青森県音楽資料保存協会

事務局日記バックナンバー

<2013年5月>

(922) 青森市20世紀合唱史 その10
(923) 青森市20世紀合唱史 その11
(924) 青森市20世紀合唱史 その12
(925) 青森市20世紀合唱史 その13
(926) 青森市20世紀合唱史 その14
 
(922) 青森市20世紀合唱史 その10 2013年 5月 6日(月)
【百年のあゆみ その9】


 1950年代 その2

 1955年(昭和30年)秋、労働芸術祭を契機とし職場合唱団が母体となり青森音楽サークル協議会(音サ協)を結成。萩野昭三氏の他に、宮内勝四郎(電話局フレンドコーラス)・佐藤貞樹の両氏が加わりコーラスの活性化を図る。


 ここで職場合唱団を紹介してみたい。


 1948年(昭和23年)、青森市役所合唱団が設立され昭和35年までその活動が確認されている。指揮者は萩野昭三氏。

 前記の「県立図書館講堂落成記念コーラスの夕べ」で、日本銀行合唱団(混声)、青森銀行(女声)、営林局(女声・混声)、教育庁県庁合唱団(混声)は紹介したが、翌1954年11月21日の「青森のうたごえ」では、青森市交通部{市営バス}、青森営林局音楽部、国鉄駅連青年部合唱団、八甲田農場、青森銀行従業員組合音楽部、青森営林局音痴コーラス、自由労組、市教組青年部、ラヂオ青森、青鉄バンドの各団体が出演している。この演奏会には、職場のサークルの他に県立青森実業高校音楽部、浦町小学校PTA婦人部、民愛青合唱隊、県立青森高校音楽部、浪打小学校合唱団、フレンドコーラス、青森市浜町教会聖歌隊、青森くまんばち歌の会、民愛青少年団民舞踊、また市外から弘前健生病院従業員組合、八戸おたまじゃくし、五所川原合唱団、仙台合唱団等が出演している。

 同年の労働芸術祭にはシグナル合唱団{現・JR}、電力コーラス(昭和30年からは東北電力合唱団)が出演している。



1955年(昭和30年)、青森郵便局と市内郵便局の同好者が集い「青郵うたう会」を結成、1957年(昭和32年)から指揮者・矢田宏氏で「青郵ユンゲル・コール」と改称、郵便局職員以外の社会人も加わり活動の幅を広げる、ラジオ青森・労働芸術祭等に出演し、後の青森市合唱連盟設立団体のひとつとなる。


1955年(昭和30年)には、電話局フレンドコーラス{現・NTT}(昭和20年代から活動している)、青森操車場合唱団{現・JR}も演奏会等に出演している。



1957年(昭和32年)の音サ協主催の第五回労働芸術祭及び青森合同音楽祭では、全統計青森合唱サークル(指揮・五十嵐光男氏)、逓信病院コーラス(指揮・萩野昭三氏)、青鉄コーラス(指揮・中堀貞勝氏)、東青病院コーラス、青森鉄郵音楽サークル等が新たに出演している。

なお、この年の市役所合唱団は市民交響楽団の指揮者でもある藤井一志氏が指揮をしている。



1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)では、青森経済連合唱団(指揮・高木栄進氏)、医労合同コーラス(指揮・笹原瞳氏)、松木屋マネスターズ(指揮・平野芳也氏)、前述の青森市交通部{市営バス}のアンサンブル(指揮・前田寿一氏)や青森営林局合唱団も確認されている。

中でも青森操車場の中堀貞勝氏は1950年代の職場合唱団では、旧国鉄時代の合唱サークル草創期に多大な貢献をされた。あるときは自ら歌う独唱者として、また、あるときは合唱指導者としてサークルの指導はもちろん、音楽祭の全体合唱指導もするなど音サ協活動にも貢献された。1960年には、青森県立中央病院合唱団も確認されている。



1950年代は、職場サークル・労働組合サークルが活発に活動された年代でもあり全国的にもそうであるが、本市合唱史にも残る活動期である。




一般の団体に戻り紹介を続ける。



(つづく)
 
(923) 青森市20世紀合唱史 その11 2013年 5月13日(月)
【百年のあゆみ その10】


 1950年代 その3


 1955年(昭和30年)県立青森商業高校OB・OGが中心となり商門コーラス会、後の商門合唱団を設立。指揮は鹿内芳正氏であるが、斎藤泰三氏が指揮をし鹿内芳正氏がピアノ伴奏をし演奏会に出演したこともある。1959年鹿内芳正氏の上京とともに解散。

