いろいろ 2010年9月29日

振り返れば、2003年暮れの最初の直腸粘膜脱の手術から、入院回数は、大体15回程。 当然の事ながら、その間は仕事を休んでいます。

休みが長期にわたった時は、休職に至るわけで、同じ傷病での休職期間は「1年半です。」

2006年10月1日から「就業規則15条1号の規定により休職を命ずる」
2007年1月1日「復職を命ずる」
2007年8月24日より「就業規則15条1号の規定により休職を命ずる」
2008年7月1日「復職を命ずる」

2007年に途中勤務したために、傷病手当金の法的満了日が2008年8月15日まで延長され、私は何とか在籍する事ができました。ぎりぎり戻れたということです。

しかし、急性の病気と慢性疾患との異なる点のひとつとして、その経過は長く、完全回復で戻ったわけではありません。

一年休職したら、その年の出勤率は0%。当たり前。
私の場合は、2008年7月から復職していますが、出勤率が80%に満たなかった為に2009年は年休0日で勤務してきました。非常に厳しいことでした。

2010年、今年、年休20日を取り戻しましたが、この年の初めは昨年暮れからの手術のためのお休みが2月5日まであった為に、一年で使う事が出来る病欠の35日をここで既に消化しています。
そして、8月の脱水で10日休んだ時には、診断書は「脱水」とあったのですが、産業医は「脱水」の本来の原因は「小腸教狭窄」に由来するという判断を下されたため、同じ病気で一年で使う事が出来る病欠の残り5日を使い、後の5日は欠勤という型となりました。

ここにも慢性の病気による問題点が出て来ます。
その病気が原因によって発生する体のトラブルは一連と見なされるからです。

まだ、わずかに年休は残っているのですが、時間年休が必要であった場合等に備えて、0にするわけにはいかなかったのです。

欠勤という型をとった・・・・のですが、給料明細を見た時はショック、憤りを感じました。
私の場合は、先払いとなっているので、8月はきちんと勤務するという予定で支給されていました。
そこで欠勤が生じた為、この金額となったわけです。と、今は書く事ができますが、システムがよくわからなかったので、丁寧に礼儀正しく「お忙しところお時間をとらせて申し訳ありません」と杉下右京的アプローチ方法で、人事担当者に「解りやすく、そして出来れば、資料を添えてご説明ねがえますか」と頼み説明と資料を手に入れてきました。

本給を当月要出勤日で割、その一日分の金額に実際の出勤日を掛ける。つまり日割りの様になるそうです。 この件は納得できました。

ここでやはり感じずにはいられないのが、慢性の病気を持ちつつ仕事を続けて行く事で生じる現状です。
年内に、もし休む必要が発生する。例えば、イレウスになれば、一発。年休残り6日、リフレッシュ2日。その範囲内でならまだしも、一年のトータル出勤率が80%に見たないとまた来年年休が0日となります。
通常、病気などで休む事がない人は、その年の年休20日と前年の繰り越し分を持ち、最高40日の年休を持っているので、この辺りが病気の経過が長くなると追い込まれてくる現実です。


いろいろ 2010年9月28日

例えば、朝、今日も仕事ができるのかと不安になり
それでも、仕事が始まってしまうと出来るな・・と多少の安心感を持ち
帰宅後すっかり疲れていると、私の仕事に関して何も提案がない家族がまるで鬼かなにかの様に思えたりと、応急処置のまま過ごしていた数日間、気分が日内変動をしています。

チューブの入れ替えの日程が一応10月7日に決まりました。経胃ろう腸用カテーテルはこのメーカーのものしかないので、再度同じ処置を予定しています。


いろいろ 2010年9月26日

秋ともなるとチョコレートの新商品が登場します。

その紹介の試食の場を眺めていると、マスクをしたかなり若い女性がためらいがちな様子で近づこうかとうろうろしていました。

よく見ると、マスクの隙間から経鼻栄養のチューブが見えています。
何らかの原因で経鼻栄養をしている。しかも、自分で挿入していないのか、日中も鼻に通したままにしている。
それで、マスクをしているけれど、やはりチョコレートの新商品は気になるというところでしょう。

私もこういう場面では、彼女同様の不審な動きをしていると思われるので共感です。美味しいかという味の前に自分が食べる事が可能な物かチェックします。
彼女が試食したかどうかは見ていませんでしたが、私もちょっと食べてみたい気持ちでした。

