「空の境界」(奈須きのこ・講談社刊)投稿レビュー


はじめに

 本来、「片隅の部屋」は、『ゲームレビュー』がメインのHPです。
 とはいえ、「Fate」にハマったレンニャクさんに、これ(空の境界)を読んでいただきたい、
 という事もあり、異質では有りますが、色々と語らせていただきます。

 実際のところ、『空の境界』は、「月姫」「Fate」と原作者が同じだけでなく、
 「世界観」も全く同じだったりします。
 扱われる題材が違うだけで、知っておいて損はしないと思っております。

 そもそもこの作品、2001年12月のコミケで発表されたものの、
 その時点ではType−Moonは商業活動しておらず、
 2004年6月になって、講談社から、加筆修正されて発売された作品です。

 実際のところ私も、その時点では名前を知っているくらいで、
 まさかあの当時は、ここまでメジャーな存在になるとは思っていなかったわけで。

 ただBBSで読め読め言ってみたところで、あまり印象に残らない、
 様な気もしましたので、今回改めてレビュー記事に致しました。

 では、「奈須きのこ」ワールドへ、いってらっしゃいませ〜♪
 (念のためですが、空=「から」、と読みます)


■俯瞰風景(始まり)

 …肉体は器。外界と自身を区別するための境界。
 その境界こそが、わが世界。その名は…○○(ネタバレ)。

 肉体を司る脳髄がある。その中には、「陽」である「式」と、
 「陰」である「織」が存在する。

 そして、このふたつの人格と世界が織り成す、「境界を巡る物語」…。
 ここは異界。抑止力すら働かない、閉じた世界…。

 この世界と時間が織り成す螺旋、この先には「根源の渦」が存在するのか…
 魔術師たちが求めてやまない、その領域へ…

 そしてこの領域に取りこまれた者は、死ぬまで、…いや、生命の死など意味をなさない。
 世界の記録は、永遠であるから。
 記憶など、世界の一部である人間の、更にそのまた一部に過ぎないのだから。

 有限があってこその無限。ソレがこの世界の正体なのか…


■あらすじ

 ――三月の終わり。
   雪の夜、
   僕は彼女に出会った。

 極普通の高校生だった黒桐幹也は、一人の少女と出会う。

 萌葱色の紬。透き通るような白い肌。
 黒檀のような、髪。
 けれどそれは、無造作に切りそろえられていて。

 その割には、紬の上に赤い革ジャンを羽織っていたりして、それが何ともいえない雰囲気を醸し出していた。

 小さな少女を思わせる顔立ちには、全てを見通すかのような、瞳が輝いていた。
 その瞳こそは、万物の綻びが見通せる、「直死の魔眼」。

 生きているものならば、全てのものの「死」が視える魔眼。

 彼女の名は、「両儀 式」。
 
 だが彼女を特徴付けるのは、その魔眼や外見だけではない。
 彼女の中には、かつて二つの人格が存在していた。

 とある事件に巻き込まれた彼女は、「織」という半身を失った代わりに、
 「直死の魔眼」に目覚める事になる。

 半身を失って空っぽになった彼女は、その「 」を埋めるために、
 戦いを、命のやり取りを渇望する事になる。

 ――用意された駒は三つ。
 死に依存して浮遊する二重身体者。
 死に接触して快楽する存在不適合者。
 死に逃避して自我する起源覚醒者。

 ――互いに絡み合いながら相克する螺旋で待つ。

 そして、この螺旋が辿り着く先には、何が有るのだろうか…

 (筆者注:一部、本文より引用)