 同年、青森高校OBグリークラブが確認されている。後に青森男声コーラスと改称、一時期NHK青森放送局男声合唱団としても活動する。




 1956年(昭和31年)暮れ、市内の合唱活動が盛んになってきたこの頃、力をあわせてオペラをやろうという意気込みで青森オペラ研究会を結成(青森県音楽資料保存協会のホームページ「資料倉庫」に青森オペラ研究会の関連情報がございます。青森県音楽資料保存協会事務局 注)。
 代表に萩野昭三氏が就任。1959年には青森オペラ研究会合唱団を併設しオペラ活動と合唱活動を並行して行う。合唱指揮者は木村一三氏から坂本雄二氏・小倉尚継氏へ。毎年の定期公演等、地方の音楽文化の発展向上に寄与し、サンデー毎日や芸術新潮にも取り上げられ中央楽壇にまでその名を広めた同団体も、萩野昭三氏の上京により次第に活動が下火となり、1964年頃に解散。一部の団員は混声合唱団グリーン・コール創設へと行動する。




 1957年(昭和32年)、中央文化服装学院音楽部(指揮・萩野昭三氏)、青森男声カルテット(商門合唱団の沢田幸司・田中善雄・鹿内芳正・斎藤泰三の各氏)が確認されている。





 1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)では、かえるの子合唱団が確認される。かえるの子とは昭和31年以降に卒業した青森高校音楽部員が作っていたグループで、年三回の会合を持っているうちに合唱団設立の運びとなった。指揮は卒業生の野倉盛夫氏、この当時のグループ平均年齢が10代というからかなり期待されたものと思うが、その後の消息が確認できていない。




 1959年11月1日〜2日昼夜3回に分けて第一回県下合同音楽祭が開催された。

 青森市からは東奥ヴァイオリン教室(指揮・成田宏)、かえるの子合唱団(指揮・野倉盛夫)、青郵ユンゲル・コール(指揮・矢田宏)、星のコーラス(指揮・間宮秀樹)、青森市民交響楽団(指揮・藤井一志)、青森県作詞作曲の会、NHK青森放送合唱団(指揮・間宮昭佳)、青森中央高校合唱団(指揮・高橋司)、青森高校合唱団(指揮・安田進)、青森オペラ研究会が出演。

 ちなみに、弘前地区からは弘前コーラス会(指揮・鎌田敬爾)、弘前コールシスターズ(指揮・石見普二男)、NHK弘前放送合唱団(指揮・木村弦三)、弘前コールフレンド(指揮・葛西重蔵)、弘前交響楽団(指揮・葛西清美)、弘前メンネルコール(指揮・石見普二男)、NHK弘前放送児童合唱団(指揮・工藤健一)、おじちゃまコーラス(指揮・小島正雄)、弘前大学教育学部合唱団(指揮・野倉盛夫)。

 八戸地区は合同酒精八戸工場合唱団(指揮・漆畑敏克)、八戸コールフレンド(指揮・村井呉郎)。黒石地区は黒石コーラス会(指揮・見崎良二)、黒石マンドリンクラブ(指揮・三上茂晴)。

 五所川原地区は五所川原ギタークラシカ、五所川原合唱団(指揮・笹昭夫)。

 十和田地区は馬っ子合唱団。金木地区は金木合唱団(指揮・浅木全一)。

 これにピアノ葛西満昭氏・ヴァイオリン小野欣一氏・チェロ阿保健氏のピアノトリオが加わって開催された。


(つづく)
 
(924) 青森市20世紀合唱史 その12 2013年 5月17日(金)
【百年のあゆみ その11】


 1960年代 その1


 1960年(昭和35年)青森市合唱連盟が設立される。

 青森市合唱連盟の加盟団体・役員体制


【 加 盟 団 体 名 】         【 役 員 体 制 】

青森放送合唱団             理事長    間 宮 昭 佳
青郵ユンゲル・コール          常任理事   萩 野 昭 三
青森市役所合唱団              〃    清 野 晴 見
松木屋従業員組合合唱団           〃    矢 田   宏
青森オペラ研究会              〃    小 林 啓 一
中央文化服装学院合唱団           〃    奈 良 端 子
青森メールクワルテット         理  事   黒 滝 良 宏
コマ・カルテット              〃    吉 田 雅 宥
青森県立中央病院合唱団           〃    平 安 久 尤
青森市立中央高校合唱団           〃    木 村 一 三
                      〃    太 田 正 子
                      〃    直 島 松 雄
                    会  計   平 安 久 尤
                    監  事   白 鳥 豊 一



