ペーター・シュレミールは、アデルベルト・フォン・シャミッソーの小説「影をなくした男」の主人公である。かっていくつかの翻訳があったが、現在、岩波文庫版、池内紀氏の訳書(1985, 岩波文庫32-417-1 [原文:Adelbert von Chamisso "Peter Schlemihls Wundersame Geschichte", 1814.])で読むことができる。あらすじは次のようである。
青年、ペーター・シュレミールは、ある金持ちの庭園での園遊会で灰色の服の男に出会い、男が要求するままに、自分の影と「幸運の金袋」と交換する。男はペーターの影を地面からはがして、くるくる巻いて、ポケットに入れて去る。手に入れた「幸運の金袋」からは、金貨を際限なくつかみ出すことができる。おかげでペーターは大金持ちになったが、影がないので、人目をはばかって、昼も、また月夜の晩にも外にでることはできない。ペーターは影のないことに悩み苦しんだが、忠実な召使い、ベンデルのおかげで、影の秘密をさとられることなく、社交界で羽振りをきかせる身になった。しかし、結局は影がないことを恋人に知られ、国境を越えて逃亡する。逃亡先で、再び金持ち振りを発揮することができたのだが、ここでも秘密がばれて、やさしい可憐な恋人ミーナを失う。ペーターは一人この町を立ち去る。旅の途中で灰色のマントの男に出会う。男は、影を返すことの条件として、死後魂を譲渡するという契約書に署名することをペーターに迫る。ペーターは、山中の深い洞窟の穴の中に「金袋」を投げ込み、悪魔に魂を売ることをきっぱり断り、悪魔は去る。
影をもたない上に、貧乏になってしまった旅人は、靴さえボロボロで履けなくなる。そこで、新品は買えないので、町の市場で中古の靴を買う。これが、1歩歩けば7里進む七里靴であった。(靴の上にスリッパをはくと普通に歩ける。)ペーター・シュレミールは、この靴を履いて、チベットの高山に立ち、アジアを東から西に踏破し、アフリカを縦横無人に歩き回り、ヨーロッパからグリーンランド経由でアメリカに渡り、ロッキー山脈を縦断し、アラスカの最高峰を越えてアジアに渡り、マラッカ半島からスマトラ、ジャワ、バリ、ロンボクを踏破したが、さすがにオーストラリアにはとても渡れぬことを嘆き悲しむ。ともあれ、七里靴の届く限り、地球環境や生物界、とりわけ植物のことを徹底的に調査し、すでに「東西植物生成史」をまとめたが、これは「世界植物誌総覧」の一部をなすものである。現在動物誌に没頭し、死ぬまでには自分の原稿がベルリン大学に保管されるよう、取りはからうつもりである。
アデルベルト・フォン・シャミッソーは、1781年フランスの貴族の家庭に生まれたが、フランス革命でプロシャのベルリンに亡命した。その後、プロシャ軍士官となってナポレオン軍と戦い、捕虜になるなど、波乱の半生であったが、ベルリンに戻ったのちは、ベルリン大学で自然科学を勉強した。没年は1838年。シャミッソーが作家として活躍した時代は、ドイツロマン派の時代で、ホフマン、ノヴァーリス、フケー、ジャン-パウルらと同時代人である。シャミッソーは詩人であり、シューマンの歌曲「女の愛と生涯」の詩で名高いが、そのほか多くの詩を書いているようである。小説は「影をなくした男」以外にあるかどうかは知らない。この小説の「影をなくした」ということは、なにか意味をもっているのか、私にはよく分からないし、解説を読んでもはっきりしない。ただし、ペーター君の悲しい境遇には共感できる。しかし、ペーター君以上に気の毒なのは「影」である。ペーター君と契約できなかった悪魔には、ペーター君の「影」は無用の長物だろう。「影」の運命については、シャミッソーは何も書いていない。しかし、ペーター・シュレミールは大博物学者になったが、「影」のほうはもっと過酷な運命をたどったのではないかと心が痛む。自分の影には愛情をこめて大切にしよう。
ペーター君がシャミッソーの分身と考えるのは間違っていないであろう。シャミッソーは、詩人・小説家でもあるけれど、むしろ本業は植物学である。彼は現在のベルリン・ダーレム植物園の前身である王立植物園で働いていたが、1815年から3年間、ロシアの世界探検隊(ロマンゾフ探検隊)に志願して探検船ルーリック号に乗り込み、アフリカ南端の喜望峰、ブラジル、チリ、カムチャッカ、マニラをまわり、植物の採集・調査を行い、3年かかって祖国に戻った。植物園では、植物学者フォン・シュレッテンダールのもとで働き、1833年からは、シュレッテンダールのあとを継ぎ、5年間キュレーターを勤めた。この間、多くの植物を命名した。また、種名シャミッソーの名のつくものも多くある。シャミッソーは、植物ばかりでなく、原索動物のサルパの研究でも有名で、これらの研究で世代交代という現象を発見している。