■グラフィックとサウンド

 …脳内でFateのサントラを再生してください(爆
 ちなみに各章の扉以外には、絵は有りません。日頃鍛えた妄想力が試されます(笑)。

 当然ですが、挿絵は武内 崇氏が担当されております。

 …突っ込みはナシの方向でよろしくお願いします。


■ストーリー

 主人公である両儀式が、その魔眼と戦闘能力でもって、
 幽霊とか、超能力者とか、魔術師とか、いわゆる不条理な存在、と戦う物語です。

 死が視えてしまう彼女は、非日常、つまりは命のやり取りでしか、
 自分が生きていると実感できない人間になっています。
 それゆえに、彼女の日常は空っぽで満たされています。 <表現が変ですが、これで合っています

 黒桐幹也が、なんとかその隙間を満たそうとするのですが…
 彼もまた、私たちと同じく普通の存在ではあるものの、
 「普通でありたい」と願う時点で、常人離れしていたりしますが。

 「あらすじ」のところで触れた「三つの駒(=登場人物)」が登場する章が、
 本編において最も重要なエピソードになります。

 そして、その駒を用意した人物こそ…

 ただ、彼は物語の中盤で式に斃されます。
 単純にエンターテイメントに徹するならば、ここでこの物語は終了なのですが、
 その後のお話は彼女自身の秘密に迫る物語に移行します。

 そして物語は、静かに幕を下ろします…

 …初めて出会ったあの時と、全く同じ状況で…
 
 物語中には、多数の伏線が張られていて、ちゃんと理解したいのであれば、
 2回以上読む方が賢明です。

 ついでに言うと、各章毎に様々なタイプの「異常者」(日常では生きていけない者達)
 が登場しますので、橙子さんの説明(幹也への)をちゃんと理解できないと、
 面白みは半減してしまいます。

 時間をかけてゆっくりと、何回も読み返すくらいの気持ちで取り組んだ方が、
 良いかと思われます。  

 もちろん、Fateでもおなじみになった、魔術師たちも敵として登場しますが、
 先に出た「駒」の方が敵としては重要キャラだったりします。

 読後の感想としては、熱く血が滾るというよりは、
 思考がクリアになってきて、なにか魔術でも発動できるのではないか、
 という感じです。冷静に熱くなる、という表現でとりあえず締めておきます。


■シナリオランキング

 …一本道なので、そんな気の利いたものはありません。 <なら書くな
 例えばこれをベースにしてゲームにするとしたら、ラスボスは一体誰になるのやら…
 あくまで現代世界をベースにした伝奇系ノベルなので、かなり難しいでしょうね。

 あえて章のみで答えるならば、

 矛盾螺旋>痛覚残留>忘却録音>伽藍の洞>>俯瞰風景>空の境界>境界 式>>…>>殺人考察
 …といったところでしょうか。

 分からない?…とりあえず、「読め」。 <命令口調

 根拠を敢えて挙げるとすれば、その章に登場する中心人物の活躍っぷりが影響しています。
 誰がどの章で活躍するのかは、読んで確認してみてください。


■キャラランキング(一応上から好きな順で並んでます)

 ●黒桐鮮花:勝気な姫様…もとい、妹です。
  彼女のモノローグは、「マリア様が〜」にちょっと似ていたり。 <実は小説でファンになった人
  行きがかり上、橙子さんの弟子(スールではない)になった彼女は、
  魔術師として、(ほんの少しですが)活躍もします。
  芯の強いヒロインは、大好きです。でも私は妹属性ではありません(あれ?)。

 ●両儀 式:得物が殆どナイフ一本なのが玉に瑕。
  実は、ちゃんと刀を振り回すシーンもあるのですが…勿体無い…
  やはり、刃物と言えば「日本刀」。これしか無いです。もっと刀を振り回して欲しかった…。

 ●蒼崎橙子:多少トウがたち始めたお年頃のお姉さま(ああ、だから「トウコ」なのね)。
  とりあえず、「ロサ・キネンシス」の称号を貴方に捧げます… <作品違う
  このお方が居なければ、このお話は理解不可能でした。その功績を称えて。