 1960年(昭和35年)青森メールクワルテットが、小倉尚継・萩野昭三・池辺俊彰・黒滝良宏の四氏で結成される。後にメンバーが入れ替わり、初代ブルービーバーズへと変わってゆく。


 1960年(昭和35年)青森男声合唱団が日下昭夫氏の指揮で発足。東北大学男声合唱団指揮者であった日下氏が青森明の星高校へ赴任後、作った合唱団も人員不足に苦しみながらも活動を展開、昭和47年に解散、一部は混声合唱団グリーン・コールへ入団。日下氏も副指揮者として同団へ移る。いつの時代も男性団員の確保が課題であることに変わりないことをうかがい知ることができる。


 1960年8月23日開催の青森市合唱連盟結成記念第一回合同音楽祭へは、次の団体が出演している。青森放送合唱団(指揮・間宮昭佳)、中央文化学院合唱団(指揮・萩野昭三)、コマ・カルテット、中央高校合唱団(指揮・榎本ルミ子)、青郵ユンゲル・コール(指揮・矢田宏)、青森メールクワルテット、青森市役所合唱団(指揮・萩野昭三)の各団体である。




 1960年(昭和35年)青森県合唱連盟結成。


 翌年2月18日・19日の2日間三ステージ構成で青森県合唱連盟結成記念第二回県下合同音楽会が開催された。

 青森市内から東奥ヴァイオリン教室(指揮・成田宏)、青森メールクワルテット、青郵ユンゲル・コール(指揮・平安久尤)、青森市民交響楽団(指揮・藤井一志)、青森県作詞作曲の会、明の星高校合唱団(指揮・日下昭夫)、青森中央高校合唱団、中央文化服装学院コーラス、青森高校合唱団(指揮・成田久雄)、青森オペラ研究会の各団体が出演している。

 ちなみに県内の出演団体は次のとおりである。弘前コーラス会(指揮・鎌田敬爾)、弘前相互銀行合唱団(指揮・柾木二郎)、弘前文化学院(ピアノ・石見普二男)、弘前市役所合唱団(指揮・柾木二郎)、おじちゃまコーラス(指揮・伊藤秀俊)、弘前オペラ研究会(独唱・山谷常雄)、八戸フィルハーモニー交響楽団(指揮・漆畑敏克)、黒石コーラス会(指揮・見崎良二)、五所川原合唱団(指揮・笹昭夫)、十和田馬っ子合唱団(指揮・川崎富康)である。



(つづく)
 
(925) 青森市20世紀合唱史 その13 2013年 5月22日(水)
【百年のあゆみ その12】


 1960年代 その2


 1963年(昭和38年)青森明の星短期大学創立と同時に、音楽科の合唱の授業を主体として、合唱団を設立。


 混声合唱団グリーン・コールは、東京で指揮の勉強を終え帰青した鹿内芳正氏を指揮者に1964年(昭和39年)発足。当時NHK青森放送合唱団・青森オペラ研究会も解散しており有志4〜5名が中心となり、おりしもNHK青森放送局の要請もあり合唱団設立となった。
 会則により年に一度の定期演奏会が義務付けられているため、合唱団創立以来毎年定期演奏会を開催している。また、創立時より青函交流演奏会、地元作曲家の発表会、他団体演奏会への賛助出演、中学校・高校での音楽教室、地域イベント、校歌・社歌・地域の歌等の録音、テレビ・ラジオ出演、合唱祭等その活動範囲の広さと年間ステージ数は群を抜いている。
 現在は鹿内氏に加え、大嶋和久氏と五十嵐隆泰氏の副指揮者2名の指導体制で音楽の幅を広げている。現存する市内合唱団では最も古い合唱団である。



 1961年(昭和36年)男声四重唱団初代ブルービーバーズが小倉尚継・萩野昭三・山口道廣・黒滝良宏の四氏で結成されたが短期間で解散。昭和39年、これとは別に弘前大学OBによる耕音会(会長・西谷英樹)男声四重唱団が小倉尚継・野呂馨・野倉盛夫・奈良武則の四氏と、ピアノ西谷安正氏によって結成された。
 1965年(昭和40年)に第1回リサイタル、2回目からはバリトン野倉盛夫氏東京転勤により山口道廣氏に代わり、3回目(昭和42年)からブルービーバーズに改名、以後青森市民会館にて16回リサイタルまで実施した。
 郷土色を出した自作自演が認められ、1976年2月青森県芸術文化奨励賞を受賞。
 「津軽・沖縄千里を越えて」は東北地方と沖縄県にテレビ放映された。ブルービーバーズで歌われた小倉氏作詞作曲の歌は、現在も、小倉氏の指揮する合唱団で歌われている。




