いろいろ 2008年8月31日

さてさて、8月も終わりの日となりました。
7月の終わりに、昨年入院で受講できなかった精神対話士の最後の講義をハイテンションで受けてきて、その後のレポート提出に関しては、体、心ともに余裕がなくなり、書けないことに苛立ち、息子の力も借りてなんとかレポートを作成。彼からは「大分県か・・・!!」と批判もありましたけれどね。

そのレポートも合格して、証明書用写真の機械の前で写真も撮って貼付け、久しぶりの履歴書作成、受験願書を提出して、いよいよ来週末、9月6日の最終面接試験となりました。集団面接17分、個人面接10分。
昨年の合格率が10%未満だということで、難関です。勝負です。
体調管理がさらにさらにポイントとなりますね。

昨日観ていた24時間テレビの中で、水泳に挑戦する両腕がない少年の「僕は赤ちゃんの時から元気だった」という言葉。その言葉があまりに当たり前の様に語られたことが印象的でした。


いろいろ 2008年8月29日

昨夜の名古屋は、被害が出る程の大雨でした。
暗闇に響く雷、そんな中、私の胃腸も天候に負けないくらいの大荒れ。雷鳴雨音を耳にしつつ、下痢と嘔吐と付き合っていました。 そんなこんなで寝不足で迎えた朝、体は湿気と共に怠く、この状況で仕事に行けるか、仕事がこなせるか自己判断を下さなければなりませんでした。結局、無理矢理はヤメ、復職後初めて「休む」と判断を下しました。

一番嫌なドタ休みの電話を入れてから、 消化器外科を受診し、診察でお腹が動いていることを確認してから、ソリタとネオラミン、プリンペランの点滴をしてきました。

帰りにサザンのI AM YOUR SINGERをレンタルし聴いています。桑田さんは、1956年生まれ私と同年ですもんね・・・だからナンだ・・・サザンのデビューは1978年6月25日・・・私の誕生日と同じ・・・だからナンだ・・・ですけれどね。


いろいろ 2008年8月28日

内科外来に放出された私、波に乗り切れなくては仕事になりません。
採血の患者さんの波はどんどん押し寄せ、注腸検査、内視鏡検査、エコーの検査の方も少しでもスムーズに診察が済むように脚を動かし、カルテを動かし。

朝食が胃に滞留して気持ちが悪く感じるのが大体9時から10時の間ですが、まさに大波が来ている時間帯です。
ここで我慢をして走り回っていると、いつの間にか胃の内容物は小腸の方向に流れていくようです。

やっと座ることができる昼休憩、昼食は相変わらず、ラコールとお粥ですので300kcal程。
「そんな食事でどうして動けている」と不思議そうな声が周囲から聞こえてきます。 「自家発電かな」などととぼけていますが、気力を食べている、糧にしているとしか思えません・・・。


いろいろ 2008年8月25日

とある本より引用

誰でも病気になって入院するのはいやです。入院している間に「世間に後れをとって」しまうからです。それゆえに、不幸にも入院し、幸いにも良くなって退院した人は、必ず後れを取り戻そうとするものです。しかし、病に倒れることや、入院することに利点はないのでしょうか。長年医者をやってきて私は、利点はある、と思うようになりました。 私たちは日常の生活の中で、男や女、日本人、職業、家族などいろいろな条件に縛られています。また、私たちは自分の歴史、生い立ち、経験、考え方に縛られています。こうした束縛は病気をすると少しゆるまります。痛み、苦しみは現在の自分だけのものであって、過去の自分とは無縁ですし、人と共有できないからです。 私たちは病気になると、孤独な中でもうひとりの自分に直面せざるをえません。

私は、肺塞栓の為にベッド上安静となった際、胸の痛みと息苦しさ、ヘモグロビン6.0なんて状態で、安静を強いられるまでもなく動くことができませんでした。この状態では自己導尿は無理であとうと、回診の時にバルーンカテーテルを入れるということになり、それがその時の私への優しい配慮であったにもかかわらず、「何も出来ない」自分と直面し、その情けなさから泣いちゃったね。医師の前で初めて。
医師は、良くなる時が来るから今は我慢にして、と私の膝の辺りを子どもをあやす様に掛け布団の上からポンポンポンと。
本を読みながら私はこの時のことが思い出されました。
よく考えると、「何も出来ない」ことに泣いたのではなく、「焦り」と「孤独感」に泣いたのではないかな。

