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いろいろ 2010年12月31日
名古屋でも雪のちらつく大晦日です。 さて、2010年大晦日。私はおかげさまで穏やかな気持ちで過ごしています。 なんと言っても 今年も多くの方にお世話になりました。ありがとうございます。 いろいろ 2010年12月29日
いつもであれば、5時に起き、直ちにお湯をわかし、胃ろうより熱々のエレンタールを接続し、その日の活力をスタンバイします。熱ちっちのお湯で溶かしたエレンタールですが、小腸はその熱さを感じない様です。
昨日は、仕事が終わる時間帯は非常に慌ただしいと予想したので、就業時間より少し前にあちこちにちょっこりご挨拶。 平成7年に自立の必要性があり、それならば、病院で働きたいとの思いで始めたこの職種は、15年間を持って終了しました。 いろいろ 2010年12月28日
ミスをすれば、「もう気がないんだ」との言葉が飛んでくることは間違い無し。ですから、職種変更の話が公になって以来、細かい所に気を遣ってきた様な気がします。
入院中に点滴のルート確保が必要な時、利き手は避けて、針を留置する心遣いをしてくれる事が多いのですが、私は、左腕を見られるのが好きではありません。
「相棒」の一話の中に医療事務の勉強をして資格を取得したにも関わらず仕事につく事ができず、そのテキストで学んだ、他の人がつけた傷と自分でつけた傷の見分け方を使って、他殺とみせかけ実は自殺であったという話があります。 昨夜、浴槽の中でこれを眺めたのは、友人から手紙が届いたことからなのです。書かれていたのは、世の中、クリスマスお正月と騒いでいるけれど自分には関係ない。 食べられないものが多く、食べる事に喜びを見いだせなくなったことにより何も楽しい事がないので・・・・云々・・・このままどうにかなっても死んで行こうと思います・・・。
「食べる事に喜びを見いだせなくなった事により何も楽しい事がない」って誰に言ってるの!じゃ。 そうそう、私は食べられなくても、私は食べ物番組は大好きです。 いろいろ 2010年12月27日 以前のトンカツ和幸の件もあるので、予約の際に二人はランチ、もう一人(私)は、事情により食事ができない旨を伝え、飲み物でもよろしいでしょうか?とお尋ねしてOKをいただいたので、ホテルランチに行ってきました。
一日遅れのクリスマス&忘年会です。 メンバーは、慢性疾患セルフマネジメントの名古屋初のリーダーUちゃん、2人目リーダーの私、そして先日リーダー研修に参加してきたばかりで3人目のリーダーとなるMちゃんです。
それぞれ、病気のこと等で人生のターニングポイントと思われる時にこのプログラムと出会ったということです。イヤ、プログラムを知ってターニングポイントになったのかもしれません。
「お昼の部、閉店です」と声をかけられるまで、会話はとまることはありませんでした。 いろいろ 2010年12月23日
病院が通常診察を行っている2010年最期の水曜日とあって、外来は半端ではない人でした。
まだまだ後があったと思いますよ。
そして、後数日となるこのユニフォーム姿。私自身の記録の写真です。 こちら、ちょっと格好つけたポーズでカシャ。
こちら、ツーカーの中、一番の仲間とのツーショット。二人がPHSで上手に仕事をまわせば大体のことはできた。過去形です。私のフットワークが悪くなり、それが難しくなっていました。一本指を眉の上、が「了解した」という互いの合図です。
彼女にだけは、発表の数時間前に今回の話をしていました。 私はこの仕事が嫌いで変わる訳ではないので、この時には二人でなんだかうるうるもしました。 いろいろ 2010年12月19日
どんなに頑張っても捨てきれない抑えきれないコントロールできないのが「食」に対する願望。少量食べるとしたら、ケーキよりも寿司一貫をチョイスするだろうな・・・・
さて、早いものでこの間NPO法人日本慢性疾患セルフマネジメント協会秋の名古屋ワークショップが終わったと思ったら、もう次の名古屋ワークショップの予定及び申し込みが開始となりました。 また、新しい出会いがありますよ。 いろいろ 2010年12月18日 内示であった人事異動が、師長会報告に載り、公になりました。 看護部から医事管理部への移動。
16日15時に看護補助仲間は集められ、この話と私が抜けた分の業務の対応に関して話し合いがありました。 さて、業務内容に関して詳細な説明はまだですが、主な業務は少し前に新設された部署のデータベースを作るための入力作業からということです。 私はどちらかというとエクセル苦手なので・・・・正月休みはエクセル三昧です。 この話が没になった時のことを考えて、労働局の障害者雇用説明会に登録していました。前回の説明会の資料を見てみると、各企業が募集している業務内容もパソコン作業が多く、日常Macを使っている私は、長い間押し入れに眠っていた、私が最初に触ったパソコンwindows Mebiusの存在を思いだし、引っぱりだし、更に叩き起こし、問題集をやっていました。 話があちこちになりますが、看護部ではなくなるので白衣のユニフォームは着てはいけません。ユニフォームにあわせたポンプの持ち方を考えてきましたが、また新たに適切な方法を考えていくこととなります。 いろいろ 2010年12月15日
手話でもう一回を表すのは右手と左手をグーに握り重ね、倒した所から起こして表します。
障害、病気によりできない事をアピールするのではなく、ポンプを付けてひたすらかけずり回り、他の人と同様、否それ以上の仕事をする。
