者も出たりしましたよ。
 しかし、時代が進むと、こうした喜びを、若い人たちは町に求めるようになって、村から出ていく人が増え、青年団というまとまり自体が薄れてきました。こうして、青年団による獅子踊りの運営が危うくなってきたんです。
 そこで、昭和42年に、「獅子の本当に好きな人が集まるべしヨ」ということで、年齢の差を超え、獅子踊保存会が立ち上がることになりました。松森で魚売りをやっていた葛西富弥氏が一番の先立ちになったんですけどね。
 駒込の獅子踊も昔は分家がたくさんありましてね。松森・上野(わの)・新町野(しんまちの)にも駒込の獅子踊りがあったんですよ。
 新町野には笛のすごく上手な人がいて、駒込の巻物を写し、新町野に持っていって、そこで伝承していたようですが、今は活動を停止しているようです。松森も上野もそのようです。やっぱり後継者がいなくなると、自然に廃れてしまうものなのですね。
 しかたがないので、その使わなくなった道具はうちで全部引き取っています。ですから、分家筋の獅子頭や太鼓は、みんな駒込の公民館に保存しています。衣装からなにから、みんな、うちで買い取りました。こういった獅子頭は棚の奥の方に置いてあります。太鼓は小さいもので、もう胴が割れてしまっていますけど保存しています。
 他所では、古い年代ものの獅子頭を大事に保存しているようですが、駒込の獅子頭は、自分達で作るものなので、ダメになって使わなくなったものは破棄して新しいものに変えてしまいます。ですから本当の古い獅子頭は全然残っていないんですよね。やや古めの獅子頭が、少し残っているぐらいですかね。


 [3年男子生徒の声]

 僕は最初、この獅子踊りには無関心だった。しかし、無料で簡単にできるだろうと思って獅子踊りに参加してみた。
 だが、僕が予想していたものとは全然違っていた。ものすごくハード。しかも企画がどんどん大きなものになっていったのだ。
 僕は最初「うわっ、マジでやんのかよ」と思っていた。上手にできなかったからである。しかし、今は少しまともにできるようになって創造祭に向けてがんばっている最中。
 もっと上手に心がけていきたいと思っている。


 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(778) 駒込獅子踊り その11 2009年 7月25日(土)
 【駒込獅子踊り その11】

 今回は、鹿内仙人について、高坂昊一保存会長が興味深い話を語ってくださいます。



 私達、駒込獅子踊りも後継者については安泰かというと不安材料がたくさんあります。
 昔は子どもたちが関心をもって、自主的に入ってきたものですが、今はなかなかそうもいきません。
 地域の人も、獅子踊りはなくなれば困るが、「保存会でどうにかしてけるべ」といった感じで、あまり後継者問題についての深刻さがないようです。保存会に依存してしまっている感じです。もちろん、毎年、町内から10万円の補助金をもらい、援助はされています。
 公民館が今から10年近く前に新築されたときも、「獅子専用の部屋」を一つ作ってくれるなど、地域の人の獅子踊りについての理解はあります。我々がこうして毎年踊っていけるのも、我々自身も大きな犠牲は払っていますが、しかし町内の人の理解がないとやっていけないことでもあるので、応援されてはいるとは思っています。

 ただ、村まわりをやっても、関心度という点においては、やっぱり昔のようではないんですよ。今は宅地造成も盛んで、駒込地区に新しく入ってきている人もだいぶあります。村まわりをしても、「獅子の門づけ」だということがわからない人はたくさんいます。何しに来たんだろう、という感じの人は少なくないですよ。
 昔はどこへ行っても歓待されてね。すごく張り合いがあったんです。
 昔は駒込で8月15日にまわれば、次の日、戸山の村に頼まれて行ったり、横内や幸畑の村にも行ったりしたものですよ。そうするとお昼になると、おにぎりなどの差し入れがあったりしてね。今の時代は、だんだんそういうのが薄れてきている感じです。