シャミッソーが命名した植物種は非常に多い。全体にわたって調べてみるのは興味深いが、なかなか大変なので、差し当たり、わが国にも存在するものを挙げる。イトクズモを除き、高山や北方のものが多い。カムチャッカの採集品に命名したのであろうか。
Betula Ermanii Cham. ダケカンバ
Boschniakia rossica (Cham. et Schltdl.) Fedtsch. et Flerov オニク
Campanula lasiocarpa Cham. イワギキョウ
Carex melanocarpa Cham. et Trautv. タカネヒメスゲ
Corydalis ambigua Cham. et Schltdl. エゾエンゴサク
Gymnadenia camtschatica (Cham.) Miyabe et Kudo ノビネチドリ
Lathyrus palustris L. subsp. pilosus (Cham.) Hult. エゾノレンリソウ
Plantago camtschatica Cham. et Link エゾオオバコ
Platanthera chorisiana (Cham.) Reichb. f. タカネトンボ
Sorbus sambucifolia (Cham. et Schltdl.) Roemer タカネナナカマド
Stachys Riederi Cham. var. intermedia (Kudo) Kitam. イヌゴマ
Stachys Riederi Cham. var. villosa (Kudo) Kitam. エゾイヌゴマ
Zannichellia palustris L. var. indica (Chamisso) Graebner イトクズモ
Campanula chamissoinis Al. チシマギキョウ
Lonicera chamissoi Bunge チシマヒョウタンボク
Pedicularis chamissonis Steven var. japonica (Miq.) Maxim. ヨツバシオガマ
(2006.11)
若い頃のある一時期、ゲーテの小説や戯曲、叙事詩を集中的に読んだことを記憶している。「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」「ヘルマンとドロテア」「タッソー」「エグモント」「タウリスのイフィゲニア」「ライネッケ狐」「親和力」「詩と真実」・・・相当熱中していたように思う。「ファウスト」は森鴎外訳で、おそろしく難解だった。「ウェルテル」はドイツ語で読んだ数少ない小説の一つであった。「詩と真実」は退屈なのを我慢して、実に長期間かけて読んだ。いまでもボロボロになった岩波文庫版が手元に残っている。「親和力」は最も好きな作品であったが、いずれにしても、ゲーテの作品は、なかなか私の読解力と感性の及ぶところではなかったと思っている。ただし、ゲーテの圧倒的な凄さだけはいつも感じていた。
ゲーテを読んだ記憶もすっかり薄れて来た私の研究人生の終盤に近く、私は再びゲーテの作品に接することになった。そのきっかけは、コーエンとカーペンターの「花の変態」(E.S. Coen and R. Carpenter (1993) The Metamorphosis of Flowes. The Plant Cell Vol.5 p1175-1181)とタイトルされた論説を読んだことである。著者の一人、ローズマリー・カーペンターさんには、昔(いまから35年前)、留学時に、面識があったのだが、それも久しぶりに思い出したものである。