「不幸にも入院し、幸いにも良くなって退院した人は、必ず後れを取り戻そうとするものです。」・・・・後れを取り戻そうとするものですという点は当たってます。でも、入院は確かに一見「不幸」だと考えられるけれど、治療可能という目的を考えれば「入院=不幸」ともかぎらない・・・「痛み、苦しみは現在の自分だけのものであって、過去の自分とは無縁ですし、人と共有できないからです。」・・・・痛み、苦しみを共有できない点は理解可能でも過去の自分とは無縁というところは理解しにくくなどと、入院はしばらく勘弁してと思いつつ思うのです。

さて、復職後には比較的静かな化学療法室に置いていただいたのですが、8週間経過し、本日より、ローテーション入りです。内科外来にデビューです。踏ん張れるかな・・・。


いろいろ 2008年8月23日

やっと「友人との食事」にまで漕ぎ着けました。 バイパス術後初、もっと振り返れば、う?・・前回、誰と何処で夕食を共にしたのか記憶がない程久しぶりのことでした。
仕事終了後、直ちに、イレウス防止の大建中等、消化剤、胃腸を動かすガスモチン、ナウゼリンを飲んで準備を整えてね。

場所は、私の存在が目立つことが少ないと思われる金曜夜のファミレスでしたが、おしゃべりに口を動かしつつよく噛むよく噛むで、少量ですがピザもサラダも。ピザの周りの硬い所を残してちょっと汚い食べ方ですね。それでも不思議と強烈な胃のもたれも感じずに喋っていました。

写真撮影Mさん

「ラコールの量を減らすことができればね」と私がつぶやいた時に「みんながそう思っているよ」と息子より厳し目の指摘・・・。
休むことなく勤務することを第一に考え、安全策をとるのは当然ですが、小腸造影も行ったことですし、お休みの土曜日、ラコール無しにトライです。


いろいろ 2008年8月19日

さて、固形物摂取をちょっぴり積極的に始めることにします。
今日の小腸造影の結果を見て、今の時点ではそう感じています。

ときたま起こる嘔吐はいったいどうして・・とその原因を探る為に、久しぶりにガストログラフィン小腸造影を行いました。

仰向け、右下向き、うつ伏せ、左下向きと狭い検査台の上で体を回すと、造影剤ガストログラフィンは流れて行ったようです。その流れをみると、小腸はバイパス術前の様な拡張部分も狭窄部分もなく、きれいに通過していました。バイパスは正常に機能しています。
いままでで一番見事な小腸造影でした。

それでは、嘔吐の原因はというと、胃。小腸に行く前の胃にありました。
ひどい胃下垂の為と消化管の動きの悪さから、十二指腸の方に流れて行けず、ここでの滞留時間が長くなり、そのための過剰な胃酸の分泌が嘔吐に繋がるのだそうです。

そこで対策として指示されたのは、食後には横になる。
造影剤を流した時と同様に、右下、うつ伏せ、左下、仰向けを繰り返し、消化管の流れに沿ってのゴロゴロで食物の流れを助けるということでした。ちょっと行儀が悪いですけれど、動かない消化管の代わりに私自身が動くということですね。

一方、下痢に対しては、まだ何を食べた時に下痢になってしまうかはっきり解っていませんが、例えば、先日のすいかはひどい下痢になりました。これは小腸の短さという決定的な事実がありますので、消化吸収の悪さに対しては「食べる前に飲む」って消化剤内服です。M先生のお話によれば、嘔吐していては経口摂取ができなくなるが、下痢の方はそれが起こっていても薬を飲むことによって経口摂取は続けられるとのことでした。


いろいろ 2008年8月17日

写真を撮る時間がない・・正確に言えば写真を撮る力がない。でも、いつでも上にある空は撮れる様な気がします。
ところが、シャッターチャンスがゴロゴロしている様でそうでもありません。 素敵な雲だと思ってぼやーんとしているとその様子はすぐに変わってしまいます。また、逆にもっと素敵な場面が広がり始めることもありますけれどね。
今朝の空を眺めていると、上空はもう秋に向っている感じです。

が、まだ暑い日中、父からこだますいかのお裾分けが届きました。
最近の状態から考えて、繊維がありそうでちょっと心配なすいかですが、脱水に対してはよかろうとここはひとつ食べてみることに。
中心栄養やラコールだけでいると忘れてしまう食べ物の季節感、経腸栄養がちょっぴり進むとこれを感じることができるのですね。

かぶりつかずに一手間かけてくりぬいて、桃缶とアイスクリームで飾ってみました。


いろいろ 2008年8月14日

仕事をすることが精一杯で、休んでいた時やそれ以前の様に写真も撮ってというのは何となく体力的、時間的に無理があります。
特に、私が好む朝の時間帯を洗腸にとられてしまうことは、大きな打撃。洗腸が私の身体上大切なことなのに毎日のこととなると面倒も感じたり。
それでも写真を撮り続けたいという気持ちは変わらないのでとても苦しく感じます。