 ●荒耶宗蓮:流石は齢○○年の坊主(天台宗系の密教)。
  …っていうか、魔術師なんだけど。
  死にゆくその瞬間まで、自らの理念に殉じたその姿は、まさに鋼の精神。
  言峰神父とはまた違った意味で、「悪役の魅力」あふれるお方です。

 ●浅上藤乃:好みは分かれるかもしれませんが、痛みと引き換えに得た能力。
  …なるほど。この世界って、本当に何でもアリ、なんですね。
  超能力をかなり理論的に捉えるシナリオに、もしかして、
  本当に彼女みたいな能力者が居るのでは、と勘違いしそうになりました。

 ●燕条 巴:中途半端な、偽物男(俗に言うヘタレ)ですが、やってくれました。
  弱いながらも、自分の意思で前に進もうとした気概に拍手。

 ●黒桐幹也:読者視点の中心人物。
  ですが、最後の「アレ」で、完全に他人の感覚になりました。
  衛宮士郎(遠野志貴でも可)と違って、自らが積極的に戦うことはありませんが、
  この物語を俯瞰する存在なので、辛うじてこのポジション…。
  
 <以下、ランク外の方々>

 ●白純里緒:○○○○にしては、小物過ぎです。
 ●巫条霧絵:…すいません。2回目に読み直したとき、今更ながらに存在を思い出しました。
 ●玄霧皐月:魔術師のクセに、アクが弱すぎです。っていうか、そういう設定なんですが…

 …でも、コメントすら出来ない、登場人物も居るんですけどね…(滝汗)。


■「空の境界」と「Fate」の関連性考察いろいろ

 ●因果関係と体用関係の理論(≒奈須きのこ氏の魔術理論?)

 「空の境界」、2周目読破完了(笑)。…っていうか、かなり毒されてます。
 日常と非日常の境界は、自分のどこにあるんでしょうか。
 この物語を読破して以来、かなり曖昧になってきました(滝汗)。

 この物語自体が、実に様々な哲学やら思想やらを含んでいるので、
 人によっては、難解な文章と思われがちだと思います。
 ですが、「根っこ」にある部分が理解できれば、理解でき、かつ楽しめるかと。

 ということで、しばし私の駄文にお付き合いください。

 …まず、「火事の原因」を考えてみてください。
 「タバコの不始末」とか普通は考えますね。
 これが、因果関係です。
 コレとは逆に、「家が火事を呼び込む構造をしていた」と考えるのが、
 「体用関係」です。…家相とか、風水。

 因果関係はそのまま、西洋合理主義(現代日本もこれに近いですが)。
 体用関係は、東洋思想、元々は中国原産ですが、日本にも影響を及ぼしています。

 これは、それぞれの宗教的思想にも影響を与えています。
 例えばキリスト教では、唯一絶対の神(エホバの神?)が存在しますが、
 東洋世界、こと日本においては「天照大神」が絶対神ではなかったり。
 (八百万の神々の一人、現代に例えるならば議長に近いです)

 ちなみに神社の格は、島根の「出雲大社」が一番だったり…。
 国を譲った(=天照に負けた)オオクニヌシが、天照より『格上』であるという不思議。
 まあこの辺は、「歴史モノ(バレバレ)」を語る時にでも…。
 キリスト教世界では、「神と悪魔」のポジションは絶対に変わりませんが、
 東洋世界では贖罪の末、天界に復帰した?神様や仙人の話があります。

 「苦しい時の神頼み」と言う言葉が示すとおり、
 日本人は神様を「従うべき」絶対の存在と考えていなかったり。
 だからこそ、「エヴァンゲリオン」のようなフィクションが紡ぎ出せるのですが。
 ヨーロッパ辺りでアレをそのまま上映すると…大変な事になります。

 東洋世界では神のお導きに従う代わりに何をするのかというと、
 「世界の構造を知り、その流れに乗る事」であると言えるのでは?
 火事にならない家=平和で長生きできる家と社会…と言い換えれば、
 少しは分かりやすいかも。