この論説は、ゲーテの論文「植物変態論」に発した植物の器官(地上部)の基本的同一性の理論をキンギョソウやシロイヌナズナでの最近の遺伝学的知見によって解説したものである。この論説は冒頭で次のように述べている:植物の形の違いが一つの共通の成長のプランを単に別様に修正することによって生じるものであるということは、植物学上の統一的な理論の一つである。植物の成長にかかわる若干の基本的な特性の入れ替えによって、驚くほど多様な、見かけではっきりと識別できる形態を生じる。花とシュートを比較すると、このことが最もよく分かる。外観上異なるこれらの構造が基本的に等質であるという概念は、1790年に刊行されたゲーテの変態(metamorphosis)に関する論文に由来する。ゲーテは次のように結論している。「側芽から発生する花は、母植物が地に生えるのと同様、母植物に生えている植物とみなすべきである」。
ゲーテの植物変態論 (J. W. Goethe 1790 Versuche die Metamorphose der Pflanzen)の原本を見つけることは、難しいが、幸い野村一郎氏による訳書を読むことができる(ゲーテ全集 14巻 自然科学論 1980 潮出版社)。変態という述語は、通常昆虫のそれに使われるが、ゲーテが定義する植物の変態(メタモルフォーゼ)は、同一の器官が多様に変化して見える作用としている。植物学で変態という語は現在も生きていて、根が貯蔵根、気根などに、葉が捕虫葉、浮葉などに、また茎がとげや巻鬚などに変化するような現象がこれにあてはまる(とげや巻鬚は葉由来のものもある)。
ところでゲーテは、花はシュート(茎と葉を合わせてシュートという)ともともと同一器官で、変態によって生じたものであり、花のそれぞれの器官、すなわち、萼、花弁、雄蕊、雌蕊は葉と同一器官の変態により形成されたものと考えた。この理論はすべて、様々な種の葉、茎、花の注意深い観察に裏付けられている。ゲーテは観察という手段によって、葉、花の形成に関して、茎の上の節に重要性を見出している。植物は成長するにつれて茎葉が縮小してゆき、節間が密になり、多数の節が一カ所に集まった場所で葉は花の中で一番葉に似たがくに変化する。その内側に生じる花弁も葉の変形であって、いろいろな花をみると葉の様相を呈しているものが見られ、花弁が葉と同一器官から生じたことが裏付けられる。花弁の内側に生ずる雄蕊と雌蕊もまた、結局は葉の変態であるとしている。
例えばナデシコの花弁の特徴をもつ内側のがく、チューリップの茎にたまに生じる花弁の特徴をもつ葉、カンナの花弁にそっくりの雄蕊、ヒツジグサやバラの花に見られる花弁に似た葯、様々な植物に見られる花弁や雄蕊に似た蜜腺体、完全に花弁の形をしたジャーマン・アイリスの柱頭、数枚の花弁が集合したとみられるサラセニアの傘形の柱頭、ナデシコでしばしば見られる子房の萼状構造への変化、葉が結実器官となっているボダイジュやナギイカダの例、マメ類の莢やクロタネソウなどの朔果の葉との形態的な類似性などを挙げている。さらに、カエデ、ハルニレ、トネリコ、シラカバなどに見られる種皮も葉の形態の痕跡を示すことを指摘している。つぎにゲーテは、植物の各節から生じる芽について考察を進める。そして、各節から形成される側枝を個別の植物と考え、種子から生じる植物とは近親関係にあるとしている。
ゲーテは葉や花の各器官の脈として観察できる通道組織の大きさにも注目しており、植物の上部に行くにしたがって通道組織が細くなり、それによって水分が粗液から「精妙な」液に純化し、この液が節を密にし、葉を萼に変えさせ、花を形成させる。このことを、植物は栄養が過剰な状態では茎葉を生じ、栄養が少ない状態にすると花をつけることの根拠としている。これは現代の植物学の知見にあてはまらない。しかしゲーテは、葉脈などの通道組織の観察によって、生理学的思考を試みたと考えることができる。また、その頃は、植物の器官を動物のそれらと比較する風潮があったらしく、ゲーテは、子房を卵巣と比較したり種子を卵と、また種子の諸部分と胎児の諸部分とを比較しようとすると、その理論は真理から遠くはずれてしまうことを警告しており、また、植物の髄を動物の髄になぞらえると、植物の髄の価値を過大評価するような過ちをおかすことになるとも述べており、詩人の空想力が科学に忍び込むことをたしなめている。ゲーテのリンネの形態学への批判も面白いが、詳しくは、原本の訳文を参照されたい。
