いろいろ 2007年5月30日


発熱の為の早めに入院、点滴による体の管理で熱も下がりました。既に入院は6日目。
いつもの様に手術に向けての高いテンションのまんまで当日を迎えるのではなく、かなり神経は延びきって、以前に書いたゴム状で切れること無くたどりついた感じです。

昨夜NSから渡された指示書をみると「手術14時」「絶飲食30日0時から」付け加えて「手術頑張って下さい」と丁寧な文字で書かれてます。
この「頑張って下さい」は執刀医のM先生にお送り・・・・頑張るのは先生、私が頑張って何とかなるのは術後・・・、そして今夜のことを思うと、硬膜外麻酔で嘔吐が続くのか体がぽりぽり痒くなるのか・・・。

私が希望していた個室が空かないことから、よほど状態が悪くない限り、一晩回復室で過ごした後もこの四人床に戻ることに。
私の手術の前、午前中には、昨日隣のベットに入院してきた方が・・・・

で、昨夜彼女が打ち明けたことには「直腸がんで人工肛門になる」・・・

私はここで黙って、この困惑の「打ち明けを」聞き流すことができず。


いろいろ 2007年5月23日


職場の先輩のお母様がもう十年以上も「外陰部癌」で治療を繰り返しておられます。 大阪の方で、それは歯切れがよく病気にめげる事無くお元気な方ですが、数週間前から症状が進み、麻酔科による痛みコントロールを始めました。
そこで初めて娘にこんな言葉を口にして涙したそうです。
「私は何も悪い事をしていないつもりだけれど・・・何かしたんやろか」と。
場所が場所だし、長い間のその辛さは想像できません。

先日のある講義の中で「病院」と「刑務所」の比較という話がありました。
患者さんは退院の時に「娑婆に帰る」というではないですかと・・・その時に「私何か悪い事をしたんやろか」というこの言葉を思い出し、腹がたち、私自身のことも含めてこの話は理解できませんでした。

いつでもトイレに行く事が出来るように一番後ろに座っていましたが、質問の時間にその意味を尋ねましたが、日常を置いてゆくという共通点というような答えでした。

やはりこの比較は理解できませんが、日常を置いてゆくということでしたらば、私は昨年、病気休暇から休職にはいり、そしてやっとやっと日常を取り戻したのにも関わらず、わずか五ヶ月でまたこれを置いて入院です。
私の気持ちは「骨盤内臓器脱」の諸症状と戦うのではなく、共存しようしているのにどうも身体の方はこれに非協力的です。

さて、今回の手術の目的は「癒着剥離」そして「固形物摂取可能に」です。

あっちもこっちも強い癒着があって剥離が不可能な場合、又は、小腸がとてもいたんでしまっている場合は切除になります。
前回の腸閉塞の手術では、小腸が腫瘤になっている状態でしたのでやむなく切除。残存小腸は150センチです。

そして今回は、術後の万が一に備えて「胃ろう」を造ってくる予定だそうです。
口から栄養を摂れない場合の補給手段は「経鼻」から「胃ろう」へ・・・
つまりプロジェクト「OHANA」は、終了で、必要な時には新しいプロジェクトになります。

ストーマを閉じて、胃ろうを開けるというのもおかしな話・・「骨盤内臓器脱」という基本からそれにより人工肛門、導尿、メッシュそして経鼻栄養さらにと・・・続きます。

入院中トップに置いたこの写真は、jour jourの表紙にと選んていた写真です。
昨年の7月末の「直腸挙上固定術、S状結腸切除吻合、人工肛門閉鎖術(大腸肛門科)」の入院日の朝に撮ったお気に入りの一枚です。
ところが、オリジナルを紛失していて、サイズ変更した物しか残っていなかったというアクシデント、整理保存について反省でした。

jour jourは私に最高の嬉しさを与えてくれました。
最高の位置が高ければ高い程、気分が落ちて来た時にも、ある程度の位置を保つことができるそんな気がしています。

