505. 吹雪刑事へのオーディション
1.新女刑事役への挑戦
1980年2月 Gメン75の新女刑事を選ぶオーディションが、開催されようとしていたが、
中島はるみは、そのことを知らなかった。
「504.11PMへのオーディション」に記載した通り、
1980年2月20日 中島はるみは、セーラ・ローウェルの後任として11PMに出演した。
この時、11PMに初出演した「中島はるみ」を見ていたのが、近藤照男プロデューサー。
近藤氏は、「中島はるみ」に目をつけすぐに、Gメンの次の女刑事へのオーディションに参加して欲しいと、事務所を通じて彼女に依頼をしている。
(実はこれが、初登場時か・2週目なのかは判らないが、日程の計算から行くと初登場の時ではないかと思われる)
また、この時点での役名は「吹雪杏子」ではなかったので、以下は単に「新女刑事」として書く。
中島はるみ自身も昨年までとは違い、80年はドラマへの挑戦を希望していたので、この依頼を「嬉しかった」と話しており、オーディションに参加する事となった。
2.オーディション参戦
Gメン75という「人気ドラマのレギュラー」と言うだけでなく、Gメン75の女刑事は人気が高く主役もやれるということで、
相当な応募があったと思うが、具体的な参加人数は不明である。
カメラテスト等が実施されて、最終段階に残ったのは、中島はるみを含めて3名。
しかし他の2人は、ともに現役の若手女優!
つまり、、、2名とも強敵である。
中島はるみ本人はこの時、「撮影までの日数が少なく、私は女優未経験。しかも新人は扱いが難しいから
避けられるだろう。」と考えたと、話している。
彼女は受からないと思い、あきらめていたが、思いもよらず採用された。
3.決まった後の感想
通らない思っていたのに合格したので、びっくりしたという。
しかし「嬉しい」と言うより、「これからが大変だ」と言う気持ちが強かったとの事。
もし、他の2人の現役の若手女優のどちらかに決まっていたら、1980年のGメン75の新女刑事の印象は、当然違っていたはずである。
<右の画像> 登場編の放送直前の雑誌で、 |
表紙を飾る「中島はるみ」 |
ぜい肉のまったくない、引き締まった体 |
素晴らしい 腰の"くびれ"にも注目! |
4.ギリギリだった11PMの出演日
上記の日程から、
11PMへの登場があと1週間ずれていたら、オーディションに間に合わなかった可能性が高かったように思う。
さらに重要なのは。中島はるみが初登場した11PMを、近藤照男さんが見ていなかったら、「中島はるみ→吹雪杏子刑事」は誕生しなかったはずである。
中島はるみは間一髪で、"吹雪杏子"に間に合った。
5.Gメン撮影までの日数
新女刑事に決まってから、撮影までの期間が非常に短いことがわかる。
1) 11PMの出演は、 2月20日
2) 新女刑事のオーディション(日程未詳)
3) Gメンの撮影開始は、3月初め
決定後からGメン75の撮影開始までは、せいぜい数日しかなかったわけである。
6.ぶっつけに近い本番撮影
従ってこの短期間では、女優未経験の中島はるみにとって、演技訓練がほとんど出来ない状態での撮影であった。
まさしくぶっつけ本番での演技であったので、大変だったろうと思う。
登場から3話までの吹雪刑事は、セリフも慣れていないが、この日程を考えると良く頑張ったと言えると思う。
もっとも当初から、新人らしからぬ"落ち着き”があり、これは彼女の持ち味かもしれない。
4作目以降、中島はるみのセリフや演技は上昇していく。
7.オーディション実施日の不思議
オーディションが行なわれたのが、どうして撮影開始の直前なのか?疑問がある。
現役の女優なら期間が短くても問題ないが、新人採用となればリスクが大きい。
ということは、内々では現役女優の中の誰かで、内定していたのではないか?
とも推測できる。 (時間が無くて、単に実施が遅れただけかもしれないが)
いずれにしろ突然 「中島はるみ」 という新人が参加することとなったのは、想定外のことであった。
<右の画像>吹雪刑事 登場編の、"放送前”に行なわれた雑誌の取材で、
プロ野球 400勝投手の金田正一氏との会談後に、抱きすくめられる
中島はるみ。
インタビュー後の金田正一氏の談話
「こっちのストレートをがんがん打ち返しよる。カラッとして爽やか。
色気のある女刑事を期待してまっせ。」
8.他の女刑事の時の、オーディションは??
名の売れた女優ならオーディションはしないはず。
夏木マリさんの場合は、「それまでにも色々とドラマのオファーはあったが、断っていた」という。
しかしGメン75のオファーには魅力を感じて了解した。との事なので最初からテストなどはなかったはずである。
森マリアさんや藤田三保子さんはどうだったのか?
まさか江波杏子さんや范文雀さんのような、女優歴が充分のベテランにはオーディションはしないだろう。
情報があれば追加したいと思う。
9.近藤氏の影響はあったか?
中島はるみのオーディション参加は、近藤照男氏の要請によるものだった為、ついその影響力も考えてしまうが、
全く影響がなかったとは言い切れないにせよ、オーディションを実施するからには、テストして「中島はるみ」がダメなら、落としたはずである。
テストがダメでも強引に合格させるほどの無分別を、近藤照男氏はされるはずがないと思う。
しかも近藤照男氏と中島はるみが、親しいのなら話は別かもしれないが、近藤氏がテレビで見ただけで1度も会った事がない状態でのことである。
<当時のスタッフの声>
80年7月の雑誌によると、響・速水・津川から4代目の吹雪刑事までの、計4人は全員が共通した雰囲気をもっているので、記者がスッフに聞いたところ「プロデューサーの好みのタイプじゃないですか」との事。
どうやら、中島はるみだけでなく、これまでの4人全員が近藤照男プロデューサーの好みだったというのが、スタッフの共通した認識のようである。
しかしながら、中島はるみはオーディションという難関を突破しているのだから、近藤照男氏の好みだけではないと言ってもいいと思う。