「貂蝉」
「はっ」
名を呼ばれて、貂蝉は敬礼した。
「これより君を洛陽署、マル暴対策課に配属する」
「はいっ!がんばります〜ぅ」
「うむ。期待しておるぞ。目下の敵は董卓組だ」
「は、はいっ!」
貂蝉の上司である王允はここ、洛陽署の署長である。
婦人警官である貂蝉は、先日交通課から捜査二課こと通称マル暴課に異動になったのだ。
マル暴課とはいわゆる暴力団(つまりヤクザ)を取り締まる部署である。
「ではさっそく市民からの苦情がでている地区に行ってもらおう」
「はいっ!」
一方、こちらは洛陽に本部を置く董卓組。
中原一体に幅をきかせる暴力団である。
組長の董卓はでっぷりと太った身体にヒゲヅラで、機を見るに敏感な男で野生の感ともいえる処世術でここまで昇ってきた男である。
人一倍お金に貪欲で、おまけに女好きであった。
「今度の株主総会のターゲットは河北物産の袁紹んとこだな」
自分の右腕、李儒に董卓は言う。
「次男のスキャンダルに跡目争い・・いろいろ叩けばでてきますからね、あそこは。いくらくらいにしときます?」
「一億くらいで勘弁しとくか」
「へい、じゃあ、総会屋に手配しときます」
「呂布はどこ行った?」
「さあ、またドライブじゃないですか?」
「困ったヤツじゃ」
董卓組の若頭である呂布奉先は、車好きで、もといた丁原組から董卓に高級車を貰うことで裏切ったのであった。
そのせいか、董卓の元でも好き勝手している。
しかし腕力ではだれも勝てないので何も言えないのであった。
「華雄を目付け役にしますか?」
「いや、華雄にはまだまだ縄張りをひろげてもらわんといかんしな。高順あたりに言っとけ」
「はい」
「あ、市民から通報のあった車ってこれね〜」
貂蝉が駆けつけたのは、狭い道に店が建ち並ぶ商店街であった。
その狭い道の真ん中に、真っ赤なフェラーリが一台止まっている。
市民からの通報は、暴力団の迷惑駐車を取り締まってくれ、とのことだった。
「んも〜信じられない。こ〜んな狭いとこに駐車するなんて。何を考えてるのかしら。えい」
貂蝉が車のボディをちょっと持ち上げると、フェラーリの車輪が地面から浮き上がった。
「このまま転がしちゃおっかな〜」
貂蝉は片手でフェラーリを持ち上げている。
すでに車は45度くらい傾いていた。
「くぉらーーーー!!てめー俺の赤兎に何しやがるっ!!」
背後でガラの悪い怒声が聞こえた。
振り向くといかにもゴツそうな大男がものすごい形相で走ってくる。
近くの通行人たちは思わず立ちすくんでしまうほどだった。
「あら、この車、あなたの?」
「・・なっ・・・・!」
笑顔で振り向く婦人警官の前で立ち止まった呂布が言葉に詰まった。
(・・・か、カワイイ・・・・・っ!!!)
呆然と貂蝉の顔を見つめる。
貂蝉は何事も無かったかのようニ車を元に戻す。
「あなたが持ち主?この車、赤兎っていうの?名前なんか付けちゃっておっかし〜ぃ」
「あ・・そ・・・そうです・・・」
「駐車違反で〜す。キップ切りますね〜」
呂布ははっ、と我に返った。
「なんだと!てめえ、俺を誰だと思ってんだ!董卓組の呂布だぞ!!」
呂布は貂蝉に凄んで見せた。
「でも〜違反ですからぁ、来ていただかないと私上司に怒られちゃうんです〜」
貂蝉は間延びした声で呂布の見た。
その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
(ううっ・・・!!も、モロ俺の好みのタイプ・・・・!!!)
「あっ・・し、仕方・・ないな・・・今回だけだぞ」
何か立場が逆な言い方だが、とにかく呂布は駐車違反で連行されていった。
貂蝉のミニパトの助手席に大きな体を折り畳むようにしておとなしく乗っている呂布は、走行中、ずっと貂蝉の顔やらミニスカから出ている脚やらを眺めて楽しそうだった。
「あっ!!いけない・・・!」
突然貂蝉が大声を出したかと思うと、車を急停車させた。
「わわっ!?」
シートベルトをしていなかった呂布は助手席のフロントガラスに頭から突っ込んでいた。
「・・っってーーーーっ!!この!急に止まんな!!あぶないだろ!!」
「ご、ごめんなさ〜い・・」
貂蝉がまたうるんだ目で呂布を見るので、呂布は頭にできたたんこぶを押さえながらもその度に胸がキュンとなるのだった。
(・・カワイイ・・だめだ、もう可愛すぎる!!)