慢性の病気を抱える人が陥ってくる状況を改めて書きます。 私の問題は「体力的に今の仕事が以前の様にできない。休みがちである。」でした。 大きな不安を持ち、苛立つ事も度々で、問題解決法を持って臨んでも体調維持がなかなか難しく、「まだ働かせる気なの!」と家族はそんな私の言葉も受けることとなりました。 ずっと覚えているのが、肺塞栓+敗血症の高熱でぱっとしない私の病室に人事担当者が訪れ、「ここの職場では、職種変更はできないので、いい加減あきらめて他の道を捜せば・・・」でした。
ですが、やってみました。
組織の中にいるので、私一人の力では何ともなりません。それが他の資源を・・・なのですが、自分ができる事を持参して自己PRするチャンスを作って下さった方々には感謝の気持ちです。
いろいろ 2010年12月12日
12月15日冬のボーナス支給日。この日私は、確実に在職していると思いますから、
やっと重い腰をあげ、買いたいと思わないテレビを購入しました。
さて、私の住む尾張旭市から障害者に関するアンケートがきました。 「将来だれと住みたいですか?」 将来って何時? 自己導尿、洗腸、だからオムツしても意味無し。 胃ろう付き。 さて?いろいろ 2010年12月9日
猛暑の8月。
12月11日。 ところが、一昨日「小腸狭窄による低栄養状態のための感染症」。
診断書にはこのように書かれています。
とはいえ、京都行きは土壇場キャンセルです。
今回の体調に陥った原因は、2週間程前に発熱を伴った風邪となり、治りかけては勤務し、これが繰り返されて至ったということです。
今年は、高い熱がよく出ました。そのために断念せざるを得なかった事がいくつかありました。人にやさしい街づくり連続セミナーもそのひとつです。 以前のことで忘れてしまいがちですが、口からものを摂取していなかった中心栄養の際は休職してましたからね。口からものを食べずに風邪の菌も寄せ付けず働くのは、なかなか骨の折れる事です。 いろいろ 2010年12月5日 さて昨日は、あいち福祉住環境研究会の定例会に参加してきました。 私など自分のケースしか考えた事のない福祉住環境コーディネーターの端くれですが、こういう場所でいろいろな話を聞くと、一昨日の出来事の凹みも解消されます。 気分の段差解消でしょうか。
今回定例会にお借りした場所が、「NPO法人生活支援サイン事業所」。平成20年度に「人にやさしい待ちづくり賞」を受賞されている方のお宅でした。 私が車いす一日体験をしたもののこの夏の酷暑のために頓挫してしまった、「人にやさしい街づくり」セミナーですが、メンバーのTさんは頑張られ、レポートを完成させたそうです。
テーマは、「学校のトイレ」学校のトイレは、5K「きたない・くらい・くさい・こわれる・こわい」と言われるのだそうです。
実際に住宅改修をされている大工さんの話は、はぁと驚くことが沢山あります。
そのひとつに、全盲の妻と脚が不自由な夫の住む家の住宅改修の例がありました。 先週の1級の試験問題を持参しようと思ったのですが、まだ私のとんちんかんな答えが記入されたままなので、恥ずかしく持って行けませんでした。 また、「きずなの会」を紹介する時間もとっていただき、私が漠然とイメージする会を具体性のあるものにして行くために必要なことも少しずつ解ってくる様な気がします。 いろいろ 2010年12月4日
「そのポンプが事故の原因になるから止めて」いきなりあびせられたこの言葉。 事故・・・今まで起こった事故は、チューブを支えるバルンが破裂してしまうという、いわゆる私のお腹の中サイドに起こった事故です。
これが起こったのが放射線科で仕事をしている時でした。
そこでここの責任者であるNSよりこの発言を聞いたわけです。 私も持っていたくないことは勿論ですし、止めることができるならば止めたいですし、対策として片付けが集中する時間帯には接続をはずすことをしてきています。
けれど、その時点で一日の予定量がまだかなり残っていました。 「そうですか」と答えたもののそれでは、それでは放射線科の仕事を中止してそこを去ればよいのでしょうか?
判断のためにどうしたらよいですか?と上司に問い合わせました。 もう少し上司の副部長の答えは、担当の私がポンプを持っている事が駄目ならば、補助業務無しに自分達ですべてやりなさい。こちらの答えの方を伝えて欲しかった気持ちです。 結論としては、摩擦を避けたいという私の意向で、来るなと言われた放射線科勤務はしないということを担当師長に伝えました。
ルートが引っかかると危ない、周囲の目など、皆が思っている事でしょう。私自身も思っているのですから。 それに対し、他の事での気分をきっかけに私に向かって本音発言したのが「そのポンプ止めて」なのでしょう。 全部署の責任者がこの発言をしたら私は居場所がなくなります。そして、繰り返せば一番止めたいのは私自身ですがそれでは生命の維持ができません。
が、この私の栄養をまかなってくれているポンプに関しての朗報もありました。 一眼のEOSだって500グラムになったからこそ、その軽さで購入したのですからね。 いろいろ 2010年12月1日 本日の中日新聞を見て下さい。
「労基署判断覆しうつ労災認定」愛知労働局という記事があります。 彼女が発信している「ともにあゆむ」というメールでは、次の様なことを述べています。
「急増しているうつ病での労災申請でも、県の労働局の審査官が不支給決定を覆すというのは、きわめて稀な例だそうです。 これを読んで私がUちゃんに送ったメールの一部にはこのようなことを書きました。 Uちゃんが書いている様に、男性であれば、しなくても済んでしまう事。例えば、男性で自分が食事をしない場合は、家族の食事の心配はしないだろう・・・・どうして、女性は自分が食事をしなくても作るのかの疑問(自分の場合の小さな一例ですが)などにもつながるかもしれません。
クリスマス、お正月を迎えるこれからの時期の食品売り場は私にとってとんでもない場所です。 |