 んで、世界の構造を端的にあらわしたのが、…そう、あのマークです(太極を表しています)。

 …陰陽転化。道士のシンボル。韓国のマーク。
 漢方医学では、体のリズム。調子の良い時と、悪い時のバランス。
 コレをうまくコントロールする事が、東洋医学の真髄。

 …謎挨拶(俯瞰風景)のところにありましたね。
 肉体という器=世界の中に、陰と陽…それぞれが争うのではなく、
 器の中で時間と共に変化しているのです。
 マークではタダの平面ですが、時間軸(または空間の概念)が加わると、「螺旋」になります。
 どちらが正義で、悪かという物ではなく、互いに相生・相克の関係にあります。

 例えるならば、太陽と月が、交互に空に浮かぶように。
 このバランスとか、リズムが狂うと、世に災いをもたらす、と考えられてきました。

 これが世界の構造。根源にして「太極」。
 中国では、これを会得した者は、神を超えた「仙人」になれると考えられています。
 ちなみに存在論としては、天(意思体?)>仙人>神>道士(修行中)>人間の順です。
 とはいえ、「人間は仙人になれる可能性があるから」、神より偉い、とも言われています。

 …さて。魔術理論と魔術回路。
 魔術を発動するには、自身の体に魔術回路、
 という「構造」を持っていなければいけません。
 魔術と言う結果を生み出すために、構造が必要な点。
 呪文を唱えたから魔術が発動する(因果関係)のではなくて、
 魔術が発動できる肉体を持っているから(体用関係)、…ということです。
 
 …憶測ですが、奈須きのこ氏はこう考えて、
 作品の世界を構築したのではないかと。
 (…少々強引ですが、ようやく結論まで辿り着いた…)

 ●Type−Moon作品の前置きについて

 とかく「長い」と言われがちですが、作品の性格上、仕方ない事かと。
 架空の物語世界を紹介するに当たり、
 われわれが日常接している世界と異質であればあるほど、
 その世界の「常識」をどこかで説明する必要があります。

 本文中からの引用になりますが、
 「常識から外れた者は、自分を異常者だとは思っていない」とか。
 (異常者にとっての普通=常識外である事、だから)

 「空の境界」では、黒桐幹也と蒼崎橙子。
 「Fate/stay night」では、衛宮士郎と遠坂 凛、あるいは言峰神父。
 彼らの会話を借りる事で、魔術世界(不条理)の常識(一般社会の感覚からすれば非常識、または神秘)を、
 説明する格好になっています。

 ひとつ注意しなければならないことがあります。
 それは両作品とも、「魔術」と「魔法」をはっきりと区別していること。
 魔術とは、技術であり、また学問である、と(蒼崎橙子氏談)。
 ノウハウである以上、継承が可能であり、キレを磨いたり、威力を高めたりできますが、
 それでは到達できないものとして、「魔法」という言葉が使われています。
 特異な能力とか、本当の意味での奇跡とか。
 技術では到達できないもの。例えば天才と凡人の差?
 そのゆえに、Fateでは凛が最初(プロローグ)に登場するのかもしれません。

 子供の頃、初代ガンダムの放送(当時小学6年?)を見て、
 「もびるすーつ?」と素で返した記憶が。
 確か、ロボットの一般名称が出た作品は始めてだったような…。
 (固有名詞としてのザクとか、ガンダムとかは理解できても、ということ)
 それ以前の作品、例えば鉄人28号とか、マジンガーZとか。
 「ロボット」以外の言葉を知らなかった当時の私は、結構戸惑った記憶が今なお…。

 どういう事かというと、モビルスーツが当たり前に存在する世界では、
 (常識だから)誰もその存在を説明しない、って事です。
 現代に例えると、アフリカの奥地で、携帯電話について聞かれるような。

