高津 頼満(たかつ よりみつ) ?〜?  


高津小城 跡地の柿本神社中ノ島の地頭、高津小城(たかつしょうじょう)の城主、高津氏は吉見氏(津和野三本松城の城主)の氏族が代々受け継いでいたが鎌倉時代に一度滅亡する
 その後また吉見氏の氏族が入り復興、1471年12月、益田貞兼の進軍により降伏し益田氏の傘下へ入っていた
 しかし、高津氏の末裔・高津頼満は1546年3月に密かに元主家・吉見正頼に共闘する文を送り、吉見氏へ寝返る、1552年8月に吉見軍が虫追大嶽城の領家恒定を攻めると、頼満は益田家を裏切り吉見軍に荷担し益田軍・周布権次郎を討ち取る。

(高津小城の跡地には現在「柿本神社」が立って面影は残ってないが、益田領内の城では五本の指に入る有名な城で名前の由来は「高津の小山にある」と言う事から来ているらしい、因みに標高は40mの小山である、神社の上から見える風景(両脇に民家が有り中央に約100mぐらい大通りが通っている)が正に小さい城下町の名残そのものだ)

その後の資料が残っていない所を見ると、この後、益田氏によって高津一族は滅殺されたか滅亡したのかも知れない。
高津氏
本家・初代 吉見頼行 嫡男・二代 吉見頼直
頼行・九男 高津長幸 断絶 高津孫三郎

益田市教育委員会文化振興課・認定

本家・四代 吉見頼弘 本家・五代 吉見成頼
復興 高津頼世 ・・・ 末裔 高津頼満

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