「・・し、仕方ないな・・なんだ一体?」
「あの〜」
「?」
「私、昨日まで交通課にいたからついそのつもりであなたを連れて来ちゃったんですけど、私のお仕事ってマル暴を取り締まることだったから〜こんなことしてる場合じゃあ、ないんですよね〜」
「へ?」
そのときの呂布の声は脳天から出ていたかもしれなかった。
「あんたが、マル暴?」
「はい!ねっねっ、聞いてください!今日からなんですよ〜!私に務まると思いますかぁ?」
貂蝉は至近距離で手をグーに握って呂布にそう問いかける。
「・・・あんたさ、さっき俺が名乗ったの、聞いてなかった・・?」
「・・・?なんか言いましたっけ?えっと・・・銅鐸組合の毛布さん?」
「董卓組の呂布だっっ!」
呂布は肩を震わせて怒りにまかせて怒鳴った。
いつもならもうこの段階で相手の命はなかっただろう。
だが、今日の呂布は違った。
「・・あ」
目の前の婦人警官はまた大きな瞳にいっぱい涙を溜めている。
「あっあっ、あ・・・わ、悪かった!!な、泣かないでくれっ・・!」
呂布はあたふたと慌てた。
「すまん、怒って悪かった・・・」
「ぐすん、ぐすん・・・」
「困ったな・・・。なんでよりにもよって、あんたみたいなのがマル暴なんだよ」
「そんなこと言われたって、私、お仕事なんですぅ」
貂蝉が潤んだ瞳で呂布を見上げる。
(ううっ・・・!だ、だめだ。・・・俺・・・・惚れた!)
「・・・あんたみたいなのが組のショバをうろうろしてたら攫われちまうぞ・・・仕方がない、俺が守ってやる」
「本当ですかっ?毛布さん!」
「呂布だっ!」
「ふぇ・・」
「ああっ!頼むから、泣くなっ!!」
貂蝉は涙ぐんだ目をいっぱいに見開いて呂布を見つめた。
(チョーゼツカワイイ!!!)
「じゃ、じゃあ〜今度一緒に董卓組のなわばり案内してくれますか〜?」
「・・・仕方ないな」
(わ〜!それってデートか?もしかしてっ?)
「きゃあ!ありがと〜ございますぅ〜」
貂蝉は喜んで呂布に抱きついた。
(おわーーーーっっ!!シ、シヤワセ・・・・)
人知れず呂布の顔は彼の愛車並に赤くなっていた。
そうして、元の場所まで戻ってきて、呂布はミニパトから降りた。
「じゃあな。おっと、あんた名前はなんて言うんだ?」
「貂蝉ですぅ」
「貂蝉・・・」
(貂蝉ですぅ〜〜だって!!カワイイーーーーっ!!)
「じゃあ、また〜」
「うん、また」
貂蝉がヒラヒラと手を振るのに応えてつい手を振ってしまう呂布であった。
そうして貂蝉のミニパトが遠ざかっていくのを見送っていた。
強面の呂布はにへら〜とした顔で手をふるのを、通行人たちは奇異の目で見る。
「こぉるぅあ〜!何見てんだー!殺すぞ!」
呂布が凄んでみせると、通行人たちはそそくさと逃げ出した。
(貂蝉ちゃんか〜可愛いなあ〜教えた俺のケータイに電話くれるかなあ〜)
顔と頭の中が一致しない呂布は、あくまでも純情な男であった。
ミニパトで署に戻る途中の貂蝉は、胸ポケットから煙草を取り出してくわえた。
車のライターで火をつける。
片手でハンドルを握り、もう一方の手で煙草を挟む。
「・・・ふん。あれが呂布ねえ・・・大した男じゃないわね」
そうつぶやきながら、吸った煙草の煙を一息に鼻から出す。
「ふふっ・・・どう料理してやろうかしら・・・楽しみだわ」
マル暴課勤務・貂蝉。
交通課にいたとき、犯人の車を追いかけて大破させたこと130回、犯人に重症を負わせたこと35回、ミニパトを廃車にしたこと85回。
おそるべきことにそれらすべての罪は相手側が被っている。ふつうならとうに懲戒免職になっているようなことすらもあるのだが、裁判沙汰になったことは一度もない。それどころか、相手側の被害者はいまだに貂蝉宛に贈り物をしてくるほどなのだ。
すべて貂蝉のこのしたたかな二面性の性格によるものであるとは、誰も気付かない。
彼女は正義感に燃える婦人警官であったが、その性格に難ありということで今回の配属となったのだった。
その怖ろしい仮面の裏の素顔を知る者は上司の王允のみであった。
(終)