 どんな物語であれ、最初に世界設定の説明が必要なのですが、
 先に長々と述べたように、非常に特殊な設定であるが故、
 ト書きだけに飽き足らず、プロローグ部分でも説明的表現が…
 普通、魔法とか言ったら、大抵は「呪文」を唱えてハイ、ですから…。
 「そうではない」と言うためだけに、あれだけ時間を割いているようで。
 
 …というか、私のこの長文も、趣旨は同じなんですけどね(滝汗)。
  
 ●聖遺物(Fateでは聖杯)=アーティファクトについて

 日本人は「神」という概念を勘違いしがちです。
 「イエス=預言者」であって、信仰の対象(像とか)ではあっても、
 神そのものではないということ。これはかつてローマ教皇が、
 長い議論の末に出した結論でもあります。

 簡単に言うと、預言者とは、「神の言葉を聞ける者」ということであって、
 「神の代行者」に過ぎません。

 それでもその母マリアと息子イエスは信仰の対象となり、
 聖者として扱われては居ますが。

 今でも「遺品」とか言いますが、そのイエスがかかわった物が、
 (真偽はともかく)聖遺物と呼ばれています。
 例えば、イエスの亡骸を包んでいたとされる「聖骸布」。
 …Fateの第3部に登場しますね。

 こと聖杯に関しては、伝説ばかりが先行して、実物はどこにも
 存在しないとも言われています。
 ただ、人の願いを叶える「宝」として、人々の願望が形になったもの。
 それが、「聖杯」と呼ばれるものの正体かもしれません。

 後、有名どころとしては、イエスを処刑する時に使われた槍、
 これは「ロンギヌスの槍」と呼ばれています。

 ●英霊、といえば…

 日本なら、源義経、中国なら、関羽(関聖帝君)または岳飛(岳帝)。
 華僑の世界では、単 雄信とか。

 誰それ?という人のために、「宋史通俗演義」「隋唐演義」とか。
 ちなみに私、通勤時間が長いので、こんな本読んでました。

 「空の境界」を読んでいたのは、殆ど通勤電車の中でした(笑)。
 自宅では全く読んでません。

 ●世界三大宗教について

 不思議なことに、ブッダもイエスも、「弟子の言行録」はあるものの、
 本人が手がけた著作が全く無かったりします。
 イスラム教では「コーラン」と呼ばれる経典があり、マホメット自身が
 宗祖であり、また布教家でもありました。
 先の二人は、弟子たちが居なければ、そこで終わっていた宗教なのです。

 それゆえに、教義の解釈を巡って色々に分派し、現在に至っているのですが。
 (ご当人が「これが○○教の真髄」と明言していないため)

 余談ですが、イスラム教では偶像崇拝を禁じています。
 なぜか。
 それは、アッラーの神は偉大であるから、人が作ったモノ(像)など、
 ニセモノに過ぎないからである、ということです。
 もう少し踏み込んでみると、神には人間のごとき体など必要の無い存在であるから、
 形など最初から存在しないから、とか。
 それでも総本山として「メッカ」が存在しますが、
 端から見れば、ただの囲いにしか見えないのも事実。 <かなり暴言?

 そのせいで、歴史的遺物だろうが、ましてや(彼らから見て)邪教の神の像など、
 「破壊して当然」などとという行動に出るわけで。

 アラブとイスラエルが血みどろの抗争を続けるのは、単純に「怨恨」だけではなくて、
 その戦いが「神のご意思」によるものだと考えているからです。
 (或いは異教徒を邪教の信者と見なし、神にまつろわぬ者として殺そうとしたり)

 日本(東洋世界)は人中心ですが、あちらでは『神>人間』が絶対的である以上、
 神が決めたこと(イスラエルは神がユダヤの民に与えたカナン(約束)の地であること)を、
 人間側の都合で変えたり出来ないから、根が深かったりするのです。