入院は、29日を予定していましたが、昨日からまるで枯葉に火がついたかの様な40℃近い高熱、そして「OHANA」をしていても嘔吐してしまいます。脱水は熱が下がりにくいそうですので、予定変更。明日入院して30日の手術まで点滴による保液で体調を管理することになりました。


いろいろ 2007年5月23日


手術を前にして患者としてしなければならないことは、手術日にあわせて体調を整えることです。

そのつもりで休暇をとったらば、午後から発熱です。
とにかく怠くて動作がとても鈍くなっています。

そして、ゆっくり考えると「骨盤内臓器脱」という病気が私の中で、大袈裟に言えば私の一生の中で随分大きな影響をもったものになったものだと感じるのです。
まだこれからもどの様な体験をさせてくれるのでしょうか。


いろいろ 2007年5月22日


七回目だというのにまたいつもの手術前不眠状態になっています。
それが好都合で、妙に高いテンションでレポート一気に書き終わり・・・。
指定の原稿用紙、黒色のペン、楷書。という条件を満たすお清書をしました。

もちろん、ワードで下書きをしていて、さて、ペンで書いてみると、指が勝手に動く時とは微妙に違った、うまく表現できませんが例えば、漢字に対する配慮とかそんなものを久しぶりに感じました。

投函。ポストの口に手を入れて、更にきちんと入ったでしょうね・・と確かめて。


いろいろ 2007年5月21日


精神対話士養成講座の基礎過程の講義105分の全15回が昨日で終了しました。
先週ひとつの講義だけどうしても体調が耐えられずパスしましたが、何とかなりました。 大学の講義室の椅子に座るもの三十年ぶりで、長時間座るという事に耐える事が難しい私のおシリでした。

死生観、キリスト教、仏教からや、人間論、高齢者について、ターミナルについて等さまざまな内容を現場の医師、看護サイドそして大学の先生などからの講義でした。

ぎゅうぎゅうと頭の中は、まるで即席漬け状態です。
それにしても、世の中知らない事が多いのだと改めて感じています。

宇治平等院住職のお話が最後の講義だったのですが、私の想像とは異なり、とてもお若くパワーポイントを使われてのものでした。
日没の写真をたくさん撮っていらっしゃいました。
鳳凰堂が真東を向いて建てられていて、彼岸には正面から日が昇り真後ろに沈んでゆくのだそうです。これまた私は初めて知って、日の出ハンターは是非これを撮りたいと、講義とは関係ない所で感激したのでした。

緊急入院することなく、講義終了はクリアできたので早々にレポートレポート・・・


いろいろ 2007年5月19日


手術に対する気持ちが揺れていることの原因追求をしていた。ドタキャンするつもりは無いし、今更手術が怖いとか痛いのかのレベルではない。

いつかこうしなければならないことも分かっていて、jour jourの完成まで至ったし、基礎講座は明日で終了だし、そしてエレンタール補給が不十分になった今は、「手術時」だ。この点は理解はではできるのだけれどね。

たどり着いたワリキリ出来ない原因は入院期間「未定」。ここかな。
プラス、前回起こった「術後せん妄」。


いろいろ 2007年5月18日


長久手の人質事件で終夜上空ヘリがとんでました。
最初に怪我をされた方お二人が搬送された愛知医大は、一年前の今日は、母救急車搬送。でしたっけ。

谷川俊太郎さんの詩集「すこやかに おだやかに しなやかに」の中の一部引用させていただいちゃって・・・・

自分をはぐくむのは難しい
自分を枯らすのは簡単だ
あなたをはぐくむのは
ほかでもないあなた自身
あなたはあなた自身を超えていく自分を発見し続けることで

こんな詩を読んでいながらも
「かたおかさん元気そうじゃない・・・」とプライベートな時間に言われると・・・
・・・・顔は曖昧な笑み、「んな、ワケないじゃん・・・」と心が反応。

この次のページには、蓮の花の写真、jour jourにも載せた蓮の写真がここにある事が偶然のようで嬉し・・・。


いろいろ 2007年5月17日


今日は、術前検査と医師からの説明がありました。
検査は採血、心電図、スパイロ、出血時間、胸部レントゲンと腹部レントゲン。

説明では、小腸の癒着部分を剥がしきれるか、再度切除せざるを得ないことになるのかとでは予後が大分異なってくるそうです。ですから入院期間は未定。
前処置について質問すると経口下剤は危険が大きすぎるので行わないそうです。

