blind summer fish 49

 マックス・タガートはロイが初めて研究所を訪れた際、顔を合わせたことのある人物だった。東方司令部にほぼ隣接して建設されたここは、科学、地学、気象学についての研究機関であり、錬金術師も多く所属している。無論、検死の技術を持ち合わせる者もいて、軍司令部の手に余る死体が研究所に持ち込まれることも珍しくは無い。
 基本的には建物内への入館には受付と所属研究員の許可、来館者名簿へのサインが必要だが、国家錬金術師であるロイは面倒な手続きはパス出来る。今日も当然のようにフリーパスで、ホークアイとブレダとハボックを伴って入館した。
 アポイントメントも取らずに、木箱とシートで包んだ死体持参で押しかけてきたロイを一目見て、タガートは皺の刻まれるようになった顔を忌々しげにしかめながら吐き捨てた。
「帰れ」
 ロイの年齢の倍以上を生きているタガートは、自室のすぐ前に立っているロイの鼻先でバタンと大きな音を立てて扉を閉めた。勢いで巻き起こった風がロイの顔に吹き付ける。
 しかしここでめげては話が始まらないので、とりあえず扉をノックして部屋の主に語りかけた。
「ドクター・タガート。ぜひ検死していただきたいのです。人間の死体を二体と鳥を十二羽」
 部屋の中から返事はない。
「お願いします、ドクター」
 やはり返事はない。
 ロイは根気強く語りかけ、ノックを繰り返した。中佐があそこまで真面目に……と後ろでひそひそ話をしている部下をよそに内心「めんどくさいな、早く出てきやがれおっさん」と罵りながらも、口調にはそれを少しもにじませない。至極穏やかに丁寧に、年下らしく下手に出てのお願いである。
 しかし、ロイの一見真摯に思える願いも、部屋の主にとってはしつこい嫌がらせにしか受け取れないらしい。ようやくパタリと開いた扉の向こうでタガートはやはり忌々しげに顔をしかめながら「うるさいぞ、貴様。嫌がらせか!」と若干鼻声でロイを罵った。
 面と向かっての罵声は、にやにやしながら卑屈に遠まわしの嫌味を言う上官よりはよほど気持ちいいものだとロイは思っているので、タガートのことはそれほど嫌いではないし、ようやく開いた部屋の扉に満足してにっこりと微笑んでやった。
「その若造からドクターにたってのお願いがあって参りました。これ、検死お願いします」
「……っ、糞野郎め。どけ。邪魔だ」
 ロイが木箱の前から退くと、タガートは蓋を取って中を覗き込んだ。
「骨になってんのと蝋化してんのが一体か。鳥は俺の管轄外だ。他所へやれ」
「それでは引き受けてくださるんですね。ありがとうございます」
 むかつく野郎だと舌打ちしたタガートの指示で、ブレダとハボックが検視室へと木箱を運ぶ。そして二人が三つある検死台にそれぞれ人間の体を一体ずつ、残りの一台に鳥を並べ始めたのを見て、タガートはバンと派手な音を立てて作業台を叩いた。
「鳥は他所へやれと言っただろう!」
「しかしドクター、これには事情がありまして、滅多な人物に頼むわけにはいかないのです」
「どんな事情があろうと俺には関係ねえな。屍蝋化した死体は珍しいから引き受けてやるだけだ。白骨したのはそのついでだ」
 見せ付けるように、鳥が乗っている可動式の台を壁に向かって蹴ったタガートに、ロイはこれで考えが少しは変わってくれるといいなと思いながら赤い包みを取り出した。
「この死体と、これとの関係性を疑っているのです」
 タガートは赤い包みを開き、中から現れた白い粉に首を傾げた。
「薬か?」
「おそらく。小麦粉には見えませんから」
「貴様のその物言いが気に入らん。……とりあえず、その事情とやらを話せ。聞いてやらんこともない」
「ありがとう、ドクター」
 気の短いらしいタガートに、ロイに変わってホークアイが要点をかいつまんで説明をする。ロイに任せていては途中でエドワードの話が混じって先に進まなくなるかもしれないことを危惧したのだろう。ロイにしても、そうなる可能性はないとはっきり言えないのが悲しいところだ。
