いろいろ 2006年9月27日



2006年6月の”いろいろ”を振り返る。

月始めには、今回の手術に踏み切るのか迷い、そして判断し、更に手術前には、こんなことを書いていました。


このHPの目的のひとつは、骨盤内臓器下垂の情報のやりとりだった。
情報交換は、まだ一度もできていなかったが、術後はここから情報発信できるかもしれない。

情報集めは、”骨盤内臓器脱””骨盤内臓器下垂”という患者である私の症状からの検索ワードで行ってきました。

ところが今回、医療者サイドからの”骨盤底再建”という言葉を知ることになります。
再建という言葉が、私には耳新しく、マイナー単語の脱、下垂をプラスに変えることができる様な気がしました。

8月に、朝日新聞広告特集に”骨盤臓器脱”に関する記事が掲載されたことで、この疾患に関して、少しわかったわの声もいただいきましたが、まだよく理解できないという意見もありました。
私が書くよりも、より正確に解りやすくと考え、思い切ってリンクのお願いをして、そしてOKをいただきました。

「ここから情報発信できるかもしれない」の実現です。

このページのリンクページから、もしくは、上記の骨盤底再建に関して情報発信です、から詳しい解説を得ることができます。

そして、トータル52日の入院中、朝夕(52×2)!回診してくださり、尚個人ページに力を貸していただいた先生方に感謝です。


いろいろ 2006年9月26日



「クウネルの充実とbetter排泄」のことを昨日書いた、better排泄の薬のことも記録しておこう。

下剤として、ツムラ126、セチロ。
蠕動運動の痛みを止めるものとして、セレキノン、チアトン。
調節は下剤のカマで行ってきて、排便回数がオーバー20で負担だった。

それに対して、精神的なとことから攻める薬トリプタノールが追加になった。
今回の受診では、すべての薬を処方していただき、それを私自身で調節している。
下剤を半分にしてみてもよいとの指示もあった。

昨日は、ツムラ126を3回、セレキノン3回、それにセチロを朝3錠、昼2錠で調節してみた。それにトリプタノール。
これだと排便回数は8回。

普通から見れば多いようだけれど、二桁に比べたらば、負担が少ない。


いろいろ 2006年9月25日



今日も夕方に、一日の空っぽを感じる。
予定が小さなメモにして置かれているが、毎日予定のままで終わっている。

ばらばらにフォルダに入れて、整理が出来ていなかった、6月29日、7月26日の手術に関しての同意書の類いを整理した。

退院証明書も三通ある。
6月27日から7月10日の14日間、7月21日から8月12日の23日間、そして8月28日から9月11日の15日間、計52日。
これだけを病人そして、半病人で過ごしてきたことの事実が書かれている。

52日間のことを薄暗くなった部屋で落ち着いて考えてみる。
そしてやっと、迅速に以前の日常に戻ろうとする方が無理だと感じる。
このところ、少し動くと寝なければならない体力の衰えから、やっと感じ取った。

Ku:nel(クウネル)という雑誌を思い出す。食うと寝るだ。

クウネルダスクウネルダスクウネルダス・・・クウネルダース・・カーネルサンダースみたいだがこれ、目標・・・。
クウネルダスでは心持ち情けない。

せめて、「クウネルの充実とbetter排泄」に。


いろいろ 2006年9月24日



北陸自動車道は米原で分岐して入って行く。
往路は、最初に名神を走り北陸自動車に入るが、復路は、もちろんその逆となる。

すんすん走ってきた北陸自動車とは違い、制限速度80キロにも関わらず、トラックが多く、走りにくく嫌いな部分だ。
その辺りでうっかり間違えると、また、今度は東海北陸道の岐阜高山方面に入ってしまう。
すると、逆戻りだ。

いままで訪れた事もなかった所に、名古屋インターから道がつながっている事も不思議に思えるが、敷かれた道を間違えず・・この条件さえクリアすれば、時間がかかっても目的地に到着する。