検査終了後に点滴。そしてすっかり疲れ、早退しようかしらん・・との気分になったのでした。
が、自分の部署にもどれば、とんでもない忙しさになっていて、私の気持ちとの間のギャップを実感。ここで帰宅などしようものならば、私の中に寂しさだけが残るよね・・と気を確かに持ち直ししました。
看護部に診断書を提出、看護部長が最後に「写真集見たわ」とおっしゃられ、恐縮です。


いろいろ 2007年5月16日


去年は、このこのサギ、私に一度もシャッター切らしてくれなかったのです。

もちろん同じサギではないかもしれませんが、今年は先日に続いてチャンスを与えてくれたのです。

明日、手術前の検査をして手術は5月30日を予定しています。
それまでの間、ちょっと平常とはちがった面持ちの状況でどんな写真が撮れるでしょうか?


いろいろ 2007年5月14日


昨日、軽いタッチで次の手術のことを書きました。

それまでの時間、私は気持ちの糸が切れない様にしつつ日常生活をこなしてゆくつもりです。一番回避したいのが予定外の緊急手術になってしまうことだと医師にも話をしました。

木綿糸、絹糸、ナイロン糸、ピアノ線いろいろな糸を思いうかべ一番耐久性に優れているのは何なのだろうと思っていましたが、洗濯物を干しながらひょっとするとゴムかもとの結論に。
延びたり縮んだり、延びてもだらしなくなってもまだキレないですからね。


いろいろ 2007年5月13日


さてさて、私は、癒着剥離の手術に同意いたしました。
詳しい日程はまたここに書きます。

鼻出血に続いて口内炎ですから、外界と体内の連絡穴がほとんど不具合。いくらなんでもこのままでは夏を楽しめません。

気弱になった金曜土曜でしたがなんとか、今日の講座が終わり、基礎講座全15講座は残り3つになりました。レポート提出の資格は得られたし。
もちろん来週で、基礎講座を終了させる・・・つもり・・・で夏の実践講座に間に合わせようと言うつもり・・です。
気持ちだけはこれくらい持っていないとね。

そして、余談。
OLYMPUSの撮影会のトークショウで沼田早苗さんにすっかりはまった私、あのクロスのペンダントが頭の中にきらんきらんと印象つけられていて、遂に買っちゃっいました。クロスはとってもお高かったので、プチキラッですけれど満足です。


いろいろ 2007年5月11日


夕べは、カテーテル挿入時から痛みが強く、入れては抜いて入れては抜いての繰り返し、やっと胃に到達した事を確認し補給開始しました。

ところが、夜中にポンプの警告アラーム音。

午前3時の惨事・・・

鼻から流血。
カテーテルを引き抜くと、鼻出血はもっと悪化。
鼻血の血栓でカテーテルが詰まった模様。

プロジェクト「OHANA」との名称をつけて続けている経鼻栄養補給、夏日が数日続いただけで、水分量が体に行き渡らないという問題が出てきています。
一日中経口で甘いラコールを飲むのに比べると、多くのカロリーを寝ている間に取り入れることが可能。これがこの補給法のウリなんだけれどね。
もともと通過障害ですので、欲張って多くの量を取り入れようとするとせっかく入ったものを嘔吐していまう、少ない量だと脱水になるというなんともね・・・。
点滴「ビーフリード」が最近の私の点滴の中のお気に入りで、これを毎日続けているなんて状況になっています。


いろいろ 2007年5月9日


私は「食事に対して前向きに取り組まなくてよいのか」と思いつつ「イレウスが怖いので物を食べない」と漠然と考えていましたが、医師の考えは漠然とはしていませんでした。

「よくなることは考えにくい。もう一度、開腹して癒着剥がしてみましょう」と。

このままの状態をいつまでも続けていてるわけにも行かない」という点では私も同じ考え、そこから先は外科医として私がよくなる方法をとの考えでした。
つまり、私の同意が得られれば、いつでも手術にGOとのことです。