 ●レンニャクさんのレビューについて若干の補足

 「理想を抱いて、溺れ死ね」

 …Fate第2部でのアーチャーの台詞ですが、これに関連する内容です。

 まず、アーチャーという存在は、衛宮士郎が「正義の味方」になるために、
 力(禁呪)を手に入れ、守護者となった「なれの果て」、であるということ。

 さて。誰しも子供の頃は、夢を抱いていたと思います。
 そういえば私は、子供の頃、何になりかったのでしょうか。

 もう少し最近の話にしましょうか。
 自分が大学を卒業して社会に出た当初、やり甲斐を求めて、とにかく一生懸命に生きてきました。
 ところが今現在はどうでしょう。

 すっかり自堕落になって、日常は胃が痛くなる様な事だらけ。
 実力があって何かある度に、頼りにされるのはいいが、そんな日々に、当初の目的すら忘れていたり。

 なまじ力があったばっかりに、自分は仕事の連鎖から抜け出せなくなって。
 気が付けば、減らず口をたたく嫌なヤツになっていたり。

 そんな自分の前に、昔の自分と同じく、夢ばかり追いかける男が現れた。
 …というよりは、自分自身だった。
 彼には結果が見えていた。千里眼とかじゃなくて、他でもない、自分自身の経験として。
 
 過去の自分には、夢だけじゃなくて、現実もしっかり見つめて欲しい。
 それを分かった上で、なお夢を追い続けて欲しい。もっと違った未来が開けるはず…

 …ただの八つ当たりから始まった喧嘩ですが、アーチャーは、こういった心境になったのではないでしょうか。


色々と雑想とか

 Fate第2部は、戦う男達の物語ですが、その魅力は何処にあるのでしょうか。
 私自身は、単なる外見上の格好良さだけでは無く、その姿勢に惚れ込む事が多いです。

 戦いそのものよりも、その戦いによって得られるもののために、剣を取る。
 戦いはあくまで手段であって目的ではない。
 戦いそのものを目的とするならば、それは殺人を嗜好することとなんら変わりない。
 
 空の境界では、「人殺し」と「殺人鬼」を明確に区別しています。
 他には、「殺人」と「殺戮」の違いとか。

 殺人衝動を持ちながら、「人を殺す」ということの意味を一番わかっていた、両儀式。
 でも彼女は未完成だから、大切なものが何なのか、分かっていなかった。
 ただただ、命のやり取りで生じる、高揚感だけが彼女にとって一番、生を実感できる瞬間だった。

 すぐそこにあった。すぐそばにいた。
 なのに、気付きもしないで、戦いだけを求めていた。
 そんなものでは、決して彼女の「 」は埋められないのに。

 ――なんて、矛盾。
 ――なんて、皮肉。

 もう二度と手に入れられなくなったその時に、気が付いたなんて――

 「 」は、「何も無い」ことじゃなかったんだ。
 いくらでも詰め込める、っていう事は、幸せなことなんだって。

 「戦うことに意味を求める」というのは永遠不滅のテーマでもありますが、
 何をするにも、「何となく」よりかは「自分の大切な何かのために」の方が説得力があります。
 (登場人物に共感しやすい、ということです)

 セイバーは、自分の過ちを正し、自分の全てを無に帰すために。
 アーチャーは、士郎にかつての自分と同じ過ちを犯させないために。
 両儀式は、黒桐との小さな幸せを守るために、戦うべきだったんですが…。

 しかし、両儀式は、最後の最後でようやくその境地に至りました。
 そうやって考えてみると、「空の境界」は両儀式の成長物語でもあるわけで…

 いちいち理由が必要なのか、と思われたのであれば、
 まずは自分の立場に置き換えて、考えてください。
 例えばゲーム。楽しくなかったら、途中でやめてしまうでしょう。
 例えば仕事。漫然とやっているより、喜びを見出せた方が、張り合いが出るはずです。