ゲーテは、変態を規則的変態(または前進的変態)と変則的変態(後退的変態)に分けている。規則的変態は、子葉から始まって果実形成に到る同一器官の規則的な変態であり、変則的変態は、規則的変態の過程で一段階、または二段階後退する変態である。この変則的変態を観察することによって、規則的変態を推論から脱却して実証的に理解することができるとしている。これは、まさに現代の遺伝学が、突然変異体の解析によって正常な遺伝子の機能を理解するのとよく似ている。
この変則的変態のすべてではないが、その一部はおそらくのちに定義されたホメオーシス(homeosis、=相同異質形成)によるものであろう。ホメオーシスとは、ある器官や組織が突然変異によって基本的に同一性をもつ別の器官や組織に変わる現象をいう。花の例でいうと、一重の花が雄蕊や雌蕊の代りに花弁を生じて八重の花になるような突然変異である。このような突然変異をホメオティック突然変異といい、このような変異を生じる遺伝子をホメオティック遺伝子という。はじめて見つかったホメオティック突然変異は、ショウジョウバエの体節に変異が起り、胸部が二重に存在するバイソラックス(bithorax)という変異である(C.B. Bridges 1915; E.B. Lewis 1978)。また、アンテナペディア(antennapedia)という突然変異は、頭部体節が変異して触角の代りに脚を生じるものである(P. Scottら 1983)。ショウジョウバエの体節に関係するホメオティック遺伝子群の研究は、1980年代より急速に進んだ。
続いて、1980年代の後半から、キンギョソウとシロイヌナズナから花の形成に関与するホメオティック突然変異が続々と発見された。それらの遺伝子の多くは単離され、それらの構造や機能が解明されることになった。21世紀に入ってからは、花形成に関与するホメオティック遺伝子の研究は、とくにシロイヌナズナを用いて深化しており、また、キンギョソウやシロイヌナズナ以外の、栽培植物を含む多くの種を対象に広がりを見せている。植物学のこの分野は、ゲーテの植物変態論(1790)以後、200年以上の長い栄養成長期間を終えて、やっとつぼみを着け、そして今、大輪の花を咲かせようとしている。この辺のことについては、改めて述べる予定である。
ゲーテが植物変態論を公表したのは1790年、41歳のときである。フランス革命が始まった翌年にあたる。リンネはすでに12年前(1778)に亡くなっており、ダーウィンはまだ生まれていなかった (ダーウィンの生誕は1809)。「若きウェルテルの悩み」「エグモント」「タッソー」などはこの時期以前に書かれているが、以後ゲーテは没年83歳まで創作を続け、「ウィルヘルム・マイスター」「詩と真実」「ファウスト」などの大作を完成させている。科学論文「色彩論」の完成は、植物変態論が出版された20年後、1810年のことであった。
(2006.12)
18世紀後半に、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティーやエドワード・バーン-ジョーンズらラファエル前派の画家たちと親交があり、自らもイラストや絵を画いたウィリアム・モリスは、装飾デザインを手がけるようになり、モリス商会を設立して、自身の装飾芸術を普及させ、後の芸術家やデザイナーに多大の影響を与えた。かれは、装飾の素材として、様々な植物を図案化した。それらの植物には、当然、バラ、ユリ、チュリーップ、ケシなど多くの芸術の素材となっているものもあるが、なぜと思う植物が含まれている。このような植物が芸術家にインスピレーションを与えたのはなぜだろうか。
Pimpernel:サクラソウ科Anagalis属の植物の英名である。Anagalis属にはA. tanella (L.) L.、A. avrensis L.、A. linifolia L.などがヨーロッパに野生している。A. arvensis(ルリハコベ)は日本でも伊豆諸島や紀伊半島以南にふつうに見られるという。
Acanthus: キツネノマゴ科Acanthus属の植物であるが、その中のA. mollis L.であるらしい。南ヨーロッパと北アフリカに野生しているそうだが、各地で栽培されており、日本にも入っていて、通常アカンサスというが、ハアザミとも名付けられている。切れ込みのある大きな葉に特徴があり、モリスによって、すばらしくデザインされている。