 駒込の獅子踊りのファンもかつては多くてね。鹿内仙人もその一人ですよ。
 本名は、鹿内辰五郎さんですが、酸ヶ湯温泉の客舎が初めて建てられたころから山案内人として13歳頃から雇われ、八甲田の山々を歩き回っては何人もの遭難者を救出してきたところから「鹿内仙人」と呼ばれるようになったという伝説の人です。
 戦前戦後を通じて500人を超える遭難者を救助したそうで、1961年に黄綬褒章を受章されていますね。有名な八甲田雪中行軍遭難の際も、直ちに派遣され、5人救助したといいます。
 酸ヶ湯温泉に国鉄バスが着くたびに、色褪せた軍服に胸に勲章やバッジをいっぱい着けた姿でラッパを吹いて迎え、親しまれていましたが、残念なことに1966年、80余年の生涯を終えられました。
 棟方志功がまだ青年時代の無名の頃、志功を八甲田に案内した際、鹿内仙人が笛を吹くと鷹が飛来し頭上を舞ったそうです。その鷹の両翼には日の丸のような模様があったので、仙人は「神様の鷹飛んで来た、鷹見れば出世する。おめ世界一になる」と志功に言うと、志功は地べたにひれ伏し、手を合わせ神の鷹を拝んだそうです。
 その後、志功は仙人の予言通りのご活躍をされました。
 八甲田山には、その棟方志功による鹿内仙人をたたえる石碑が建立されているそうです。
 この鹿内仙人は横内出身のようにいわれていますけど、実は駒込で育っているんですね。それで駒込の獅子の笛も吹いていたんですよ。子孫がまだすぐ近くに住んでいますけどね。
 我々が若い頃、鹿内氏から直接のご招待を受け、当時まだ交通規制がうるさくなかったので、トラックの荷台にみんなで乗って、酸ヶ湯温泉の「丑湯(うしゆ)祭」に出演し踊ったものです。そのとき鹿内氏は笛を吹かれました。
 ただ、鹿内氏の笛は昔の囃子なので我々のとテンポが違って、ゆっくりというか踊りにくかった。そんな記憶があります。
 何年もこうして鹿内氏から頼まれ、丑湯祭で踊ったものですよ。当時、すごい数のお客さんが丑湯に来ていました。


 [2年女子生徒の声]

 私は獅子踊りをやってよかったと思う。なぜかというと、まず覚える喜び、そして一緒に覚える仲間との絆が深まったからだ。
 獅子踊りはお祝いごとなどで踊られるらしいが、みんなでこうして踊っているときが一番よい「祝い」の踊りだと思っている。
 夏休み中も、何日か公民館での練習があった。戸山を一周ほど歩いてまわったり、大人のベテランの獅子踊りを見ることができて、とてもよい1日だった。
 大人の人達は動きがすばやく、私より百倍以上も上手だった。私はそのとき「絶対この人達を追い抜くようなすばらしい獅子踊りを作り上げていこう」と思った。
 だから公民館の練習もなるべく休まず、創造祭に向けて皆と協力し合って、すばらしい獅子踊りを作っていきたいと思っている。


 (資料提供 青森市立戸山中学校)

 (つづく)
 
(779) 駒込獅子踊り その12 2009年 7月26日(日)
 【駒込獅子踊り その12】

 今後のことについて、高坂昊一保存会長が語ります。


 もう一回、昔やっていた人たち、離れている人に呼びかけて、昔のようにね、盛り上げていきたいという気持ちはあるんですが、なかなか難しくて実行できないでいます。
 30代でもいい踊り手がいるんですよ。しかし、市役所の職員、石屋の社長、電気屋などバラバラです。
 そういった人たちは今、駒込に住んでいないでしょ。
 こうした30代の人たちの組も、いい踊りをやるんですが、なかなか召集がかけられなくなってきています。
 駒込の獅子踊りは、かつては男だけで通してきたんですが、子ども会が入るようになって、女の子も加わっています。
 今は踊りは男より女の人の方が関心が高いですよ。
 現在の保存会のメンバーは名簿上では40人ぐらいでしょうか。ただ、少子化、高齢化の影響をまともに受けて今後のことはすごく不安です。高齢になってくると、駒込の獅子踊りは動きが激しいので、津軽弁で言うと「こいしてまいね」。こんな汗をかくようなものはやりたくないという雰囲気が見え始めてきます。やっぱり踊りは若くないとできません。
 現在、保存会では踊りは20代と中学校の女の子が踊っています。真の後継者を育てるためには私達も知恵をしぼっています。子どもたちというのは仲の良いグループがありますので、そんな人間関係を利用し、たくさんの人数を扱うのではなく、仲良し4人組を集め、集中的に指導してきました。私としては人数より、少なくてもいいので、本当に後継者として残る人がほしいんですよ。
 ただ、うちの若いものは「鹿踊の部」で一昨年優勝し、昨年は模範演技をするなど、まあいろいろな賞をもらえるだけの踊りを見せるようにはなってきています。
 しかし、今、時代がこうなっているので、頭の良い人は大学に行くとか、就職も他県に行くとか地元から離れる人が増えてきて、せっかく教えてもバラバラになってしまいます。
 地元に残った人でも土日でも仕事があるようなところに勤めたりでなかなか集まれません。それでも、5〜6人は踊れる20代の若い者を確保しているので、現在のところどうにかやっていられますけど、「今後・・」ということを考えると、すごく不安です。