講習会のことは、先生もご存知なので、それが終わるまでは経鼻栄養を続けることはOKです。ただし、きっちり管理しないといけません。
暑いなんて言ってないで、がぶりと「講習会」に噛み付いていないと、またまたまたの入院があるのかとなると復職から「取り戻した日常」そして、ピンピンに張ってきた気持ちは、プツーンとなるのだろうね。


いろいろ 2007年5月6日


ゴールデンウィークの最終日でいつもの様に交通渋滞のニュースが流れています。

講習会も三回目になるとぽちぽちとお互い言葉を交わす方ようになってきます。
すっかり疲れて乗った地下鉄の中、ある方は、高いお金を支払っているので居眠りなどしてはいられないとおしゃっていました。そして、カフェインの入ったドリンクを飲んでいらしたそうです。
講座の費用のことを考えると確かにリッチなゴールデンウィークでした。

「丘のマグロ」といわれている私は、次々と動き回っていないと元気をなくしてしまいます。

エレンタールは、とても優れた栄養で、これによってこの生活が維持できるのならばそれで良いのかとも感じるのです。
休んでいる時はもちろんのこと復職後もおいしい味を求めてミキサーで流動食を作ったりもしていました。それが最近はミキサーは完全休業。
まるで発作の様に「旨いもの食べターイ」と叫ぶ事は合っても、現実的に口にできるものすら食べなくなってほとんど水分補給のみになっています。

これでよいのか?イレウスを覚悟でじっくりと食事と向き合う事をしなくてはならないではないかと頭の隅では思いながら、取り戻した日常が再び止まってしまう事の方が私には悪影響の様に感じます。


いろいろ 2007年5月3日


昨夜のエレンタール補給はアクシデントが重なって。
まず、調合の時にひっくり返し床がタンパク質まみれでべとべとに、鼻に入れる時には入らず、鼻水と涙にまみれ、そして更に朝方ジョイントがはずれてまたまた寝具がタンパク質まみれ。
栄養補給が充分でなくても仕事ならばコントロール可能な気持ちが休みだとそうは行かないのですね。

講習会のことをやるという予定を放っぽりなげてしまい、ドライバーもいることだしと猿投に行ってきました。

母と訪れた時は秋、今日は新緑を見てきました。

その様子は、ふらりんぐしゃしんにアップしました。
このところの私の体調をお気遣いの皆様・・・ドライバーが撮った私の様子、よろしかったらご覧ください。かーなり呆れちゃいます・・・。


いろいろ 2007年5月2日


jour jourが出来てきた時、それはそれは嬉しさでいっぱいだった。
サンプルがメールで送られてきた時の驚きからはじまり、その楽しさは段々増してゆき、完成で最好調に達した。 数日が経ち、お送りした方々から届いたとのお知らせをいただく。

最好調の嬉しさが今度は感慨に代わり、柄にもなくそれにふけってみたり。

さて、明日から四連休ということでふうっと気が抜けた。もちろんこの間にも受講があるのだけれど、それよりなにより、怖いのは病院が休日診療になること。こんな時に受診する様な事態になってはいけません。


いろいろ 2007年5月1日


5月となった。
昨年5月は母との浜名湖小旅行だった。
今は、楽しい思い出でとして記憶に残り、その時はおそらく最後の旅行になると予想はしていたが、旅行どころか母の人生の最後の日がその二週間後に来るとは分からなかった。

jour jour を母が目にする事がなかったことが悔やまれる。これを書きつつも涙が落ちたりするが、今の私の状況は母親として堪え難いものかもしれない。だから、知らずに済んでよかった。
厳しい人には、jour jour も最後のページから全体を見渡してもらうことにした。写真嫌いの母のラストショットだ。

腸閉塞を起こさずにjour jourは出来上がり、それをお送りする作業も少し終わり、間を開けずにタイムリーに次のことに乗り移ることができた。
これが終わるまで腸閉塞は起こせない・・という状況を好んでチョイスした。

月毎のいろいろ

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