さて、先週結成式を終えた、きずなの会ですが、HP作成は私に時間的余裕がありませんので、もう少し先です。
ということで、しばらくブログです。

こちらが「きずなの会ブログ」

お時間のある方は覗いてみて下さいね。


いろいろ 2010年9月23日

予想もしなかったまさにアクシデントが発生です。
昨日、経胃ろう腸用カテーテルのバルンが爆発、破れてしまいました。

以前にも書いた様に、胃ろうには、お腹の外側がチューブの物とボタンの物があり、お腹の中はバンパー型とバルン型があり、計4種類があります。
術後はバンパー型チューブタイプでしたが、チューブが仕事中に邪魔になるので、入れ替えの際にバンパー型ボタンタイプにしていました。

簡単にバンパー型とバルン型の違いを画像にします。

画像1・・バンパー型

画像2・・バルン型

経胃ろう腸用カテーテルに変えるにあたっては、ひとつのメーカーしか製造していないということで、選択する事が出来ず、バルン型チューブタイプでした。

バルンは、胃の内側で風船の様に膨らみストッパーの役目をしています。ですから、常に蒸留水が入って膨らんでいる状態でなくてはなりません。10ccに保つ様に指示されているので側管から抜いてその量を確認し、減っていればお湯を足しこの状態を保っていました。

アクシデントは、前屈みから物を持ち上げるという腹圧のかかる姿勢をしていた時に起こりました。
痛!という感覚とずるっという感覚が同時に腹部に感じられ、すぐにチューブを見てみれば、ぬるぬるにょろにょろとチューブが抜けてくるではありませんか。

大変!!と仕事を放り出し、主治医のPHSにダイレクトに電話です。
「バルンは見えていない?」「動くな、横になれ」の指示。

今週から私は放射線科勤務で、いつも私が処置を行う場所ですし、多くの患者さんの処置を見ていて、何とも複雑な思いでしたが、まさにその処置をする場所に既に私がいるので、一転ラッキーに変わりました。
病院勤務の病気を抱える者は、その状態が皆に解ってしまい嫌だという部分と都合のよい部分が混在しています。今回程、よかったと感じた事はかつてありません。

しかし、バルンは残念なことに完全に破裂し取り戻し様がない状態でした。
M先生は応急処置として縫合すると判断されました。 お腹にチューブを縫い付けておくということです。

緊急処置の為、誰もNSが処置に付けなかったので、私がチューブ先端を手で押さえ、直ちにキシロカインで麻酔し、針、持針器、糸、ガーゼ等々はだだだだっと集められ、目を開けて見ていると、手の動きの早い事!で、チューブはそれ以上抜ける事なく、お腹に固定されました。

何故、わずか10日でバルン破裂というアクシデントが起きたのか?問題はここです。
バルンが瘻孔にごく近い位置、もしくは瘻孔内で膨らんでいて、そこに腹圧がかかったためというのが考えられる事だそうです。
バルン管理ミスでしょうか。私もがっかりですが、長時間を要して挿入した医師の方が残念さをより感じているでしょう。

応急処置で数日過ごし、また、簡単には出来ない入れ替えとなります。 縫合の傷の痛みがあるので、痛み止めを飲んで静かにです。


いろいろ 2010年9月20日

本日はこの秋の一番の体調合わせのポイントの日、きずなの会の結成式でした。

多くの方にお力添えをいただき、予定通り「稀少難病愛知・きずなの会」結成式を行うことができました。
ここがスタートなのですが、なんだかひとつやり遂げたかの様な錯覚に陥っています。

サポーターの一人、Tさんにお願いしたのは、「夏の疲れの残る私をできるだけきれいに撮影して欲しい」という結構無茶苦茶なお願いでした。

更に強引だったのは、たまたま仕事の時間が空いていた息子を進行係兼雑務係にしたことですが、その彼もが目にした記憶がないと言うスカート姿の私です。

結成式の様子や今後の活動予定等は、「きずなの会ブログ」を現在作成中です。そちらの方に詳しく載せて行く事ができればと思っています。
患者4名、サポーター11名でのスタートです。
スケジュールが終わり、みんなで集合写真です。

昨日は、書類の作成等をほぼ一人作業で行ってきたと書いていますが、訂正です。
今日のこの写真を眺めていると、写真の中に既にとても沢山のサポートが見えます。

ちらしのデザインをお願いしたり、筆文字を書いていただいたり、郵便物の宛名はりのお手伝い、封筒入れも同様です。今はほぼ私だけがそのことを一人で感じていますが、これからは、それぞれの横のつながりをも構築できれば更にパワーアップです。

今日、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。勿論、本日ご都合で参加できなかった方もどうぞよろしくお願いいたします。


いろいろ 2010年9月19日

この夏の猛暑によりいくつかの予定をキャンセルしましたが、この連休の予定は外す事ができません。

まず、今日は、慢性疾患セルフマネジメント名古屋秋のワークショップの初日。ここから6週間のプログラム中は、そのリーダーとしての自覚を再確認し、暑さの為にぐずぐずだらだらして鈍くなっていた自己管理というものを取り戻すチャンスです。