Fritillary: ユリ科Fritillaria(バイモ)属の植物で、わが国のクロユリもこの属に入る。ヨーロッパではF.acmopetala Baker、F. imperialis L.、F. meleagris L.、F. pallidiflora Schrenkなどという種が栽培されている。モリスのデザインはどれか分からないが、図鑑でみると、F. meleagrisに最もよく似ている。花が下を向き、しおらしい印象である。
Larkspur: キンポウゲ科Consolida属のうち、Larkspur(ヒエンソウ)というのは、C. ajacis Nieuwl.で地中海沿岸に原産する。C. ajacisは図鑑によっては、Delphinium ajacisとなっている場合もある。
Marigold: キク科。Marigoldは、通常、おなじみのマリーゴールド(Tagetes erecta L.[アフリカンマリゴールド]またはT. patula L. [フレンチマリゴールド])をいうが、キンセンカ(Calendula officinalis L.)を指すこともある。モリスのデザインは、われわれが通常目にしているマリーゴールドやキンセンカとあまり似ていないが、葉はキンセンカのようである。
Pink: ナデシコ科、Dianthus属。ナデシコやセキチクのことを英名でpinkという。デザインから種名を判断することはできない。カーネーションに似ているような気もする。
Bachelor’s button: 辞書には、花冠がボタン状の草花、とくにヤグルマギクとあるが、モリスのデザインは通常目にするヤグルマギク(Centaurea cyanus L.)と違う気もする。花弁が楕円で先は丸くとがり、切れ込みがない。キク科には違いない。
Blackthorn: バラ科。Prunus spinosa L. リンボクの仲間だそうで、0.5-4mの、枝にとげの多い低木とある。ヨーロッパに多い。モリスのデザインは、太いとげをもつ枝に、白い花を一面につけている。房咲きになるリンボク( P.spinullosa Sieb. Et Zucc.)の印象とはかなり異なるように見える。実物を見たいものである。
モリスのデザインになった植物は、これらや、上記のバラ、ユリ、チューリップ、ケシのほか、Chrythanthemum(デザインは日本の菊を思わせる)、ブドウ、ザクロなどもある。
(2006.12)
ついでながら、ウィリアム・モリスの先輩で盟友であったラファエル前派の中心人物、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティーの詩、「ウッドスパージ(woodspurge)」について述べる。
ロセッティーの絵画のなかで、最も強い印象を受けたのは、ロンドンのテートギャラリーで見た「プロセルピナ」である。ギリシャ神話のペルセフォネはゼウスとデメテルの娘であったが、その美しさに魅せられた冥王ハデスにさらわれ、冥王の妻になった。絵は、掟を破ってうっかりざくろの実を口にして、地上に戻れなくなった、その瞬間を画いており、なんとも言い表せない表情である。題名のプロセルピナは、ギリシャ神話から移行したローマ神話での名前である。この絵は、1998年に東京と神戸で開催されたテート・ギャラリー展に展示され、私は再びプロセルピナに会うことができた。プロセルピナのモデルは、ウィリアム・モリスの夫人、ジェーンだそうであるが、ロセッティーのジェーンに対する深い思いが込められている気がする。
ロセッティーは、妹のクリスティナ・ロセッティーとともに、イギリスの著名な詩人でもある。ウッドスパージは、トウダイグサ科 Euphorbia amygdaloides L.で、高さ80cm位。ヨーロッパに野生すると図鑑にある。わが国にはないので、想像するほかないが、トウダイグサ、タカトウダイ、ノウルシなどと似ているように見える。詩は、詩人が風の吹く野に出て、風の静まったとき悲しみのあまり草むらにうずくまり、ふと見ると雑草の中にウッドスパージの花を見つけ、悲しみのために分別もなにも忘れ、一つの花が三つのカップ(総苞のことか)をもつことだけが意識に残った、というものである。最愛の妻を亡くしたときの詩であるという。
なぜウッドスパージなのかはよく分からないが、背の高いトウダイグサの奇妙な黄色い花は悲しみを効果的に表しているようにも思える。
(2006.12)