いろいろ 2011年2月28日

ワイヤード。ワイヤレスの反対を意味するのだそうです。

私の日曜日のワイヤードな生活の一部。(カメラで遊んでいた家人が撮ったものです。)

花を植え替え。

点滴棒と土を一緒に持とうとしています。

力尽きました。

確かにただの馬鹿です。

が、ワイヤードな生活が必要な者にとっては、ワイヤードであるからできないのではなく、限りなくそれを体、日常の一部とすること。それがこの様なことです。

新しい、MacBookProの特徴を見ていたら「充電は少なく、できることは多く。最大7時間のワイヤレス・・・・・・」。 最大7時間のワイヤレス。これは、これは・・・・私の身体に欲しい機能です。


いろいろ 2011年2月27日

2月18日は、愛知県の障害者就職説明会が愛知県体育館で開催され、私は、エントリーするつもりでした。
しかしその日、私は入院状態にありました。ですから、1月からの職種変更がなされていなかったら非常に焦っていたことでしょう。

さて、交換したチューブはどうやらお腹の中になじんできた様子です。
ゆっくりながらも栄養が確保でき、仕事には既に戻っています。

口からの栄養確保が困難な場合の手段はいくつかあるけれど、自分が納得するかどうかは別として、今、私に適切なのは、「胃ろう、正しくは経皮的腸用カテーテル」オンリー 。

「好きな物が食べられないなんて、死んじゃう」と口に出す人がいる。気持ち的には確かに死んじゃうが、医学的には好きな物が食べられなくても死んじゃわない。

これに関して、エネルギーの確保方法が異なるだけだと思っていました。
私の頭の中で、高齢者の胃ろう問題と自分の胃ろうの問題がごっちゃごっちゃ。
無駄飯イヤイヤ、無駄エレンタールは喰うなという意識が高まっています。

入院中に、持参していった、フレゼニウスカービのチューブの先端が割れて漏れが生じました。コールセンターに電話してみると、40℃以上の湯は通さないで等々の注意事項がある様です。知りませんでしたから乾燥に熱湯使っていました。。。。。
もしかして、ストーマのパウチも北欧では使い捨てが一般的なようですから、ドイツのフレゼニウスカービチューブも洗って使う事は想定していないのでは。。。。


いろいろ 2011年2月22日

16日に胃ろうのチューブ交換を行いました。その後、プチイレウス状態で入院していました。

前回10月7日に入れ替えをした際には、どうしても胃の中でチューブが撓みをもってしまい、それを取り除くことが困難でした。
撓みが何故よろしくないかというと、もともと胃から小腸への流れが悪い上にその胃の中にチューブがあるということは小腸への流れを更に悪くするからです。

処置の手順は、前回10月と同様です。
・チューブから造影剤ガストログラフィンを流し透視で位置を確認。
・次にガイドワイヤーをチューブ内に通す。
・万が一に備え、更に一本ガイドワイヤーを入れる。
・ガイドワイヤーを残し、古いチューブを抜く。
・ガイドワイヤーに沿って新しいチューブを入れて行く。

なんといっても直径1センチにも満たない胃の孔から、80センチ程あるチューブを小腸まで通すので技術を要する処置です。
前回の手順に加えて、新しい作戦として主治医が取り入れたのは、泌尿器科で腎瘻を造る時に用いるという長い棒。これを使って、撓みをとるというものです。

結構一か八かの作戦の様でした。
先端が胃の中に跳ね返ってきてしまっては大変ですからね。

しかし、作戦は成功。

胃の中の撓みは見事になくなりました。勿論1回で成功した訳ではなく、お腹及び背中があまりに痛くて、途中処置を中断してもらったりしつつのことです。

もうひとつおまけとしてついてきたのが、処置にびっくりした小腸が動きを停めたか、処置によって浮腫を起こしたかによるプチイレウスでした。嘔吐が続きました。

ここで活躍するのが、胃ろうのひとつの役目、上部小腸狭窄の際のドレナージです。
鼻からイレウス管を通すことなく胃ろうを解放して置けば腸液は流れ出てお腹は楽になるので助かります。

胃ろうから栄養が入れられないとなると、まず唇から乾いてきて、全身が怠くなり脱水に陥ります。 入れ替え翌日にはこの状態になり、入院に至りました。

点滴で補いつつ、少しずつ胃ろうからの栄養も始め、まだ完全とは言えませんが退院となりました。


いろいろ 2011年2月15日

すっかり忘れていましたが、昨年2月5日に仕事に戻ってから一年が経過していました。

昨年夏の猛暑には参りましたが、なんとか過ごしてこられたということです。 これも一重に「胃ろう」のおかげ、エレンタールのおかげです。

しかしならが、わたくし、ここのところ「胃ろう」に対する意見に翻弄されています。

先日、参加したSORDの遺伝子の専門のお話のパワーポイントの最期に金子みすずさんの「わたしと小鳥と鈴と」が登場しました。難しく困難な遺伝子を扱う医師の中に優しさを感じました。

わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい

確かにそうなんですけれどね。


いろいろ 2011年2月12日

「相棒」を全シリーズ観て、尚、観直しまでしている私です。
しかし、もうひとつドラマにはまりました。「Around40」・・・アラフォーです。

もともと「アマルフィ 女神の報酬」の中で、天海祐希が私のコートと同型のコートを着ていて「同じゃない・・・!」と感動し・・・・彼女のファッションを見たくて観始めたものです。

しかしながら、「相棒」では流す事のない、自分も通ってきた30代後半をふりかえりつつ涙したりもします。この頃の私は、ふにゃふにゃでしたけれどね。今だから観られるということもあるかとも思います。
171センチ0型の天海祐希・・・・これは御本人のことでした。ドラマの中の緒方聡子は魅力的です。

さて、本日はとても久しぶりに友人と写真撮りに出かけました。 徳川園です。

ポンプとエレンタールを肩にかけ、カメラバックも肩にかけ、どっちがどっちか解らない状態で。

来週、16日に胃ろうのチューブ交換を予定しているので、万が一お腹の中のバルンが破裂しても大丈夫・・・・などと思いつつ。

かなり負担な前屈み姿勢をしたので、胃ろうの周囲にはうっすらと血液が着いていました。

肩にかけているものがどっちか解らなくても、私やはり、ファインダーに接眼して一眼で写真を撮りたい様に感じます。


いろいろ 2011年2月11日

フレゼニウスカービ対応バックの試作品の完成です。
勿論、ミシン持っていない、いやいや、それ以前に技術の問題がありますから、ご好意で作っていただきました。

本来であれば、こういう形での使い方が前提です。

何度も書いている様に、テルモはエレンタールを下に置いて吸い上げる方式でした。ですから、ペットボトルにエレンタールを入れ持ち歩くことで対応できていました。

これが、写真の様に点滴の様な具合となった訳です。中心栄養と同じ様な感じです。これでは、仕事になりません。

「これを持ち歩き行動する」というコンセプトで、ああだこうだと一緒に頭をひねって出来上がったものがこちら。

ポンプの大きさを図り、バックの下まで落ちない様に工夫し、チューブのからみをできるだけ避け、尚、最も大切な、液がこぼれないという工夫がなされています。
本日、休日なので早速、肩からかけて試しています。それにしても、全ての渕にバイアステープがつけられ、細かな心遣いが感じられる作品です。


いろいろ 2011年2月7日

テレビでその活動を拝見し、メールをお送りしていたことから、声をかけていただいて、 「希少難病フォーラム2011京都」に行ってきました。

主催者であるSORDは、私が「稀少難病愛知・きずなの会」をおひき受けするきっかけとなり、更にずっと先に目指すところです。

会場は、「地球温暖化防止京都会議」(京都会議)が行われた国立京都国際会館。こんなことでもないとなかなか入る機会はない様に思います。

愛知県外への脱出は、昨年春に友人に会いに金沢に行った以来です。

フォーラムの内容はSORDのHPから見ていただくとして、講演の内容は、全て、手話通訳と同時入力で(要約筆記というよりすべての言葉が)スクリーンに映し出されていました。
手話通訳は、数人の方がいらして、大体20分ごとくらいで交代していていたようです。 私は、こちらの方も読み取れるところがどれほどあるのかと大変気がかりでした。ほとんど解りません。難病の人という手話は解りました。「難しい」+「病気」+「人々」。

まだ、SORD副代表の中岡亜希さんは、以前テレビでも拝見したことがある、JALの客室乗務員で「遠位型ミオパチー」という難病にかかって長い闘病生活を送られ、現在も病気なわけですが、大変輝いておられるようにお見受けしました。

最期に行われた交流会では、iPSバンク化構想に関する事が多かった中、私はソルドのソルドコミュニティーに関するシステムに関して伺ってみました。
全国の稀少難病患者を呼び起こす→つなぐ。つまり、同病患者を探し、集まり、情報交換が可能になるという事。
私の質問は、小さな例ですが、「骨盤臓器脱ネット」でも要求される事は、患者同士の関係ではなく、医療機関の紹介ですが、そのようなケースはどうされるのですか?