そして、明日はいよいよ「稀少難病愛知・きずなの会」の結成式です。
前回のワークショップの後にK氏からこの話を具体的にお聞きしたので、準備におよそ半年です。
ちらし、申込書、規約、結成式の案内等々、出来上がってみると種類が多いわけではありませんが、今の段階ではほぼ一人作業となったのですが、出来はまずまずでしょうか。

この様な作業をしていると、昨年の愛難連の総会の時に聴いた話を思い出します。
「女性は、社会的活動をする事によって、自分の日常の範疇から外に出る事となり、その際に知らなかったことをいろいろ学ぶ事ができる」という様な内容です。

ひとつの例を取り上げれば、会の活動での万が一の怪我などを心配してのボランティア保険への加入。各保険会社に問い合わせをしましたが、調べて行くと社会福祉協議会が取りまとめているが解りました。このように新たに知った事がいくつかあります。
あの話はこの様なことを指しているのだと感じます。

結成式後は、どのように継続して行くかに問題が変わって行きます。

胃ろうカテーテルの先を腸に迄延ばす処置が13日に予定された時には、この二日間の予定のことを考え、今はその時期なのかと心配ではありました。
点滴のルート確保の困難さから体の維持優先で処置は行われたのですが、だいぶ馴染んできた様子で、注入は順調に出来ています。
ちなみにこちらが、経胃ろう的腸用カテーテルの体外に露出している部分です。

術後最初に造設したチューブ式のチューブよりはかなり短いのですが、このチューブ、やたら腰が強く、びよんびよんと変な重さを感じます。
瘻孔は既に出来上がっているものの、胃の中も含めて、処置の際に傷ついた部分から少量の出血がまだある為に切り込みガーゼで保護しています。

なにはともあれ、暑さが和らいだ事も含めて、ここに体調があわせられた事でほっとしています。


いろいろ 2010年9月14日

腸用カテーテルに交換した後は、違和感を感じていたのみでしたが、夜になって激しい嘔吐にみまわれました。
プチイレウスです。
胃も腸も処置にかなりびっくりしたのでしょう。

カテーテルのキャップを開ければ、イレウスの時に目にする緑色の液体が流出するし、吐き気を感じたと同時に口から噴水の様に胃の内容物が飛び出し、あちこちに被害を及ぼしました。
チューブを胃から小腸に進める際に中のガイドワイヤーが引けなくなり、滑りをよくするためにオリーブオイルを使った、そのオイルの様な臭いも感じられました。
吐き気、嘔吐に対応するのが精一杯で、注入どころではないし腸も休めようと判断したので、昨日は栄養水分とも充分でなままに終わりました。

朝になると吐き気は収まったので、午前のみ仕事。
帰宅後、点滴も無しにした為かなりぐったりの状態でとろとろ眠りつつ、初めてエレンタールを注入しました。

型的には、ボタン式からチューブ式に戻ったため、チューブが仕事中に多少邪魔ですが、「経胃瘻的腸用カテーテル」はここのメーカーの物しかないのだそうです。

一生懸命点滴を続けてきましたが、ルート確保の困難さ、それ以上に時間に追われる事で中止したので、そこでまかなわれていた1000ccの水分も確保しないとなりません。
点滴の為にまっすぐ帰宅し、自宅にいる間はルートにつながれるという生活は、気分も苛立たせます。今になって考えれば、猛暑の名古屋で必死に点滴をするのではなく、どこか涼しい所に行くという方法もあった様な気がします。
体が維持できるのであろうかと、珍しく弱気です。


いろいろ 2010年9月13日

正しく説明すると胃ろうから「経胃瘻的腸用カテーテル」への交換処置です。 腸瘻とはちょっと異なります。
バンパー型ボタンタイプからバルン型チューブタイプに変わりました。

内視鏡、ガイドワイヤー、透視を使い、お腹を押したり、ごろごろしたりして、およそ一時間程でチューブ入りました。M先生グループ3人がかりで、2センチずつ、ガイドワイヤーを引く、チューブを押すと実に大変でした。

使ったものは、経胃瘻的腸用カテーテル ガイドワイヤーセット20F80センチです。慣れていないので、しかし、チューブが入っているのは事実で胃が重たい感じがしています。


いろいろ 2010年9月12日

私は、自分の食に関して行ってみたいと思っていることがあります。

何をどのくらい食べ、それが、どのように胃、小腸、大腸を通過して行くのか観察したいということです。
例えば、ご飯を口にした。 胃に入った、小腸到達、通過、大腸に流れた、そして排泄できるかと透視で確認したいのです。
確認したいのは、通過スピード、通過できる一回量、勿論通過できる物です。

