軍部をおさえ、政党政治をつらぬいた政治家 犬養 毅 (いぬかい つよし) |
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● 活やくした時代 1855年〜1932年 江戸〜昭和時代 ● 活やくしたこと 1855年 岡山県の庄屋の犬飼源左衛門(いぬかい げんざえもん)の次男として生まれる。 1867年 大政奉還(たいせいほうかん) 王政復古 1875年 東京(江戸)に出てくる。 1876年 犬養毅が慶応義塾(けいおうぎじゅく)に入る。 学生であった犬養毅が、福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)に認められる。 1877年 西郷隆盛が西南戦争をおこす。 ↓ 犬養毅が「郵便報知新聞(ゆうびんほうちしんぶん)」の記者となる。 犬養毅が西南戦争(せいなんせんそう)に政府軍の記者としてしたがう。 現地からの戦争の様子をくわしく伝え、評判になる。 1880年 慶応義塾を中退し、「東海経済新報(とうかいけいざいしんぽう)」の記者となる。 1882年 犬養毅が立憲改進党(りっけんかいしんとう)の結成に参加する。 1894年 日清戦争(にっしんせんそう)がおこる。 1889年 大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)が出される。 1890年 第1回衆議院総選挙(しゅうぎんそうせんきょ)に当選する。 1898年 大隈内閣(おおくまないかく)の文部大臣(もんぶだいじん)となる。 1904年 日露戦争(にちろせんそう)がおこる。 1912年 明治天皇が亡くなり、大正天皇が天皇になる。 1913年 憲法を守る運動の先頭に立つ。(護憲運動 ごけんうんどう) 1914年 第1次世界大戦がおこる。 軍部の力が強くなる。 1923年 山本内閣(やまもとないかく)、加藤内閣(かとうないかく)の 郵政大臣(ゆうせいだいじん)になる。 犬養毅は普通選挙(ふつうせんきょ)が行われるように力をつくす。 ↓ 1925年 普通選挙法(ふつうせんきょほう)が成立する。 ↓ 犬養毅が議員をやめる。 ↓ 1929年 再び選挙で議員となり、政友党の総裁(そうさい)になる 1931年 満州事変(まんしゅうじへん)がおこる。(中国と日本の戦争が本格化する) ↓ 犬養毅が内閣総理大臣になる。 戦争を終わらせようと力をつくすが、そのために軍人のいかりを買う。 ↓ 1932年 5・15事件で軍人に殺害される。(78才) 犬養毅が、「話せばわかる。」と反乱をおこした軍人に声をかけたが、 暗殺される。 ↓ 政党政治が終わり、軍部独裁の傾向が強くなる ● 人 物 評 犬養毅(いぬかい つよし)は、日清戦争(にっしんせんそう)、日露戦争(にちろせんそう)、第1次世界大戦などを通して、軍部の力がしだいに大きくなり、政治に口を出していく様子をまざまざと見てきたのであろう。もともと負けずぎらいな犬養毅は、この軍部の暴走を食い止めようと必死になって努力したのである。このことが、逆に若い軍人のいかりを買い、殺害されることになってしまうのである。若い軍人にとって、自分がやっていることは正義であり、その行動を止めようとする犬養毅は敵でしかなかったのだ。この犬養毅の殺害により、もう、だれも軍部の暴走を止めることができなくなり、第2次世界大戦の悲劇(ひげき)をむかえることになる。武器をおそれず、軍部をおさえようとした犬養毅の勇気に敬意を表したい。 |