これに関するソルド代表小泉さんのお応えは、やはり全国で医療格差というものが存在します。一例として地方にお住まいの方と東京にお住まいの方が同病であったが、東京の方の方がよりよい治療を受ける事が可能であった。そこで、地方の方がどうするかはその方の判断による。このケースの場合は治療を受ける事ができた。
つまり、「患者さん同士をつなぐ事が仕事です」というお応えでした。

私は、ここに参加してきた興奮と感動をしゃべり伝え、分かち合える人が身近にいない事が少々不満です。

昨日は、遠出とあって、試用期間のフレゼニウスカービではなく、テルモのポンプ及びチューブで出かけました。夜9時過ぎに帰宅するまで一度もアラームが鳴る事なく、やはりこれは優れものだと実感しました。


いろいろ 2011年2月1日

中日新聞「胃ろうをつくりますか?」に黙っていられず意見を送っていました。

先日、担当の方からお電話をいただきました。 沢山の意見が寄せられたけれど、胃ろう本人からのものは、私だけだそうです。

私がばたばた反論するのは、私が「胃ろうですけど・・・何か」と開き直ることができずに「54歳だから胃ろうで生きていてもよい」という確信を得る事ができず、常に頭に・・・いいの?という疑問があるからだと思います。

そして、更に「胃ろう」造って生きているなら、それなりのことをしなければならないというプレッシャーも持ち合わせて時に面倒くさくなる様に思います。
チューブから漂白剤の様なものを流したらどうなる?と度々考えます。 それは、胃ろうを造った医師にも申し訳ないですよね。

記事はそれなりに上手にまとめられていました。 しかし、大見出しが「最期をどうむかえる」ですからね。
なかなか複雑な感じです。

私が送った元々の原稿は以下のものです。

中日新聞 医療取材班様

「胃ろうをつくりますか?」の記事を拝読致しました。
私は、現在54歳。小腸狭窄のため、経鼻栄養、中心栄養を経て、一昨年より胃ろうを造設して、普通に仕事をしております。
今回の記事のタイトル「早すぎる医師の判断」にとても疑問を感じています。

むしろ「遅すぎる介護施設の対処」ではないでしょうか?

この様な状態になった時にどのようにするのかを入所時に家族と施設の間で相談をしておくのが当たり前の様な気がします。転ばぬ先の杖です。
今回の例ですと、点滴も自己抜去なさる方が水分も摂取できずに数日経ってしまったら、それこそ死に至ります。 そうなると、今度は医師が適切な処置を怠ったと訴えられるケースも考えられます。 ですから、医師は急ぎます。
胃ろうは造設しても経口摂取が可能になり、必要がなくなったらチューブを抜いて放置しておけば閉じる物です。 ですから、一時的に造り、慣れた環境に戻ったらまた口から食べるという方法もあります。

問題になっている事は十分承知しているつもりで、私自身も中心栄養の時から「これで生きていていいのだろうか?」との疑問は持ち続けています。 けれど、筋ジストロフィー等、または嚥下が不可能な病気の方は、胃ろうによって大変助けられています。

ですから、高齢者に造設する胃ろうの他に「胃ろう」はこの様なケースで人の命を助けているという事も書いて欲しいと願います。

私は、小腸狭窄ですので、朝昼晩と分けて短時間で胃ろうから栄養を入れることは不可能です。その為、一時間に100cc程のスピードで注入しているので、1200キロカロリー摂取しようと思うと、12時間程が必要です。フルタイムの仕事をしていますので、在宅成分栄養用のポンプとエレンタールをショルダーバックに入れ、持ち歩いてます。本来在宅で使うものを移動しつつ使うというのはなかなか工夫が必要なものです。

仕事をしている人間だから「胃ろうで生きていてもいい」ということは決してないと思います。
常に疑問を感じている、又、口から食べる事をせずに他の部分は一般的生活をしているとなるとストレスも多いものです。 ご存知とは思いますが、胃ろうは内視鏡を使って造設するのみならず、私の様に外科の開腹手術の際に造設し、小腸が狭窄して消化液が流れなくなった時にドレナージをする目的もあります。これですと、イレウスチューブを鼻から通すという困難な処置無しで腸内の減圧ができます。

この記事で周囲から胃ろうのことが載っていたと言われ、一生懸命反論している次第です。
胃ろうの悪い点のみ書くのではなく、胃ろうで助かっている人のことも紹介してそれから、一般の人が読んで誤解のない記事にして欲しいと感じます。 ちなみに私はリビングウイルとでもいいましょうか、医療に関する将来計画ともいいますが、それには、他の病気等で延命が必要になった時には胃ろうは閉じ、経管栄養は拒否と明記しています。

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