 1961年10月の第三回県下合同音楽祭への青森市内出演団体は次のとおりである。



 莨町小学校合唱団(指揮・宮内わか)、造道中学校合唱団(指揮・熊木晟二)、Aプレーボーイズ(木村繁・相馬誠・半田昌司・対馬義弘・鳴海広)、浪打中学校合唱団(指揮・土田正雄)、ブルービーバーズ(小倉尚継・萩野昭三・山口道広・黒滝良宏)、明の星高校合唱団(指揮・日下昭夫)、青森オペラ研究会(指揮・小倉尚継)、青森男声合唱団(指揮・日下昭夫)、青森中央高校合唱団(指揮・西川喜美子)の各団体である。ちなみに弦楽団体として青森山田高校弦楽合奏団、青森市民交響楽団(指揮・藤井一志)、函館地区はアゼリアコーラス(指揮・永塚裕)


 弘前地区は弘前文化学院合唱団(指揮・石見普二男)、弘前大学付属中学校(指揮・伊藤秀俊)、白銀女学院合唱団(指揮・中内幸雄)、弘前メンネルコール(指揮・石見普二男)、弘前オペラ研究会、おじちゃまコーラス(指揮・伊藤秀俊)、弘前コーラス会(指揮・鎌田啓爾)、弘前混声合唱団(指揮・伊藤秀俊)、弘前相互銀行合唱団(指揮・石見普二男)。八戸地区は八戸コールフレンド(指揮・村井呉郎)


 黒石地区は黒石コーラス会(指揮・見崎良二)、板柳地区は板柳小学校合唱団(指揮・木村恒雄)


 五所川原地区は五所川原合唱団(指揮・笹昭夫)の各団体である。




 1964年(昭和39年)青森少年合唱団が、木村恒雄氏を指揮者として発足。後に小山内糺氏・野村正憲氏・古川昭男氏と指揮者が変わり、後に白川克子・三上信子・永井功の三氏が指揮者を務める。
 1976年頃から、少女を加え1983年頃から青森少年少女合唱団として新たに分野を切り開く。
 団創設以来、情操の育成と音楽文化の発展のため息の長い活動をしてきた。
 「美しいハーモニーは、美しい心から」と豊かな心づくりにも努めている。1989年(平成元年)青森市顕彰受賞。2001年解散。




 同じく1964年NHK青森児童合唱団が小倉尚継氏の指導で始められ、主に地方色の濃い合唱を演奏、NHKの放送の中央集権化に伴い1969年に解散。




 1967年(昭和42年)県立青森西高校卒業生が中心となってAN女声合唱団を設立、指揮者は小倉尚継氏。少ない人数ながら高度な合唱をねらい1972年の全日本合唱コンクール東北支部大会一般の部で金賞受賞。
 しかし、女声合唱団ゆえの厳しい現実(結婚・出産・育児等)ゆえ、一向に団員が増えず、常に高校生の補充が必要であった。もっと広い範囲での合唱団を作ることを約して解散。




 1969年(昭和44年)間宮昭佳氏を指揮者に青森合唱団が設立。翌年12月に第一回演奏会を開催している。かなり強い向上意欲を持った合唱団であった。とりわけプログラムは当時としては非常に珍しいA4版サイズであった。やはり人員不足に悩まされ、1976年(昭和51年)までに5回の演奏会を開催し解散している。




 1969年(昭和44年)青森ドクターズ・ヨッチミラー合唱団が市内開業医有志により結成される。1973年(昭和48年)より本格的に活動する。男性医師だけで構成する非常に珍しい合唱団であるが、定期演奏会も26回を数え、息の長い幅の広い活動をしている。指揮者は、初代の山口道廣氏に始まり、石見普二男・村田健・山口道廣(現)の各氏であり、現在活動している市内一般合唱団の中では混声合唱団グリーン・コールに次いで歴史の古い合唱団である。



(つづく)
 
(926) 青森市20世紀合唱史 その14 2013年 5月26日(日)
【百年のあゆみ その13】


 1970年代(昭和45年〜54年)


 1970年(昭和45年)西谷ふみよ氏を指揮者に、青森少女合唱団が設立される。青少年健全育成運動の一環として始められた。約6年間美しいコーラスを響かせたが、青森少年合唱団に少女が加わるということになった段階で解散することとなった。






