いろいろ 2005年5月29日 引っ越しの準備をしていると我が家には碌なものがないということがよくわかります。 碍子、マンホールふた、アウディのホイール、天筒花火・・・・・。 片付けは下手ではないと思っていたのに結構いろいろ出てくる物です。これの中から、また選ばれし物が引っ越しの荷物の中に入る事になります。 例えばこれは、石。でもマンボウに見えるから捨てられない。
いらない物はさっさと捨てる方だと思っていたのに、押し入れの奥にはこんな本もありました。
おっさんみたくなった息子の幼いときの愛読書だったこの生き物図鑑はぼろぼろ、ウルトラマンの本も同様です。いもとようこさんの絵本も捨てがたい。 いったいいつ誰が捨てるの?
今回の引っ越しでは、タンスなど大きいものを処分をするつもりです。 いろいろ 2005年5月27日
昨日は人工肛門にする決断から一周年の日でした。 去年の予定では私がこの測定をしてお役に立つ?はずだったのにねという様な話しをしました。先日のCFからみると私のストーマからの腸は予想外に細く、これからこの器具を使って調べる事は物理的に無理だそうで、やるとしたらガイドワイヤーを使ってやるかな・・・自分の事は知っていたい知りたがりの私としては私の腸の神経を知っていたいという思いがあります。 このかたも私同様で、大腸は伸びたストッキング状態だったそうです。ワゴをうっても反応なし、私も下痢でロペミン飲んでも止まらないのと同じです。 そんな中、キシリトールガムをかむことで便秘が解消される場合があるという噂を耳にして、昨日実践してみたのですが案の定反応はなしでした。 いろいろ 2005年5月22日 ほぼ一年ぶりのジーンズは、きつかった。 試しにジーンズを買ってみました。
骨盤を締める体操を少しずつはやっていますが、肛門、尿道双方とも実際には日常使われてはいないので、どんどん広がりそうです。 恐ろしいもので、ゆるゆるにすっかり慣れている体には本当にきつく感じます。オペ前より大きめのサイズにして、多少のガスには対応できるつもりでいますけれどどうなるでしょうか。 これをはいてみると、どれだけ体型が乱れているのかがよくわかります。 いろいろ 2005年5月21日
5月3日のいろいろを見返してみると笑いを持って接するということが記されています。 悩みなどという物ではなくて実働を伴う、こなさねばならぬ作業の様なものが迫っています。 父母、息子そして私とそれぞれが違う屋根の下にいるという事も始めてのことですが、みんな何を考えているのか??? たまたま去年、自分が排泄ができないという肉体的に実感できて必要迫られて人工肛門を造ったということがありました。私はその時に命というものをちょっと考えた・・・・ ずっと健康とは言えなかった私は(精神的に参っていた時も含む)ぐちぐちとそこら辺の事の本を読んだりもしていました。
ところが、それが実際予想もしていない人に突発的に起こると、周囲はうろたえるのです。 昨日は、だいぶクリアになっていた母の意識。クリアになっていたのではなくて、話しをしているうちにしっかりとしてきたと言った方がいいかもしれません。
私が病室に入っていった時には、はさみでパジャマの袖を切っていました。 買い直し!!・・・・アカパジャマキパジャマチャパパジャマ・・・そんな冗談を言って返せば良かったのに、私はむっとした気持ちを押さえて「明日ね」としか言えませんでした。 いろいろ 2005年5月18日 私は自分のオペ後、最初のガーゼ交換の時から好機の眼でそのお腹にできた傷を眺めました。
もちろん傷以上に見たかったのは、そこに新しく造られた人工肛門のほうだったのですが。 それでも、ここから排泄をするのだという知らない世界を怖く感じていました。 母は胃の切除をしたのに全くと行っていい程、心配というものをしていないかのように見えます。
呆けているかのようであり、そうでないようでありという状態の中にいます。
わたしは心のどこかで、このままこんな状態でいてくれたら、自分のおかれている状況を知らずに済むのではないかと思ってしまいました。 いろいろ 2005年5月15日 村上龍の「希望の国のエクソダス」の一説がどうも気になっていて、引っ張りだしてみました。 「現代のもっとも大きな問題は、高齢化社会と少子化にあると思います。 現代の『姥捨て山』を作ればいいと思います。 (中略) 老人だけの町を作って、老人は一部の役に立つ人以外全員そこにある施設に住んでもらいます。山の上にその施設を作って、そこまで歩いていってもらって、たどり着ける人だけが、その施設に住めるようにしたいと思います。 (中略) ただ長く生きているだけの人は、もう必要ありません。 働かず、勉強もせず、病気がちで、威張っていて、説教が好きで、演歌とか盆栽とかテレビの時代劇とかすでに滅びてしまったもの、 (中略) 昔は良かったという口癖を繰り返し、努力せず (中略) そんな老人たちを僕たちの労働で養うのはまっぴらだと、みなさんそう思いませんか。」 中学生が学校を捨てて、経済の停滞が続くなかネットビジネスを開始したという話の中の一部です。
