タバコ (Nicotiana tabacum L.) とその近縁種


タバコとの付き合いは、喫煙するためのタバコではなく、実験材料としてのタバコである。私は、ウイルスの感染・増殖の機構に関する研究にタバコの葉から分離したプロトプラストを用いた。また、タバコモザイクウイルス(TMV)やトマトモザイクウイルス(ToMV)の感染性の検定、純化・精製、突然変異体の分離にも不可欠の材料であった。さらに、感染によって引き起こされる宿主の病徴によるウイルス系統や突然変異体の特性の解析にもタバコを利用した。このように、タバコを用いることによってウイルスの研究を進展させることができた。

植物ウイルス研究に限らず、タバコは、基礎植物学の発展に大きく寄与した。とくに、サイトカイニンやオーキシンなどの植物ホルモンに関する研究、細胞小器官の構造や機能に関する研究、細胞からの組織・器官の分化に関する研究、細胞融合や遺伝子組換えなどバイオテクノロジーの開発にはとりわけ重要な実験材料であった。喫煙の健康にもたらす弊害から、近年はタバコのイメージがわるくなってきているが、タバコが喫煙とは関係のない植物学やバイオテクノロジーの発展に寄与したことは、人類の喫煙の習慣のおかげでこの植物の栽培が国境を越えて普及し、タバコ自体の研究や改良が進んだからである。

タバコ(Nicotiana tabacum L.)は複二倍体であり、染色体数はn=24である。N. tabacumは、二倍性野生種であるN. sylvestrisN. tomentosiformis との雑種に由来し、これら2種の野生種の自生地の境界にあたる、ボリビアとアルゼンチンの国境近くのアンデスの高地が栽培種の発祥地と推定されている。野生のN. tabacumは発見されていないが、その原種は野生種として存在し、原住民がそれを栽培したのであろう。喫煙がいつ始まったかは不明であるが、コロンブスが新大陸を発見したころ(1492)には、すでにインディオの間に喫煙の習慣があった。コロンブスがタバコの種をスペインに持ち帰ったという証拠はないようであるが、その後の新旧大陸間の交流でタバコは16世紀中頃にスペインに導入され、急速に旧大陸に広がっていったと考えられている。日本には1600年頃にポルトガル人によってもたらされたようである。

タバコ属はキチョウジ属(Cestrum)およびペチュニア属(Petunia)に近く、これらの属と共通の祖先をもつと考えられている。タバコ属には60種が含まれ、主に南米に野生種として存在し、一部はオーストラリアや南太平洋の島々に分布している。しかしタバコ属植物のすべては、南米に起原をもち、そこから伝搬したものと推測されている。

タバコおよびその近縁種の実験材料としての利点について述べる。

タバコ(N. tabacum L.)

ウイルスの研究(タバコモザイクウイルスの研究を例として)

タバコは、かなり多くのウイルスに感染する。中でも、タバコモザイクウイルス(TMV)には容易に感染し、激しいモザイク症状が生じる。TMVをタバコの葉にこすりつけて1週間ほど置くと、その間ウイルスは葉の細胞の中で急激に増殖し、葉1キログラム当り2〜5グラムほどのウイルスを回収することができる。これは、TMVが葉の細胞内で激しく増殖し、恐るべき量が蓄積したことを意味する。感染タバコ葉から精製されたTMVは、不純物をほとんど含まないきれいな標品であり、ウイルス粒子の構造や、それを構成する蛋白質および核酸の物理・化学的研究に最適である。

TMVは、1898年、オランダの学者Beijerinckによって発見された。これは、ウイルスというものの初めての発見である。その後、TMVによって、ウイルス学の多くの先駆的な研究が行われた。StanleyはTMVを用いてウイルスの結晶化に初めて成功し、ノーベル賞を受賞した。TMV粒子は蛋白質と核酸(RNA)によって構成されているが、GiererとSchramは、RNAにタバコへの感染性があることを発見し、遺伝子の本体は核酸にあることを証明した。その後もTMVの研究からウイルス学上多くの知見が得られている。これらの業績にタバコは多大の貢献をした。

TMVの輝かしい研究の中にあって、あまり目立たないけれども、特に評価すべきは、F. O. HolmesによるN遺伝子をもつタバコの育種であると思う。N遺伝子はタバコ属野生種N. glutinosaに存在する優性遺伝子で、この植物の葉がTMVに感染すると、ウイルスが侵入した部分の組織が壊死し、小さな褐色の壊死斑を作り、ウイルスの増殖を閉じ込める。壊死斑の周縁にはウイルスが存在するが、それらは組織内を広がって行くことができない。Holmesは、N遺伝子を特別な方法でタバコに導入することに成功し、その成果を1938年に発表している。現在Nをもつタバコ品種にSamsun-NNおよびXanthi-ncがあり、それらの品種を用いてTMVの感染性の定量、TMV系統や突然変異体の分離などに不可欠の材料になっている。

