大好きだった子

好きだった子1

高校1年生の4月。「生徒が通学中、救急車で運ばれた。」という電話があった。
病院からの連絡ではすぐに入院するという事だった。
救急車で運ばれた生徒の自転車を取りに行く事になったが、場所がわからない。そこへ、その時そばにいた女子生徒が学校に到着した。
それが、高校生の洋子さんとの初めての出会いだった。名前も知らないし、初めて見る顔だった。ちょっと髪の毛が赤いようだった。
洋子さんと自転車をとりに行った。車で10分ぐらいの所。
自転車を車に乗せて、学校に帰って来たら、洋子さんが「ありがとう、ございました。」と言った。
えっと思った。
洋子さんは授業にも出ずに、わざわざ一緒に行ってくれたのだ。
こっちが「ありがとう」って言おうと思っていたのに。写真を見て、名前を覚えた。
秋、音楽鑑賞会を無断欠席した子が、化学室に集められて怒られた。
それが終わって化学室から出てきた女の子が、廊下にいた私に「すみませんでした」と言った。 また、えっと思った。
この子の授業は持っていないし、この子としゃべったこともない。
なんで…。実はこの子は自転車を探しに行ってくれた洋子さんだった。
高校2年生になると、学校をよく休むようになった。
修学旅行の時には何か悪さをした為に他の生徒と別行動になり、私の監督のもとに1日を過ごした。
1年生の時と変わったようには見えなかった。
高校3年生になると、先生に悪態をつくというような事も小耳にはさんだ。
何が彼女を変えさせたのだろうか。3年間、授業も担任も持たなかったが、洋子さんは高校を卒業していった。
「ありがとう、ございました。」と「すみませんでした」の言葉は忘れる事ができない。
素直ないい子だった。

好きだった子2

浩君はスポーツ少年団のサッカーに入っているのだが、サッカーは大好きじゃなかったようだ。
小学1年生の頃は、練習中でもすぐ砂遊びをした。
(これは小学生の低学年ではよくあることで、試合中にコートの中で砂いじりをする子もいる。)
浩君は体操をすると、手をひろげてコマのように回転を始める。(これも小学生には時々いる。)
疲れると、大の字になって地べたに寝てしまう。なかなか起きあがろうとしないので、だっこして外へ出す。
なかなか手間のかかる子だった。
でも、練習後のトンボかけは黙々とやる。小学1年生にとってはかなりの重労働なのだが、この時は疲れたと言わない。
よく、おんぶやだっこをせがむ。肩車をしてあげた時の事だ。
浩君が体重を前にかけてくるので、「首が痛いよう。」と言うと、肩をもんでくれた。
痛いのは肩ではなくて、首なんだけどね。かわいい子だった。
くるくる回るのが大好きな女の子がいます。家の中でも公園でも我を忘れて、くるくる回ります。
で、時々、木にぶつかったり危ないので、お母さんが先生に相談しました。
先生は「何か集中できるものがあるといいんですが」と答えたそうです。くるくる回るのを止めさせる為に。
うーん。違うんですよ。 その子にとっては、くるくる回っている時が集中している時なんです。

好きだった子3

笑顔の絶えない子だった。1年生の時、担任した。1学期赤点をとった。
9月、宿泊研修で事件が起きた。夜の11時頃、女の子3人が行方不明になっている事が分かった。
教員全員で全室、ホテルの外も含めて探したが見つからなかった。誘拐でもされたんではないかと思った。
同じクラスの雅夫君の部屋の男子5人を起こして行方をたずねたが、誰も知らないと言う。
そうこうしているうちに、1時になってしまった。
しょうがないので、ホテル全館に緊急放送をして、出てくるように呼びかけたら、すぐに出てきた。
先生たちが大騒ぎをしているので、出るに出られなくて、押し入れにかくれていたらしい。
その辺の事情をさっきの男子生徒達は知っていた事が分かった。つまりウソをついていたわけで、その5人を起こして殴った。
その時、雅夫君だけがよけたので、もう一度殴った。教員になって最初にして、最後の事だった。
次の朝、男の子5人はそろって、「すみませんでした。」と謝りに来た。
10月、私に書いた手紙。
「正直言って、何をすればいいのかわからない。適当に学校行って、適当に毎日を過ごしている。
中学の時は、向かっていくものがあった。部活や受験を含めて。でも、今は何もない。
9月までは、学校行っても意味ないからと、思って、学校止めて仕事しようかと、思った。
でも、やりたくはない。
仕事やるより、高校行って大学行って自分のやりたい事、見つけようと思って、10月から過ごそうと思う。
だから、今はやりたい事、見つけるのが目標です。」
「先生がクラスのみんなのことを本当に大切に考えていることが宿泊研修でわかった。
僕たちはウソをついて、そのウソで、ついていいウソとついてはいけないウソがあることがわかった。」
学校は休まないがよく遅刻をする子だった。当時、遅刻をすると1ヶ月の遅刻の回数分、次の月に学校の周りをマラソンする。
1周800mである。よく生徒と一緒に走った。「先生なんで走っているのですか。」「健康のためです。」
ある日、5周走って、6週目の時、雅夫君が「先生、勝負しようか。」と言う。喜んで挑戦を受けた。
20年ぐらい前には1500m走を担任していたクラスの体育の時間に一緒に走って、男子20人中、2番だったが、それから10年以上たっていた。
残り300mぐらいで追い抜いたが、後ろを振り返るとついてくる。
こっちは限界だったから、抜き返されるなと思ったら「先生、腹痛いから止める。」
そのクラスではこの子だけが進級が危ぶまれていた。
英語の試験対策用プリントを何回か作ってクラス全員に配ったが、本当はこの子専用のプリントだった。

この子はサッカーが大好きだった。3学期の球技大会では優勝した。そして、進級した。
2年になってクラスが変わった。授業は出ていなかったので、時々そのクラスの出席簿を見ていた。よく休むようになっていた。
1学期の途中、学校をやめていった。
「迷惑しかかけられず、悪いと思っています。これからも、先生がんばってください。」というメッセージを残して。
「おまえもがんばれよ。」の前に言われてしまった。この子もかわいい子だった。

好きだった子4

宿泊研修の部屋決め。いつも一人ぼっちの女の子がいた。女の子の部屋決めはたいていもめる。
心配だったたけど事前の根回しはしなかった。このクラスはとてもいいクラスだった。
掃除をさぼった人がいても、非難しない。「いいんです。私達がやりますから。」
人がいい子が多い。だから、この子達なら何とかするかもしれないという期待もあった。とうとう、その日が来る。
葵さんは「あなた、こっちへ来なよ」と、その子を強引に自分と同じ部屋にしてしまった。この強引さが良かった。
こういうやり方もあるのかと思った。それまではおとなしい性格の子だと思ってたけど。
このケース以外でも、普段違うグループの子達が部屋の人数の制約で同じ部屋になっていたが、
生徒の間ですんなり決まってしまった。
担任の知らないあいだに生徒のつながりはできていたのかもしれない。
衝撃的なその時の部屋割り表は黄ばんでしまったが、今でもとってある。
勇気のある子だった。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。