源氏(げんじ)と平氏(へいし)をあやつった天皇

  後白河天皇 (ごしらかわてんのう)
 
 ※ 後白河上皇 (ごしらかわじょうこう)
   後白河法皇 (ごしらかわほうおう)ともいう
  
● 活やくした時代   1127年〜1192年
                平安時代〜鎌倉時代

● 活やくしたこと

  1127年 鳥羽上皇(とばじょうこう)の第4皇子として生まれる。
         名前は雅仁(まさひと)親王という。

  1155年 弟の近衛天皇(このえてんのう)が亡くなる。
            ↓
         兄の崇徳上皇(すとくじょうこう)の皇子の重仁親王(しげひとしんのう)と、
         弟の雅仁(まさひと)親王とが次の天皇の候補(こうほ)となり、最終的に
         雅仁(まさひと)親王が天皇になる。
            ↓
         雅仁(まさひと)親王が後白河天皇(ごしらかわてんのう)になる。

  1156年 兄の崇徳上皇(すとくじょうこう)と後白河天皇(ごしらかわてんのう)が
         対立する。
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保元の乱(ほうげんのらん)がおこる。
       
         【保元の乱(ほうげんのらん)】
            天皇の地位をめぐるあらそいに武士がまきこまれた戦争
             [ 天皇家 ] 後白河天皇 対  崇徳上皇
             [ 摂関家 ] 藤原忠通  対  藤原頼長 
             [ 武 士 ]  源 義朝   対  源 為義
                      平 清盛   対  平 忠正
                        ↓
                       勝 利
       

  1158年 後白河天皇が皇太子の守仁親王(もりひとしんのう)に天皇の位をゆずる。
            ↓
         後白河天皇が後白河上皇となり、
院政(いんせい)を始める。
            ↓
         後白河上皇が源氏と平氏をうまくあやつり、政治の実権をにぎる。

  
1159年 平治の乱(へいじのらん)がおこる。
       
       
 【平治の乱(へいじのらん)】
           源氏と平氏のあらそいに貴族がまきこまれた戦争

            [ 摂関家 ] 藤原道憲  対  藤原信頼
            [ 武 士  ] 平 清盛   対  源 義朝
                       ↓
                      勝 利
       
                   ↓
         平氏の平清盛が富と武力を持ち、平氏が権力をにぎるようになる。

  1169年 後白河上皇が出家(しゅっけ 僧になること)して、後白河法皇になる。

  1177年 鹿ヶ谷事件(ししがたにじけん)がおこる。
           後白河法皇が貴族たちと平清盛を討とうと計画するが失敗する。
            ↓
         後白河法皇は、平清盛の権力をけずろうする。
            ↓
  1179年 平清盛が後白河法皇の院政(いんせい)をやめさせ、屋敷に閉じこめる。

  1180年 後白河法皇が、第2皇子の以仁王(もちひとおう)を通して、平清盛の追討令
         (ついとうれい)を出す。
            ↓
         以仁王(もちひとおう)と源頼政(みなもとのよりまさ)が兵をあげるが平氏に負ける。
            ↓
         源頼朝(みなもとのよりとも)が兵をあげる。

  1181年 平清盛がなくなる。
         後白河法皇が院政を再開する。


  1185年 壇ノ浦(だんのうら)で平氏が滅びる。
            ↓
         源頼朝が武士の統領(とうりょう)として、土台を固める。
            ↓
        
後白河法皇が源義経(みなもとのよしつね)に兄の源頼朝(みなもとのよりとも)
         を討つようにけしかけるが、失敗する。

  1190年 後白河法皇と源頼朝が会い、話し合う。
         源頼朝は征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となりたいと望むが、後白河法王は
         武士が権力をにぎることに強く反対したため、今回は源頼朝は征夷大将軍になる
         ことをあきらめる。

  1192年 後白河法皇が亡くなる(66才)
            ↓
         源頼朝が征夷大将軍になる。


● 人 物 評

 後白河天皇(ごしらかわてんのう)は、藤原氏、平氏、源氏の3つの一族を手玉にとったと言えるだろう。傷つくのはこれらの3つの一族で、後白河天皇(法皇)は影にかくれて、笛をふいている。そんなところであろう。確かに平清盛(たいらのきよもり)
は後白河天皇(法皇)と互角以上に争った。だが、平清盛の死後は後白河天皇(法皇)の一人舞台(ひとりぶたい)である。平氏をほろぼした戦争上手の源義経でさえ、後白河法皇のうまい話乗って源頼朝に反抗し自滅(じめつ)している。源頼朝は後白河法皇のことを「日本一の大天狗(だいてんぐ)」といってののしっている。その上、源頼朝は、後白河法皇が生きている間は征夷大将軍にはなれなかった。なれたのは、後白河法皇(ほうおう)の死後である。天皇の中でも最大の実力を持った天皇の一人であるといえるだろう。


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