 私は週末に浪費するためだけに、働いているような気が…(汗)。


■蛇足的補記・「hollow」とかの雑想

 ●「Fate/hollow ataraxia」雑感とか

 2005年秋に発売されて好評を博した「Fate」のファンディスクですが、
 当方なりに感じた事をつらつら書いてみようかなと。

 とりあえず作中では聖杯を(普遍的な意味でのアーティファクトとしてではなく)願望機、
 として扱っている関係上、その力の大小にかかわらず聖杯には変わり無いわけで。

 士郎達が活躍する本編以前の聖杯戦争において、アインツベルンが持ち込んだ
 「この世全ての悪」、ことアンリマユ。
 彼の意思が聖杯に飲み込まれた時点より、聖杯に満たされたモノは純粋な力ではなく、
 彼の意思に影響され、悪意に満ちた力で満たされる事となりました。

 時を経て、彼は聖杯の力によって漸く本物のサーヴァントとなり、
 第8の英霊(アベンジャー)として暗躍する事になるのですが…。

 そもそも彼は、普通の青年だったのが、村人に祭り上げられ、
 「この世全ての悪」という、およそ本人の性格に似つかわしくない存在として扱われました。

 悠久の時を超え、怨むべき対象であった者達は、かつて存在した集落と共に
 廃墟と化し、もとの荒野へと還っていきました。

 ――願わくば、この行為に意味があったと、信じたい――

 アンリマユは「この世全ての悪」なんていう、分不相応な名前を頂戴していますが、
 根っこが普通の人であったせいも有って、結構イイやつに描かれていますね。

 どうしてかというと、彼は、「全てを失った(奪われた)」人間だったからでしょうか。
 失ったものの大切さを、理論ではなく経験として知っている人間だからこそ、
 暴走しかけたライダーを救う事が出来たり、やけっぱち気味のバゼットを最終的に救えたわけですし。

 例えるならば、お金の価値。
 お金が大切だという感覚は、お金持ちより貧乏人の方が切実に感じている筈です。
 …多分、そういう感じではないかと。

 こうやって考えてみると、Fate第3部ラストで、言峰神父が士郎の前に立ちふさがったのも、
 あながち間違いな行動ではなかったの「かも」、と思ったり。

 ●「空の境界」から読み解く「hollow」

 「ホロウ」という言葉の中には、「空虚」という意味も含まれるようで。
 作中で明確にされてはおりませんが、「虚無」と区別されています。

 言葉のアヤ、みたいなものですが、空虚とはすなわち「からっぼである」という事。
 対して虚無とは「何も無い」ということ。

 空っぽ、という言葉の中には、『中身が』という主語が付くべきではないかと。
 それが意味するモノは、器、容器、入れ物。
 (空である、という事を認識するには、外界と区別する境界が必要、という事)

 例えるならば、(PCの)ハードウェアがそれ。
 アプリケーション(ソフト)を入れる事で漸く「何か」になります。

 これを「きのこ世界」に当てはめるならば、器とは魂の入れ物、肉体を指します。
 つまるところ、「□□□□」というソフトを立ち上げているか、
 「■■■■■」というソフトを立ち上げているか、で変わるのではと。

 この手の話は、Fate本編でも出てきませんが、「空の境界」で出てきます。
 「両儀 式」という人物は、肉体である「シキ」というハードウェアの上に、
 「式」と「織」という陰陽を司る人格がOSとしてインストールされているわけです。

 これには勿論からくりがあって、目的・用途に応じたアプリケーションをインストールすれば、
 隠密行動専用の式とか、戦闘行動専用の式が出来上がるわけで…。
 作中では、刀を手にした式が剣術家みたいな雰囲気になってましたね。
 完全であったかどうかはともかく(汗)。