大分前に読んだものなのにこの頃、気になって気になって。 いろいろ 2005年5月12日 大腸ファイバー無事に終わりました。
ちょっと無理を言って写真を撮ってもらいました。 この時は、まだ少し入り始めたところです。麻酔はなしで行ったので、この後のカーブをカメラが通る時がとても痛かったのですが、そこを抜けると痛みはあまり感じることもなく、しっかりとモニターを見ている事ができました。
ゆうべ、マグコロールできれいにしてから今日は何も排出はなかったのに、肝臓の上あたりのところにさしかかるとマグコロールの池になっていました。 いろいろ 2005年5月12日 4月から施行されたという個人情報保護法とかでいちいち面倒くさい。 病院でも病状の情報を医師が家人に話をしてもいいのか、本人の承諾がいるらしい。 「お家の方と一緒に来てください・・・・」で、「あれっ、あまり良くないのかしら」いうのが今までだったけれど、「お家の方にもお話してもいいですか??」になったということです。 今、私が感じている感想としては変です。これ。 また、せっかく私が聞くをいう約束をしているのに本人に余計なことを言う医師もいる。私が今不快に思っている事は胃カメラを行った内科の医師が「胃を全部取る必要はないと思いますよ、僕は・・・」と言ったという事。 その後に僕は外科ではありませんから・・と付け加えてもその言葉は患者の耳にはどのくらい大きく聞こえるのかということを考えて欲しいのです。 いろいろ 2005年5月10日 無断転用失礼します。 人間、余命何日なんて言われた時に、その時間を有効に過ごせるんだろうかね。はなはだ疑問。たぶん、残り時間が 限られたら、これをしようと思っていることって、実際タイムリミットが区切られると出来るものではないのかも しれない。忙しいと思う毎日の時間のなかでなんとか切り盛りしながらやっていく、それしか方法無いかもね。 結局復帰したら、今までと同じにやるし、そのやり方が良かったのかななんて感じている。だれもがそれぞれ違うが 確実に最後の時に向かって時間を削り取って生きているのに、それを本当に実感しないということが生命の不思議 なんでしょうね。 これはキワムさんのオペ前の日記です。 母は忙しくないし、復帰しなければならないという事も特にない。 もし、あっちの世界を事前見学できるのだったら、私はちょっと見てくるねと偵察に行きたい。これなら大丈夫、安心して暮らせるよと言ってあげる事ができる。 いろいろ 2005年5月8日
早起きのたとえとして思いつくのがニワトリというのは、もう凄く古い。今のこどもたちはこんな事は思いつかないだろう。 何時に寝ても、5時には起きるというのは、歳のせいか体内時計がそうなっているのか、目覚ましというものを使う事がなくなった事は確かです。 去年は調度、2度目のオペが終わり退院してきたところです。
一年後に、私は人工肛門、自己導尿で母は胃ガンということはこれっぽちも想像していませんでしたね。 母のことでテンションが挙っていた私も、一人の時間を持って頭の温度を適温にして考えると、詰まっていたものがすっと通る様な感じを持つ事があります。 今日は、たくさん写真撮りましたが、この池以外にも・・・・海とか山とか撮りたい・・ 今日の写真 いろいろ 5月4日 「ぼちぼちいきましょう」と言う言葉、私はよく言われた。 でも、なかなかそれができないのが私だと思う。 この話を”いろいろ”に書くかどうか迷ったが、今直面している問題なのでやはり書かないとと思う。
私におこっている現実は、母が,胃ガンしかも”スキルス”であるという事。あさって入院して、16日にオペとなる事。 情報の時代に、77歳まで病気知らずの彼女は、スキルスのなんたるかをしらない。 ぼちぼちなんかしていられない。 いろいろ 5月3日 Yahoo辞書を見ていたら、新語探検に”お笑いヘルパー”という言葉が出ていました。 介護や福祉の相手に「お笑い」で対応できるヘルパーの事なんだそうだ。 だいぶ前にもブログに書いた事がある方は施設を廻って笑いを提供していらした。これは、すばらしいことだとその時も感心したものでした。
笑えるのってのは、人間だけの特権かも。 自分の人工肛門に酔いしれていた?私は、逆の立場になった時笑いをもって接する、それに努めることを宣言しておかないと |