今日は、職場の友人と久しぶりに会ってきた。
もう三ヶ月以上休んでいるので、だんだん職場ネタに着いて行けなくなっていると感じた。

さっき、その中の一人から携帯にメールが届いた。

賑やかな方がよいと思ってみんなを呼んだけれど、話をしたいことが喋れなかったのではないかと気遣ってくれていた。
その気遣いがうれしくてこんな返信をした。

正直、ギャップが大きくなってきている事を感じました。
私が一歩踏み出すことができれば、それは解決できる事ではないかと思うのですが、「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。」アームストロングじゃない・・・よ。「職場にとっては小さな一歩だが、私にとっては偉大な一歩であーる。」
エサがないと走ることができない私は、それを取り逃がした今、次のエサをどこに置いたらよいのか考えています。と。

明日は、今の私には目的地となっている職場に、休職の診断書を届けに行くつもりだ。


いろいろ 2006年9月23日



ストーマを造る事になった時は大変な思いをしたのに、それは既に過去の事となって、今度は今の排便に自信をなくしていた。
術後の退院時にはあれほど排便ができなかったのが、通過障害後の退院時に一回整ったかに見えていたのが、今度は、頻繁になり過ぎて参っていた。
中間にはならないのかと苛立ち、早い時期にストーマに戻した方が仕事への復帰は早いのではないかという思いにまで達していた。
やむなくストーマで暮らしている方から見たら、とんでもない思いなのだが、20回もトイレに行っているような日が続くと、そんな気さえしてきた。

手術の際の条件として駄目だったらストーマに戻すとのことで、その駄目だったらの時期にきているのではないかと自分では思っていた。
昨日の診察でその話を口に出そうかと予定していたが、医師からはその話はでなかったし、私も口には出来なかった。

薬を調節して、また2週間様子を見ることとなった。
医師と話をしてきた安心感が、今朝の私の気持ちを楽にしているが、また、2週間の間にそれがどのように変わっている事となるのか。


いろいろ 2006年9月20日



昼ご飯を食べてしまうと、トイレ行きが再開してしまうから・・と14時を廻っていたが、ヨーカドーに。
多分不機嫌な雰囲気で車を止め、歩いていた。すると、横を走る車から声をかけられる。

私が仕事を休んでいることを知っている患者さんだ。

彼女は、数ヶ月前に手術をしなくてはならなくなった時に、実は人工肛門なのだが、身障者の手続きも何もしていないがどうすればよいのかと医師に尋ねた。
その医師に尋ねられて、私が自分のこともお話しして、手続きについて調べたといういきさつがある方だ。

初診でどきどきしていたあの時、声をかけてもたって本当にうれしかった、今度は私が助けるわと。


いろいろ 2006年9月17日



以前にも書いた話が現実になる。

ついに諦めがついて、10月1日からの職場復帰は諦めた。
勤続年数から適応されていた、三ヶ月間の病気休暇が終わり、休職に入る。
前にも書いたかもしれないが、これは、入院中も目標に置いていた事の変更で、私には一大事。

休職となると、給料の支給は20%で、後は傷病手当金になるそうだ。
辞令が出て、医師の診断書の期間は出勤してはならないという命令になるらしい。
復職希望する時は、就業可能の診断書とともに復職願いを提出することになると聞いてきた。
傷病手当金の支給は一年半まで、休職期間は三年まで。

「時間も、一つの治療」とのN先生のお言葉、時間が治してくれる部分は確かにあるのだろうが、現実を見ると私は退化している。

8月の退院時のパワフルさが、目標喪失時の今、なくなっている。

実際、食欲の回復もスロー。
通過障害部分は完全になくなったわけではない。あの痛手が相当効いている。

処方されている漢方をネットで検索したところ、「高齢者で蠕動運動の極端に弱い人に用いる」。 苦笑い。
何かひっかかる。
日頃ならば、ネットで得た素人知識を直に聞くことなどないのだが、N先生にお尋ね。
答え「歳はともかく、腸は高齢者なみ」だそうだ。
余計な事質問するものではない。

