黄熱病(おうねつびょう)に倒れた医学者

  野口英世 (のぐち ひでよ)
● 活やくした時代   1876年〜1928年
                 明治〜昭和時代

● 活やくしたこと

  1876年 福島県翁島村(おきなじまむら)の貧しい農家に生まれる。
         少年時代は清作(せいさく)と呼ばれる。

  1878年 野口英世が左手をいろりでやけどし、5本の指がくっついた形になってしまう。
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         子どもから、左手のことをからかわれ、くやしい思いをする。
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         くやしさをバネにして、勉強だけはだれにも負けなかった。

  1892年 野口英世が会津若松(あいづわかまつ)の会陽医院(かいよういいん)の渡部
         医師の手術を受け、左手で物をにぎれるようになる。
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         医者の職業のすばらしさを知り、医者になろうと心に決める。
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  1893年 野口英世が会陽医院(かいよういいん)で働くようになる。

  
1896年 野口英世が上京する。

  1897年 野口英世が医師開業試験(いしかいぎょうしけん)に合格する。

  1898年 野口英世が伝染病研究所に入る。
        名前を「英世」とかえる。 

  1900年 野口英世がアメリカへわたる。
         苦しい生活を送りながらも、フレクスナー博士のもとで
毒蛇(どくへび)
         研究をする。

  1903年 野口英世がデンマークへ留学し、マドセン博士のもとで学ぶ。

  1904年 野口英世がロックフェラー医学研究所の助手になる。

  1911年 野口英世が
梅毒菌(ばいどくきん)の培養(ばいよう 育てること)に成功する。
           
梅毒(ばいどく)
              梅毒菌(ばいどくきん)が体に入っておこる病気
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          世界中に名前が広まる。
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          ノーベル賞の候補になる。
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         残念ながら、第1次世界大戦のため、ノーベル賞の受賞者は決められなかった。

  1918年 野口英世がエクアドルで黄熱病(おうねつびょう)を研究する。
           
黄熱病(おうねつびょう)
             カによってウィルスが体の中に入り、高い熱が発生し、体が黄色く変色し
             やがて死亡する病気。

  1927年 野口英世が黄熱病の研究のためにアフリカに渡る。

  1928年 アフリカのガーナで黄熱病にかかり病死する。(53才)


● 人 物 評

  自分の命の危険をかえりみず、人の命を救おうと、黄熱病(おうねつびょう)の研究に取り組んだ野口英世は本当にすばらしい人物である。医学が進んだ今の時代でさえ、未開発の地で、病気に苦しむ人を救おうとする人物は少ない。病気で苦しむ人を救うことが正しいことであることは、だれにでもわかる。だが、それを行動にうつすとなると、なかなか考えているようにはいかないものだ。野口英世にとって、医学によって自分の左手を治してもらったという感激がとても大きかったのであろう。 「人のために何かをする」
そのような野口英世の態度を賞賛しつつ、その態度を私たちも、もちたいものである。


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