これが解らないと、消化管機能の不安定さ以上に、頭に沸々とするイレウスの怖さが先立つという部分が往々にしてあるという事です。

確認できれば、「食に関する心のリハビリ」もできるのではと思います。

時間的にもこのような食品ごとの観察と確認は 非現実的ですし、口から食べて体を維持できるとは思いませんが、少しでも食べるという行為を残し、食べる事ができるという気持ちを確実にし、更にそこに楽しみを見いだすには、こうしないと納得できません。

胃ろうから内視鏡を使って透視下で小腸まで先端を延ばす処置を明日予定しつつ、こんな事を考えます。

ちなみに、昨日入れ替えをしたルートは左足くるぶしです。
自覚はなくても、慢性的脱水なのか?血管がぺちゃんこだそうで、ぺちゃんこに関しても自覚はありませんが、とにかく針が置けない。
腕三回トライ駄目。脚も同様。いよいよ、血管外科の医師が、これは必要であったのかどうか解りませんが、エコーを使って成功しました。


いろいろ 2010年9月8日

夏を託したはずの脚の血管。 家で過ごしていた時には好都合かにみえました。

しかし、仕事に戻ってみると、私は、一日歩くまたは立っている。
このためにルートは抜けてはいないのにも関わらず、針周囲から血液がじわじわとにじみ出てくる状態になる事が続きました。
脚の方が血圧は高いし、歩くために筋肉が動く、午後からは脚自体がむくんでくる。等の理由が考えられます。

このようなことで、脚血管作戦は、数日で終了。 再び、腕を探ることとなりました。

私自身の気持ちもルートをとる事、そして、仕事後に自宅で点滴に拘束されることそのものに嫌気がさしてすっかり弱気です。

来週の月曜日に胃ろうの先端を小腸にまで持って行く処置を予定していますので、後一週間は持続する意思をしっかしていないといけません。

処置を行う理由は、胃ろうに注入したエンシュアHが胃に滞留してしまうことにより注入が困難になるという状態から考えて、それならば、先っぽを小腸にまで延ばせばいいというM先生の考えです。

理屈は、納得できます。
解らないのは、 ダイレクトにエンシュアHを小腸に流したらどうなるのか? いきなり小腸でお腹いっぱいになるのか? という点です。

怖いので、出来る対処を私なりにいろいろ考え、「輸液ポンプを使用することにします」と主治医に伝え、処方を変更しました。

在宅で輸液ポンプを遣うには、薬剤がエンシュアでは健康保険の「在宅成分栄養、栄養管セット、注入ポンプ」には適応しないそうなので、長期に渡ってお世話になったエンシュアHバナナとはお別れ、久しぶりにエレンタールに戻しました。

この判断をするにあたって、NSTチームの方などと相談した話はまた後日。疑問はNSTチームとは何?


いろいろ 2010年9月5日

夏のスタミナ料理などと言いますが、季節に関係なくエンシュアHに頼っている者として、この猛暑に殺意があるのではと感じたりもします。
相棒の観過ぎでしょうか。

逆に油断して熱中症になる人もいます。
昨日も野球少年が二人、かなりの状態で運ばれてきました。暑いにも関わらずがたがたと震え、毛布を被り、過呼吸にも陥っていました。

きずなの会の結成式のこともあるので、この暑さは更に心配です。 それでも準備は、サポーターのYさんと最終打ち合わせをしてほぼ終了。

ここにいる時には涼しかったのですが、外に出ると大変な暑さでした。

昨日の新聞によると「30年に一度の異常気象」との気象庁の発表とともに「地球温暖化の影響を考えると、近いうちに同じ様な猛暑を体験する事もありうる」と。。。。30年に一度とは・・・30年にもこの様な夏があった?


いろいろ 2010年9月3日

スネの血管三日目で血管炎発生。あちらもこちらも血管炎になってしまいます。
スネは腫れてとっても痛く、冷やしています。

ということで、本日刺しなおし。
脚は腕より長く血管は沢山ある・・・と思って頼りにしているのに、先日はよく出ていた血管が本日は元気無く、血管探し。
静脈瘤もあるし、足を見られるというのは、恥ずかしいものです。

で、結局、足の甲になりました。

点滴を開始しましたが、甲の向きで落ち方が変わり、当たり前ですが極めて歩行が困難です。

暑さは続いていていますが、診断書によるお休みは終わり。
この休みの目的は体力の回復。何をして過ごしたかというとほとんどなにもせず、できず。
あえて言えば「相棒」のDVDを毎日観た事。。。
テレビを観てると相変わらず保険のCMに気分が害されたこと。

明日から仕事にも関わらず、明日の予想最高気温38℃だそうです。9月の最高気温の記録も更新しそうなのだそうです。

月毎のいろいろ

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