平清盛と争った源氏の大将 源義朝 (みなもとのよしとも) |
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● 活やくした時代 1123年〜1160年 平安時代 ● 活やくしたこと 1123年 源為義(みなもとのためよし)の長男として生まれる。 1144年 相模国(さがみのくに 神奈川県)に攻め入って、勢力を拡大する。 1153年 源義朝が下野守(しもつけのかみ 栃木県)となる。 1154年 源義朝が源氏の家を継ぐ。 1155年 源頼賢(みなもとのよりかた)を討つために、信濃国(しなののくに 長野県)に出陣する。 1156年 保元の乱(ほうげんのらん)がおこる。 【保元の乱(ほうげんのらん)】 天皇の地位をめぐるあらそいに武士がまきこまれた戦争 [ 天皇家 ] 後白河天皇 対 崇徳上皇 [ 摂関家 ] 藤原忠通 対 藤原頼長 [ 武 士 ] 源 義朝 対 源 為義 平 清盛 対 平 忠正 ↓ 勝利 ↓ 源義朝は父の源為義(みなもとのためよし)の助命を願い出るが許されず、 自分の手で父を切る。 ↓ 平清盛(たいらのきよもり)との対立が深まる。 ↓ 1159年 平治の乱(へいじのらん)がおこる。 【平治の乱(へいじのらん)】 源氏と平氏のあらそいに貴族がまきこまれた戦争 [ 摂関家 ] 藤原道憲 対 藤原信頼 [ 武 士 ] 平 清盛 対 源 義朝 ↓ 勝利 平清盛と源義朝(みなもとの よしとも)の権力争い。 平清盛が勝利し、源義朝を討ち取る。 ↓ 平氏が政治の中心になる。 1160年 東国に逃げる途中、尾張国(おわりのくに 愛知県)で長田忠致(おさだただむね)に 討ち取られる。(38才) 源義朝の長男 源義平(みなもとのよしひら)は捕らえられ切られる。 次男 源朝長(みなもとのともなが)は深手を負って自殺する。 三男 源頼朝(みなもとのよりとも)は伊豆(いず)に流される。 九男 源義経(みなもとのよしつね)は鞍馬寺(くらまでら)へ預けられる。 ● 人 物 評 平治(へいじのらん)の乱では、平清盛(たいらのきよもり)も源義朝も一族の命運をかけて戦ったのであろう。貴族にかわって力を持つようになった武士ではあったが、平氏と源氏のどちらが武士のトップになるのか、つまり、どちらがどちらの部下になるのか? これはどちらも天皇の血をひく名家である平氏も源氏も相手の下には立てないというプライドがあったのであろう。源義朝も勇猛な人物ではあったが、平清盛の方が政治的にも戦略的も一枚上手であったということだろうか? |