 [2年男子生徒の声]

 僕は獅子踊りの魅力にとりつかれました。
 獅子踊りとは儀式の一種で、とても長い間、踊りつがれてきた歴史ある踊りです。
 最初は、なにげなくやってみたのですが、踊りをある程度できるようになってから気が付いてみると、踊っている時は「なにかとっても動きたい」という気持ちになって、大きくかっこいい演技ができるようになっていました。
 先生に「おまえ、うまくなってきたな」と言われ、とてもやる気が出て、もっともっと上手くなりたいと思いました。
 今は、獅子踊りを極めたいという気持ちで一杯です。
 できるならば、妻ができて子供が産まれたら、子供にも教えて何世代も伝えていこうと思います。
 頑張って踊ります。


 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)
 
(780) 駒込獅子踊り その13 2009年 7月29日(水)
 【駒込獅子踊り その13】

 今回は、囃子に関するいろいろなことを高坂昊一保存会長が語ってくださいます。


 踊りだけではなく、囃子の方も不安材料があります。
 太鼓は心配していないのですが、問題は笛です。笛が途絶えればそこで囃子が途絶えることになりますから、笛は重要です。
 駒込の囃子は、踊りに対して全部囃子が違ってくるので、笛は難しく、なかなか笛吹きが育ちません。ワンパターンの笛ではないので、ねぶたの笛を吹く人はたくさんいますが、駒込の獅子の笛はなかなか吹けないですね。笛は本当に難しいらしいです。
 笛の伝承については、70代の高齢の方が一人いますが、年をとっているため、練習にはほとんど出てきません。若い者は、20代後半の者が二人おり、こうした若手がいますから、今すぐ途絶えてしまうという危機的な状態ではありませんが、しかし欲を言えば、この倍は笛吹きがほしいですね。
 太鼓と手びらがねについては、踊りを習得すれば、同時に囃子が頭に入ってしまうので、いくらも練習しないうちに叩けるようになります。
 ですから、私達のやり方としては、とにかく踊りをやらせるんです。こうして、子供達も、ある程度踊れるようになると、太鼓も自然に叩けるようになってきます。ですから太鼓は心配していないんですが、笛は心配です。
 笛も楽譜になって残っているわけではないでしょう。耳で聞いて覚えていくということで、もっと合理的な覚え方があればとも思っています。前に、大学の先生がちょっと音符をつけてよこしてくれましたけど、あんな形で譜面になっていれば少しやりやすいかなとも思っています。もし可能なら、音符で残してもらいたいものですよね。ただ、音符に表すというのも、だいぶ難しいと聞いています。


 [2年男子生徒の声]

 僕は1年生から獅子踊りをやっている。
 最初の頃は少し照れくさくやっていたけど、2年生になって正々堂々と踊りをやれるようになってきた。
 最近になっては、猿賀神社という所で一発踊ってきた。
 みんな、周りで見ている中でやるのはとても恥ずかしかった。
 困ったことに僕の獅子頭はズレズレで頭を動かせばはずれそうだったので頭を振らなかった。それでチームに迷惑をかけてしまった。
 でも大会に出たのは初めてなので、みんなは「いいよ」と言ってくれた。
 これからも僕たちは獅子を極めると誓って、続けていこうと思っている。
 今後、いくつかの困難があるかと思うが、みんなで協力し合い、助け合ってがんばっていこうと思っている。ちなみに僕は、ほぼ毎日、獅子の曲を聞いて体を動かし、体がなまらないようにがんばっている。
 なので次の大会は、よい賞をとれるようにがんばりたい。


 (資料提供 青森市立戸山中学校)


 (つづく)


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