TMVの増殖機構の研究にとくに役立ったのは、タバコの葉の内部の細胞(葉肉細胞)から分離したプロトプラストであった。この手法は、建部到博士と共同研究者達によって開発された。タバコの表皮をはがして(葉の裏の表皮だけでよい)、酵素によって細胞壁を構成するペクチンとセルロースを分解すると、葉肉細胞からプロトプラストが分離してくる。酵素液を特定の塩類を含む高張液に置き換える。このプロトプラストにウイルスを感染させて、様々な方法でウイルスの細胞への侵入過程や増殖過程を分析する。これによって、TMVがどのようにして自己を複製してゆくかが分かったのである。N遺伝子は、トランスポゾンタギングという方法で、タバコから単離され、その構造や機能が調べられた。

タバコは、TMVをはじめとして、トマトモザイクウイルス(ToMV)、キュウリモザイクウイルス(CMV)、ジャガイモXウイルス、ジャガイモYウイルスなど、かなり多くのウイルスに感染してそれぞれのウイルスに特異的な病徴を示すが、タバコに感染しないとされているウイルスも多くある。それらのウイルスの研究はタバコを材料に使うことができないと考えられる。しかし、それらの中には、タバコプロトプラストに感染し増殖するものもある。私自身の研究では、マメ類のウイルスであるカウピー・クロロティック・モットル・ウイルス(CCMV)やピー・エネーション・モザイク・ウイルス(PEMV)およびイネ科植物のウイルスであるブロムグラス・モザイク・ウイルス(BMV)には、タバコは感染しないとされていたが、タバコ・プロトプラストにはよく感染・増殖することが分かり、それらのウイルスの増殖の過程を分析することができた。

細胞の組織・器官への分化に関する研究

タバコの葉を消毒したのち、1平方センチ位の小さな切片を作り、適当な塩類、糖、ビタミン類のほか、サイトカイニンとオーキシン(どちらも植物ホルモン)を適当な濃度比で加えた寒天培養基の上に置き、光を当て、温度を30度前後に保ち、3週間ほどすると、葉の切片の周辺から細胞が分裂し、沢山の芽を生じる。これは、葉切片でなくて、茎の切片でもよい。出て来た芽が伸長したら、切り取って、植物ホルモンを含まない培養基にさしておけば、やがて根がでる。このようにしてできた個体は、クローン個体である。タバコは、このように、組織からの器官分化する能力が極めて高い。このような高い組織分化能力をもつタバコ培養組織を用いて、ウィスコンシン大学のSkoogらは、主要な植物ホルモンの一つ、サイトカイニンを発見したのである。この成果は、1956年に発表され、のちの細胞融合や遺伝子組換えへと続く植物バイオテクノロジー発展への出発点となった。次に特筆すべきは、プロトプラストからの植物個体を再生させたことである(長田・建部)。この研究は、植物の体細胞が完全な植物体を再生させる全能性をもつことをはっきりと証明したものである。タバコは現在も細胞や組織分化の研究のための重要な材料である。

N. glutinosa L.

前述のN遺伝子をもつ野生種で、TMVの研究の初期には、ウイルスの感染性の検定によく使ったものである。タバクム亜属(Subgenus Tabacum)に属する種であるから、タバコに近い。染色体数12対の二倍種である。ペルー、エクアドルに野生している。

N. benthamiana Domin

近年ウイルスの研究や遺伝子サイレンシングのような分子生物学的研究に盛んに用いられるようになった。生長が早く、育てやすい種であること、タバコに感染しにくいようなウイルスでも、よく感染・増殖することなどの理由によると思われるが、とくにBaulcombeらが、ジャガイモXウイルスをベクターとして使う遺伝子サイレンシングの実験系として、N. benthamianaを用いたのをきっかけとして、この野生種は遺伝子の機能を調べるための重要な実験材料になった。ペチュニオイデス亜属(Petunioides)のスアヴェオレンテス節(Suaveolentes)に属する種で、染色体数は19対の二倍種である。スアヴェオレンテスに属する多くの種はオーストラリアに分布し、本種も同様である。

参考文献
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