魚売り場で、烏賊を眺め烏賊か・・と、蛸も眺め蛸か・・・と。 秋の味覚キノコ栗、禁止されているものばかりだと相当僻む。

食欲がない、動きが鈍い。
動き鈍い、食欲でない。
このサイクルから脱出せねば。


いろいろ 2006年9月16日



こんな風に時間を過ごしてしまったと思いつつ、それに対して、自分で自分を納得させる言い訳をするのは、嫌いだ。
時間に流されたことの正当化と言ってもよいかもしれない。

決まった時間仕事に行っていると、あまりないのだけれど、時間がたっぷりあると、余計にこんな言い訳をしないと済まされない状況になる。

今日は、足の筋肉痛とお腹の調子があまり優れないことで、午前中は起きていた意味がない様に過ぎて行った。

アップルストアに行きたいし、ビックカメラにも行きたい。
iPod shuffleが壊れたからと、室内撮影用の本、もしくはライトが欲しいから。

出かけない理由はただ一つ、トイレ事情のリサーチができていない故。

それが原因と解っているのに、さっさとリサーチ作業をしない自分にあきれる。


いろいろ 2006年9月11日



退院予定日の朝。

日の出時刻も遅くなり、5時半もまだ暗い。
エレベーター前のホールで、目覚めの早い老人が、薄暗い中でテレビの天気予報を見ている。

季節は、変わっている。

昨日は、ヘアカラーを手に入れ、病室でこっそり白髪染めをした。
髪は着実にのび、耳の脇や生え際から白くなっていた。

時間も着実に経過している。

泌尿器科の手術からは約80日、大腸肛門科の手術からも50日が過ぎた。

先日朝の回診の時に、「今日は機嫌が良い」と伝えた。後から、その機嫌は、排便に由来するのだと思って、少し情けない気がした。
今回の入院は、手術に構えていたのではなく、不意だったので、シュミレーションできず、私の機嫌は大揺れだった。

焦る私に、主治医のN先生が、
「時間も治療の一つだと思って」とおっしゃられた。

どんどん経過している時間も、一入院日単位でみると、恐ろしく長かった。

2006.9.6 5:56 ”時期はずれのビーサン”


ある日の日記から・・・

目が覚めたのは、もう3回目なのに、時計はまだ、1時30分。
日付が変わっているだけ、まだましだ。

それでもその時間にうんざりしながら、こそこそとエレベーターで階下に降り、時間外の出入り口から外に出てみた。

夜のうちまで雨脚が強かったのに、それが上がり、暗い空には、ちぎれた様な雲が、たくさん白く浮いて見えた。
そして、その雲の隙間から、ほぼ満月に近い月が見え隠れしていた。

太陽に比べ、出入りをあまり気にかけられていないのに、淡々としている月。
そこに実直さを感じるのだけれど、雲にその光を散らして美しかった。

しばらくそれを眺めていると、一台のバンが、少し離れた所に停まった。時間外外来に来た人だと思った。
停まったのにもかかわらず、そこから人が降りてくる気配がなかった。

数分おいて、気配を感じ、この車の方に目を向けると、降りてきた人は、右足を引きずり、自分の車をつたい歩きしていた。

思わず、「車椅子を持ってきます・・・」と発し、入り口に取りに行った。
相手からすれば、暗闇からの不意打ちだ。
それでも、痛そうにしながら男性は車椅子に座った。それは深く沈み、彼の体重は80キロ以上であろうと思われた。

久しぶりの車椅子を押す感触に、すぐにでも仕事に復帰できそうな、当然無理なのだが、そんな錯覚がした。

元の位置に戻る、つまり仕事復帰が目標なのだが、 8時半から5時までの仕事時間、稼働可能になるのか・・・、今はまだ、想像できない長さの感じだ。


月毎のいろいろ

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