高いレンズを使っている写真や景勝地で撮っている写真をみても素直に素晴らしいと感じられないのでかなりひがんでいます。

日常を撮っている今評判の「うめめ」という写真集を買いたいと思い、書店でぱらぱらと見てみると、その中に救急車で搬送される人の写真と泥酔して倒れている人の写真がありました。
たくさん素晴らしいシャッターチャンスの写真があっても、すっかり興ざめ。私はこの二枚は許すことができませんでした。


いろいろ 2008年8月13日

休憩室はスープ春雨の「鶏だし中華」のニオイでいっぱいでした。私もこれが食べたくてたまらなくなり 早速売店にとんでいって購入。
買っている現場を目撃されての「それ食べるのぉぉぉ」の声にも逆らって実に美味しくいただきました。
昨日は受診日とあって、いつもならばしないこんな無茶・・・よく言えばトライをしてみました。

結果失敗。どうも駄目な時は食べてから二時間後くらいに数倍になって戻ってきます。それでも嘔吐時にもバイパス術前のような胆汁の緑色は見られません。黄色い胃液の感じですので、これには小腸の問題以前に極度の胃下垂も原因の一つとして考えられるようです。

受診では消化管の運動を促進する薬、ガスモチンと消化管の運動を整え吐き気を抑える薬、ナウゼリンの内服時間と量を工夫して、とろとろと眠っている様な動きの消化管に刺激を与える作戦となりました。


いろいろ 2008年8月9日

骨盤臓器脱の検索ワードで検索すると「骨盤臓器脱ネット」がYahooで堂々トップに輝いていたんですよ・・・。
作成中には信じられないこの事実・・・やっぱり一位は嬉しいよね。

ちなみにGoogleでは3位。


いろいろ 2008年8月8日

昨日は、久しぶりに飲み会・・歓送迎会に参加してきました。「焼き肉5000円プラス90分飲み放題」コース。
勿論私は、コースの頭数には入らずに、メニューの片隅から「卵雑炊」をチョイスし、それを更に柔らかくとお願い。事情が解らず怪訝な顔つきのお店スタッフには「彼女は術後だから・・・」と前の席におられた血液内科の医師が言葉を足してくださり納得していただけました。

タン塩から始まって目の前の網でジュージュー焼かれる肉を「食べたい」という気持ちは一切起こらなかったものの、お粥ちびちびジンジャエールちびちびの私は肉を喰いアルコールを飲む周囲を脅威に感じました。

「暑い、暑い」と同じ言葉を言っていてもあの肉のパワーを持ってしたら夏も越せそうです。逆に肉パワーサイドから見えれば、ラコールとお粥程度で我慢でき、尚かつ勤務表通りに勤務している私は一体なんなんだろうとさえ感じるのでしょう。


いろいろ 2008年8月4日

瓶の中から母が作った梅干しを出してみるとこれが超すっぱい。
それでも、お粥に塩鮭のほぐし身そこに梅干しを少量、これが今の私に最適な食事のようです。
それが解っていつつもいろいろ作ってはみるのです。「胃を切った人の献立」の中に載っていた夏野菜の煮物、とまと、なす、ピーマン、たまねぎを細かく切ってオリーブオイルで軽く炒め、ことことと煮るを日曜日の昨日作ったのですが、食して数時間後に嘔吐してしまい・・・・。
味はイタリアンでパスタにでも使えそうな出来だったのに・・・・。胃を切った人の献立なのに私の胃下垂がひどい胃にはもたれた感じ。

すぐに調子に乗りやすい私はちょっと体力過信気味・・体重計に乗ってみると45キロを切っていたから要注意。


いろいろ 2008年8月2日

「さて、寝苦しさに何度も寝返りを打ったあげく、気温は容赦なくぐんぐん上がる八月の朝。そら今日だと狙いさだめてこしらえるひと椀がある。それが氷ごはんだ。氷ごはんは、かならず炊きたての飯を冷水で一気に冷やす。贅沢にも暑い飯をわざわざざるにとり、さらりと洗ってから水気を切って椀によそうのである。そこへ冷たい水と大きな氷をふたつ、みっつ。」こんな話をエッセイストの平松洋子さんが書かれていました。

爽快さに逃げ込むのではなく、襲いかかってくる苛烈な熱をどうにか逆手にとって、一泡ふかせたいという気分でこしらえるのだそうです。

飯との闘いを避けている私にはなんとすごい話と感じました。考えれば、お粥はなんだか冬の食べ物の様な気もしますが、強がり言うならば、 寝苦しさにうんざりして起きた朝、私は、ラコールに氷をいれてぐいっといっきに200kcal飲むのです。

月毎のいろいろ

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