孫郎と周郎
後漢末、呉候・孫堅は戦乱をさけるため、舒城へと家族を住まわせた。

舒には孫堅の長子、孫策と同年の周瑜という少年がおり、
二人は子供同士仲良くなり、周瑜は自らの家の領地の隣の屋敷を孫策親子に提供し、住まわせるほどであった。
周瑜の家は名門で、周瑜のために文武両道の家庭教師を招いて学ばせていた。
周瑜もその先生を非常に尊敬していた。
周瑜は非常に才能の豊かな少年であり、隣に住む孫家でも同じように孫策のために家庭教師を招くようになった。

ある日、孫策と遊びに行こうとする周瑜を、孫策の母が呼び止めた。

その悩んだ様子に周瑜は
「どうかしたのですか?」と声をかけた。
「公瑾殿、あの子は呼んだ先生を次々と追い出してしまうので困っているのです。
あの子はあのとおりわがままで気位ばかり高くて・・・なんとかならないものかと思い悩んでいるのですよ」
そう言って孫策の母は深いため息をついた。
「わかりました。私が理由を聞いてみましょう。なんとかしてみます」
周瑜はそう約束した。

周瑜は孫策と遊びにでかけた野原で、
どうして先生たちを追い出してしまうのかと訊ねた。
すると孫策はふんぞり返って言った。
「皆口ばかりで能の無い者たちばかりだからだ。それにいづれも無名の者たちではないか。あのような者たちから学ぶことなぞ何もない。おまえはどうして追い出さないのか?」
「私は先生を尊敬しているよ。とても素晴らしい先生だと思っている」
周瑜はそう言った。


孫策はふん、と鼻を鳴らし、周瑜を見た。
「そうか、賢いおまえがそんなに尊敬するという先生なら、是非俺も弟子にしてもらおうと思うが、どうだ?」
孫策はいたずら者らしい笑みを浮かべた。
周瑜はそんな孫策を見て、彼が自分の先生を試すつもりなのだ、と悟った。
「いいよ。但し弟子になれるかどうかは先生に会ってもらってからじゃないとなんともいえないよ。それでもいいかい?」
「ああ、いいとも」
周瑜はさっそく孫策を自分の先生のところへと連れて行った。
先生は孫策を頭のてっぺんから足の先までを眺めてからこう言った。
「儂は能無しで人嫌いなので弟子は一人しかとらん事にしているのだ」
孫策はこれを聞いてカッとなったが、周瑜の手前、ぐっとこらえて
「ではお側仕えの書生にしてください」
といったので、先生はうなづいた。
ある日先生は二人をつれて町外れに散歩に出た。
そこで大きな棗の木を見つけた。
見ると、真っ赤に熟れた実がたわわに実っていた。
「策よ、あの実を取ってきなさい。皆で味わおう」
先生の言いつけに、孫策はさっそく木によじ登ろうとした。
「待て、木に登ってはいかん」
言われて孫策は下から木を仰いでジャンプしてみるが自分の腕二つ分ほどまだ届かない高さであった。
それで孫策は
「では竿を取ってきて叩き落します」と言った。
「引き返すことはならん。ここで取れ」
とあくまでも厳しい態度の先生に、孫策は成すすべもなく真っ赤になってその場に立ち尽くした。
先生は視線を周瑜にうつし、
「おまえは取れるかね?」と言った。

「はい先生」
そうはっきり返事をすると周瑜はやおら自分の帯を解いて棗の枝に投げ上げて絡め、ぐい、と引き寄せると、その枝から次々と棗を取って先生に渡した。

孫策はそのさまを驚きをもってみていた。
先生は微笑して孫策に言った。
「どうだ、見たかね?先生を招く招かない以前に、修行するかどうかという態度が問題だ。おまえの父上は文武に秀でた立派なお方で呉候という高い地位にもつかれておるが、名のある師について学んだという話はついぞ聞いたことが無いぞ」
父の名を出されて、孫策ははっとし、先生に対して礼を取った。
「先生のお言葉をうかがって目がさめました。どうか私を先生の弟子にしてください」
先生は孫策の殊勝な言葉に、孫策が改心したことを知って、弟子入りを認めた。


そしてこう言った。
「周郎、孫郎、おまえたちは本日から兄弟弟子だ。文武両全に励み、一心同体の義兄弟として将来、国のためにつくすのだぞ」
そして二人の両手を互いに結ばせ、義兄弟の誓いをさせた。
ふたりはお互いに見合って、うなづきあった。

この先生が二人のことを孫郎、周郎と呼んだ最初の人だったのである。




(終)