504. 中島はるみ 11PMのオーディション


1.ポスト”セーラ”の座に、
       中島はるみが挑戦!

Gメンファンならば 「逆」 じゃないのか、と思われるでしょう。

ところが、80年2月までの、「11PM 水曜日」 は 「セーラ」 さんで、そのポストに、中島はるみが挑戦しました。
(Gメンでは、中島はるみの翌年に、セーラが登場した)

2.11PMとは

1965から1990年まで、25年間も続いた長期の人気番組。

その司会は、長い間に変わっているが、80年当時は 「愛川欽也 ・ 藤本義一 ・ 大橋巨船」 の3人が、
曜日毎に担当していた。
中島はるみ出演の水曜日の司会は 「愛川欽也 と かたせ梨乃」 の2人。

  カバーガールには、由美かおる、飯島直子、岡本夏生、松岡きっこ、村上里佳子、小栗香織、
               多岐川裕美、ジャネット八田、かたせ梨乃、樹れい子、らがいた。

        11PMとは→Wikipediaの記事へ

3.11PMのオーディション

<1979年夏頃>
  トップモデルになっていた中島はるみには、幾つかのドラマへのオファーが来ていた。
  しかしこの時の彼女は、出演を断っている。「今年はモデル一本で頑張る。」 がその理由だった。

<明けて1980年>
  中島はるみは、今年はドラマにもという気持ちもあり、とりあえず11PMへのオーディションに挑戦している。

<オーディション>
  平凡パンチ80年3月10日号の記事−−(右上の画像)
    「キンキンの水曜日のイレブンは、ホットな情報を満載して大変な人気があるとの事。
     その看板ともいうべきカバーガールなので、 「ポスト・セーラ」 の座をめぐって、
     オーディションには100人くらいが応募して競い合った。 (別の雑誌では150人とのこと)

大勢の参加者を見て、中島はるみは 「とても無理だと思った」 との事であるが、「ダメでもいいや」と
思って受けたら、見事に選ばれた。

決定後のインタビューでは、「これを女優への足がかりにしたい」
この時点で、花王を始め5本のCFが決定したという。

このオーディションに勝ち抜いたことが、吹雪刑事への道につながった。
この時、中島はるみは知らなかったが、11PMへの出演を果たした頃に、
「Gメン75の ”新女刑事”のオーディション」 が予定されていた。

4.11PM出演の感想

大勢の人に見られていると思うと、顔がこわばっちゃう。
最初は緊張しましたが、慣れて来ました。スタッフの人も親切ですごく楽しい。
しかし数ヵ月後には、
全部ナマです。ニコッと笑ったりして、、、段々むなしくなってきました。と言っている。

5.Gメンとのかけ持ち

11PMには、80年7月まで出演したが、80年4月からGメンにも出演したので、その期間はGメンとのかけ持ちだった。

相当体力的に苦しかったと思われるが、中島はるみ本人はそれほどでもなかったと言っており、Gメン75のスケジュールは苦しいが、11PMは週一回だし、かえって息き抜きになって良かった言われている。
気分転換には最高だったとのこと。

6.2人目のカバーガール出身

近藤照男プロの土曜9時アクションドラマでの、11PMカバーガール出身者は、中島はるみが2人目。
1人目は、上にも書いたが1968年 (昭和43年) にカバーガールだった 「松岡きっこ」 さんである。


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