 青森コール・マミは1970年(昭和45年)8月、青森市立中央公民館の婦人学級生による「公民館お母さんコーラス」として設立。1973年より団員の一般募集を始める。

 1974年(昭和49年)指揮者・間宮昭佳氏の命名により「コール・マミ」と改称。1983年(昭和58年)中央公民館事業から独立、「青森コール・マミ」と改称。

 指揮者は間宮昭佳氏・山本正氏・吉岡敦子氏・西谷ふみよ氏・小倉尚継氏・野村正憲氏(現)と代わってきた。

 1981年(昭和56年)全日本おかあさんコーラス全国大会初出場以来、1990年までに5回の全国大会出場を数え、内ひまわり賞を3度受賞している。

 1985年(昭和60年)青森市顕彰を受賞。

 現在活動している合唱団体の中では、混声合唱団グリーン・コール、青森ドクターズ・ヨッチミラー合唱団に次いで歴史の古い団体である。








 1976年(昭和51年)市立浪打小学校PTAコーラスを母体として、はまなすマザースコールが設立。

 市の花にちなみ、故・岡本敏明氏が「はまなすマザースコール」と命名。

 全日本おかあさんコーラス全国大会へは5回出場。うち、1991年(平成3年)第14回全日本おかあさんコーラス全国大会ひまわり賞受賞。

 1993年(平成5年)青森市顕彰を受賞。

 指揮者は佐々木恭枝氏。市の式典等、数多くの地域の音楽活動に参加している。








 1975年(昭和50年)、市立造道小学校ママさんコーラスを結成。

 指揮・倉内精子氏で発足。後にPTAから独立。

 1980年(昭和55年)、指揮に野坂徹夫氏を迎えあかしやコーラスと改名。市内より会員を募集し一般合唱団となる。
 1990年より指揮者は五十嵐隆泰氏、これまでに5回の定期演奏会を開催している。県の式典等、数多くの地域の音楽活動に参加している。









 1975年(昭和50年)、青森市民混声合唱団が設立。

 市内の団体個々が取り組むには大曲は無理である。そこで、数団体が中心となって一般市民からなる合唱団を作り、指揮者を東京から招き大いに勉強しようということで結成された。

 第一回演奏会は、地元出身の横山千秋氏、市民管弦楽団(交響楽団)とともにフォーレの「レクイエム」を演奏。混声合唱団グリーン・コール、青森合唱団、AN女声合唱団が中心となり一般市民で構成、なんと言っても青森明の星短期大学音楽科学生の力に負うところが大きかった。

 翌1976年(昭和51年)は、福永陽一郎氏の指揮でヘンデルの「メサイヤ」を演奏。合唱団員76名のうち青森明の星短期大学生が24名(ソプラノ・アルトのソリスト2名含む)、県立青森北高校男子生徒が10名で半数が学生であった。この時に参加した青森北高校の小野(3年)、藤本(2年)、奈良(1年)が中心となって、後に青森北高校音楽部声楽班を結成し青森北高校の男声合唱団を再建する。

 翌1977年(昭和52年)は、福永洋一郎氏の指揮で丸山豊作詞、團伊玖磨作曲の「海上の道」とモーツァルトの「戴冠ミサ曲ハ長調K317」であった。
 福永氏は友人の團氏に「この曲は俺のほうが、お前よりも上手く演奏する自信がある」と常々おっしゃっていただけに、なかなかの演奏であった。この年も合唱団員78名中、学生が37名を占めていた。

 翌1978年(昭和53年)は、同じく福永氏の指揮で、伊藤海彦作詞・大中恩作曲の「島よ」とヴィヴァルディの「グロリア」であった。この年の合唱団員が一番多く、93名のうち学生が26名となっている。

 翌1979年(昭和54年)は、福永氏の指揮で、三浦哲郎作詞、田中利光作曲の津軽の音素材による混声合唱「四季」とグノー作曲の「聖チェチーリア荘厳ミサ曲」であった。志を高く持って臨んだ市民混声合唱団であったが、男声パートを集めることの苦労で、第5回の演奏会をもって解散となった。

 この経験が後の青森第九の会設立へと発展することとなる。









 1976年(昭和51年)、浦町小ママさんコーラスが小学校90周年を記念して結成される。
 指揮は中村トモ子氏、1983年(昭和58年)指揮に間宮昭佳氏を迎えて、青森UMCと改名し現在に至る。おかあさんコーラスの行事には欠かさず参加しており、かつては、演奏会も開催しており、息の長い活動をしている。





(つづく)


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