生類(しょうるい)あわれみの令を出した将軍 徳川綱吉 (とくがわ つなよし) |
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● 活やくした時代 1646年〜1709年 江戸時代 ● 活やくしたこと 1646年 3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)の4男として生まれる。 1661年 徳川綱吉が上野国(こうずけのくに 群馬県)の館林(たてばやし)25万石の 城主になる。 1680年 徳川綱吉が兄の4代将軍徳川家綱(とくがわいえつな)の養子になる。 ↓ 徳川綱吉が5代将軍になる。 1681年 徳川綱吉が越後(えちご)松平家のお家騒動(おいえそうどう)を調べ、取りつ ぶしにする。(越後松平家・・・徳川御三家につぐ名門の親せき) ↓ 親せきをも罰することで、政治の引きしめをはかる。 1687年 徳川綱吉が生類(しょうるい)あわれみの令を出す。 生類(しょうるい)あわれみの令 生き物を殺すことを禁止した法律、特に犬を大切にするように命令さ れた。徳川綱吉に子どもができないのは、生き物を大切にしていない からと考えられて、この法律ができたとされる。 ↓ 民衆はたいへん苦しんだ。 1688年 徳川綱吉が柳沢吉保を側用人にする。 1695年 徳川綱吉が金銀貨幣(かへい)を作りなおす。 江戸幕府の財政が悪くなり、貨幣(かへい)に含まれる金銀の量をへらした。 ↓ かえって、物価が上がり、民衆の生活は苦しくなる。 江戸幕府の財政ももっと悪くなる。 1702年 赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りがある。 (有名な大石内蔵助 おおいしくらのすけ) 1704年 徳川綱吉が甲府(こうふ 山梨県)のおいの徳川綱豊(とくがわつなとよ)を 養子にする。 1709年 病死(64才) 徳川綱豊(徳川家宣のこと)が6代将軍になる。 生類あわれみの令を廃止する。 ● 人 物 評 徳川綱吉と言えば、もう生類(しょうるい)あわれみの令につきるであろう。日本が始まってから今日までで、犬が人間よりもえらかったのはこの時だけであろう。生き物を大切にする心は大切であるが、ここまでやると、行き過ぎである。まして、自分が戌(いぬ 犬)年の生まれだから、特に犬を大切にせよというのは民衆にとってはいい迷惑(めいわく)である。「あとつぎができないのは生き物を大切にしないからだ。」と言われて徳川綱吉も必死であったのであろうが・・・・。結局、徳川綱吉にあとつぎはできず、甲府(こうふ)のおいを養子にすることになる。 民衆を苦しめた罰であろうか・・・。 |