 …これで気がついたかもしれませんね…伏字には「衛宮士郎」「アンリマユ」が入ります。

 余計ついでにもう一つ。「聖杯」もまた、器であるという事…
 空っぽであるがゆえ、「何か」で満たさねばならないという事。

 聖杯とは作中で「願望機」、として扱われていましたね。
 「Fate」に登場した英霊たちは、その殆どが何がしかの悲劇の主役であり、
 またそれ故に英霊たる資格を持っていましたが…。

 彼らが望んだのは、その人生で得た悪名や悲劇の清算ではなく、
 普通の生き方、ただそれだけの願望を持っていただけなのではと。

 それらを一つづつ、叶えていく事で、聖杯は満たされていき、
 満ちた後、再び無に還っていくわけですね…

 聖杯が創り出した4日間だけの箱庭の世界は、ソレが内側の出来事であるがゆえ、
 そこから見上げる出口は月の如くぽっかりと空に向かって開いていたり。
 聖杯が創り出した空虚な境界(入れ物)が満たされ、あふれ出し、
 外界との区別が出来なくなり、それは虚無へと還る…

 「hollow」とは、そういうお話だったのでは、と思ったり。

 ●「Character material」について

 2006年夏のコミケで販売された、イラスト付き雑談本なんですが、
 きのこ世界における設定の一端が垣間見える本なので、こちらの感想とかも書いておきます。

 例えば作中にある「月姫2(仮題)」が形を成すとすれば…。
 (注:本編前書きにもある通り、この本自体が次回作の元、という事ではないです)

 そもそも、かの月姫、Fate、空の境界、の3作を見回してみても、
 魔術協会と聖堂教会は、物語を彩る一要素としてしか扱われていませんでしたが、
 ここではかなりそちら関係の記述・設定(構成員)の類が豊富にあり、
 もし実現すれば、錚々たる実力者達が鎬を削る、戦いの物語になるのではと。

 例を挙げると、魔術協会側では、バルトメロイの名を冠する、協会の実質的No.1とか、
 聖堂教会側では、(シエル先輩の上役?)メレムとか。
 吸血鬼側では、二十七祖のうちでもかなりの実力者が名を連ね、
 この辺りの一大決戦が話の中心になりそうな雰囲気ですね…。

 ただ、過去作品においてもそうですが、読者視点となるべき、
 この戦いに巻き込まれる、(秘めたる才能とか実力はあるものの)主人公が居ませんので…
 世界観が特殊であるがゆえ、黒桐幹也とか衛宮士郎、遠野志貴みたいなキャラが
 必要と言えば必要ですが…(=説明をするためのキャラ)
 ある意味ファンディスクみたいな位置付けの作品になるでしょうね、
 …本当に世に出るとすれば。

 そういえば橙子さん、(約)10年前は割と普通のキャラだったのねと。
 髪はまだ黒いし、メガネもかけていないですし。

 ついでに補足しておきますが、日本になんであんなに封印指定級の大物魔術師が
 多数居るのかと言うと、「魔術協会の目が届きにくい地域」(ぶっちゃけ田舎)だから、
 …だそうですね。それ故に某F市とかでは聖杯の実験をしていたわけですが。


謝辞とか

 いやはや…今回のレビューも、かなりの長文と化していますね…(追記までしてるし)。
 ここまで読んでいただいた方、どうもありがとうございました(ぺこり)。

 そういえば本編の巻末に、専門用語を書き連ねた、
 随分と読み手を選ぶ解説が付いてましたね…私の今回の投稿は、
 あの記事に対するアンチテーゼなのかもしれません。

 少しは読み易くなるよう、努力したつもりではありますが、
 筆者の理解不足とかも有って、意味不明な部分もあるかと思われます。

 ご意見・ご要望・説明不足の点がありましたら、BBSまたはメールにてお問い合わせください。
 出来うる限りの対応はさせていただきたい、と思います。


更新履歴

 ●Ver.1.00 テキスト文をHTML変換、Web公開開始(2005.03)
 ●Ver.2.00 「hollow」「Character material」雑感追加(2006.09.02)


[EOF]

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