 一通りの経緯を黙って聞いていたタガートは、「甘い匂いがしたのか?」と確認を求めた。現に今、死体からも薬からも微かに匂いがするのだが、「鼻がつまっているんだ」というタガートには嗅ぐことが出来ないのだろう。
 頷く一同に対し、タガートは渋面を作る。
「甘い匂いと赤い包み紙には覚えがある。思い出したくないがな。詳しく調べてみないと確かなことは言えんが、これは……」
 包みを丁寧に折りたたみながらタガートは、「厄介なものを持ち込んでくれたな」と勢いのそがれた口調で呟いた。
「どうして俺のところに持ち込んだ?」
「軍内部の人間が関与している可能性があるからです。私はこの年にして中佐の地位にはありますが、上にはまだまだ人が多い。そして上官から圧力をかけられれば、生半可な研究員では事実を隠蔽するどころか検死すらしてくれないでしょう」
「だから俺というわけか。しかし俺とてお偉いさんからストップがかかりゃ、どうしようもないぜ。それどころかお前らに誤った結果をわざと教えるかもしれん」
「その点に関しては心配していませんよ。貴方はご自分の仕事に誇りを持っていらっしゃると私は見ました。正しい情報をお知らせくださると信じています」
「しらじらしい野郎だ。まあ、お前さんの行動は当たりだ、マスタング中佐。さっきも言った通り確かなことは言えんが、これはおそらく俺のよく知っている薬で、個人的に思うところもある」
 「貴様」から「お前さん」に呼称を変えたタガートに、ロイは「おや」と思った。どうやらこの気短な年長者にいい印象を与えたようだ。
「信用された分の仕事はしてやるよ。ただし人を貸せ。ああ、お前でいい、お前。さっきから嫌そうに顔しかめてるお前だよ。鼻がよさそうだ」
 検視室の匂いに辟易していたブレダは、突然の指名に驚いてまじまじとタガートを見た。
「俺ですか?」
「そうだ、お前だ。物覚えはいいほうか?」
「悪くはありませんが……いや、悪いですすごく悪いです本当です」
「嘘つくんじゃねえよ、下手糞め」
 もうブレダに標的を定めたと知って、ロイは無情に命令を下した。
「ブレダ准尉。ドクターのお手伝いをしたまえ。君の分の仕事は私たちでフォローしよう」
「あとそこの嬢ちゃん。あんたもだ。手先が器用そうだ」
 少尉はそんなに手先は器用じゃありません、というセリフは心の中だけでとどめたロイである。
「ホークアイ少尉は私の副官でいなくなられると私の仕事が全面ストップします。勘弁してください」
 これも本当の話だ。
「中佐のおっしゃる通りです。中佐はすぐ仕事をサボられるので、見張っていなければなりません」
「なんだ、お前ボンクラだったのか。じゃあ、あとで代わりの者を寄越してくれ」
 今から仕事に取り掛かるというタガートに「お前らは邪魔だ。出てけ」と言われて残りの三人は廊下に押し出された。こんな匂いのきついとこ嫌だと半ば涙目になって扉にすがるブレダにすれ違いざま、ロイは耳打ちをする。
「ドクターを見張れ。ドクターの周りもな」
 短い言葉でロイの言わんとしていることを理解したのだろう、涙目のブレダは「アイ・サー」と答えて、部屋の中央へ戻って行った。
 ドクターになんらかの関係があるのなら。思い出したくない、と言ったときの彼の顔からは悪い意味で赤い包みの中身に関わっていたとは考えにくいが、そうでないとは限らない。ドクターの動向には注意を向けるべきだ。逆に、どんな形であれ、それに関わっていたのならば彼の身に危険が降りかかる恐れもある。
 司令部への帰途で、ハボックが火をつけない煙草を咥えて言った。
「手先が器用でこういうの任せられそうなヤツって、誰かいましたっけ。……あ、フュリー軍曹」
 広い前庭の数十メートル先をちょうど横切った軍曹の姿を見つけてロイはにやりと笑んだ。
「あんた、まさかまた軍曹に頼むんじゃ……」
「こういうのを神の思し召しと言うんだろうな!」
  早速嬉々としてフュリーを呼び止めるロイと、いきなり呼びかけられてびっくりしながらも人の良い笑顔で応えるフュリーを見比べて、二人の部下は神様の思し召しとやらのせいでフュリー軍曹は大変だ、と勝手に彼に同情するのだった。