あなたのためにできること
後編

疾斗の荒れようは日増しにひどくなっていく。

警察沙汰になりそうなのを、慧がなんとか示談にしてもらったり・・・。

当然、チームのスポンサーからの苦情は出ており、当分の間は疾斗の出場を控えてくれと注文がおりていた。

「疾斗・・・。お前、いいかげんいしろよ・・・。加賀見さんにどれだけ迷惑かけてるか・・・!おい、聞いてんのか!!」

疾斗の部屋。

ベットにふさぎ込む疾斗のシャツの襟をつかんむ航河。

「・・・どうでもいいさ。何もかも・・・」

バキッ!

航河の拳が疾斗の頬を激しく打った・・・。

「てめぇッ・・・。いつもの威勢はどうした!!俺にさんざんくってかかってきてじゃなねぇか・・・!お前はそんなヤワな奴だったのか!?」

「・・・。ああ。ヤワイ男なんだよ・・・。悪かったな・・・」

「・・・てめぇッ!」

航河の拳が再び上がった。

「やめろよ!航河!」

和浩が航河の腕をつかんで止めに入った。

「離してくれ!カズさん!こいつの目をさまさせなきゃ・・・」

「気持ちは分かるけどとにかくお前も落ち着いて・・・」

バタン・・・ッ。

航河と和浩を余所に、疾斗は車のキーを持って部屋を出る。

「おい、まちやがれ!!疾斗!」

「航河・・・!今は何を言っても無理だよ・・・」

「だけど・・・ッ」

「航河の気持ちもわかるけど・・・。一番辛いのは疾斗本人だから・・・」

航河はたまらなかった。最初会ったときはなんて小生意気で礼儀知らずな奴だと思った・・・。

だが、共にレースに挑み、表彰台でシャンパンを浴びた仲間なのだと思える様になったのに・・・。

何もしてやれない自分が歯がゆい・・・。

「くそ・・・ッ!」

ドン!

疾斗を殴り損ねた拳は壁に打ち込まれた・・・。


一方その頃。ひとみはとある人物を訪ねていた。

(わぁ・・・。素敵なリビング・・・)

人里離れた山間。

ポツンと木造の大きなロッジがたっていた。

暖炉のある広い部屋でひとみはある人物を待っていた。

「すみません。お待たせいたしまして・・・」

コツ、コツ、コツ・・・。

妻に支えられて30代位の男が杖をついてひとみを出迎えた。

「初めまして。私は香西ひとみといいます。突然のお電話、すみませんでした」

「いえいえ。ま、とにかくお座りになって下さい。今、お茶を・・・」

愛想のいい、男の妻が手際よく紅茶をを差し出す。

「あの・・・。私、この雑誌を見てどうしても鎌田さんにお話をお聞きしたくて来ました」

ひとみがバックの中からとりだした雑誌。

サーキット関連の雑誌だ。

そこに、今週の人というコーナーがあり、 鎌田の事が載っていた。

「お恥ずかしい限りです。雑誌なんて柄じゃないから・・・」

この鎌田という男。

以前、”音速の貴公子”とまで言われたスターレーサーだった。

だが2年前。

レース中に大事故に遭い、生死の境を彷徨った。

奇跡の生還を果たした男と脚光を浴びたが、足に後遺症が残り、レース界から去った。

「それで・・・。お話というのは何でしょう?申し訳ないのですが取材なら受けかねます」

「いえ、取材ではないのです。私個人的な事で・・・。実は・・・」

ひとみは疾斗の事を全て包み隠さず鎌田に話した。

一体自分がすべきことは何か。

疾斗が立ち直るには何が必要か・・・。

「この雑誌を見て・・・。レース界を去られ、素敵なペンションを経営されているおお二人に・・・。是非アドバイスが欲しくて・・・」


「・・・」

鎌田はコーヒーを一口ゴクリと飲み干し、口を開いた。

「申し訳ないが香西さん。答えなんてないというのが『答え』です」

「私もそう思います・・・」

鎌田夫妻は口をそろえていった。

「え・・・。何故ですか?」

「その疾斗君というレーサーの気持ちはよく分かる・・・。私も『死に損ねた』クチですからね。死ぬのが怖くなる・・・。レースをしているときは全く『死』なんて意識もしなかったのに・・・。いや、レースで死ねるなら本望だとさえ思っていた・・・。でも実際に『死』に近い体験をするといかに自分が思い上がっていたかわかりました・・・。誰より『死にたくない。死が怖い』と・・・。いかに自分が臆病者だったか気がついて・・・」

鎌田は過去の自分を振り返るように語る。

「じゃあ鎌田さんはどうやって乗り越えたのですか?自分の心に・・・」

「・・・乗り越えてなどいません。今でも怖い・・・」

「え・・・」

「香西さん。貴方だって死ぬことは怖いと思うでしょう・・・?あ、よろしかったらどうぞ」

鎌田の妻がガラスの菓子入れから飴玉を出した。

「誰だって怖いんです。当たり前のこと・・・。自分を責める必要も恥ずかしがる必要もない。そう・・・。気がついたとき、私は本当に救われた気がした。心を雁字搦めにしていたのは自分自身だと気づけて・・・。それを妻が教えてくれたんです・・・」


鎌田が優しく隣に座る妻を見つめる・・・。

なんて優しい眼差しなんだろうとひとみは思った。


「・・・でもそれじゃあ私は彼にしてあげられることって・・・」

「もうしてあげているじゃないですか・・・」

「え・・・?」

鎌田の妻が微笑んだ。

「こうして貴方は彼のために私達に相談に来ている・・・。それでいいんじゃないでしょうか。誰かのために何をすべきか思い悩む・・・。きっと貴方の想い、きっと彼に届いています・・・。きっと・・・」

鎌田の妻はそう言って、紅い包みのキャンデーをギュッとひとみの右手に握らせてくれた・・・。


「はい・・・。ありがとうございます・・・」


キャンデーの甘い香りが・・・。


とても心強く感じた・・・。


私にできること・・・。


彼のそばにいてあげたい・・・。


もし、彼がそれを拒んでも・・・。

せめて・・・。


この気持ちだけは・・・。


P。

その夜。ひとみは携帯を見つめていた。

思えば、自分と疾斗の恋はこの小さな機械から始まった。

ならば・・・。

もう一度ここから始めよう・・・。自分の想いを伝えるために・・・。


『疾斗・・・。久しぶりのメールだね・・・。今日はどうしてますか・・・?御飯食べてますか・・・?あたし・・・。あたしも闘ってるから・・・。一人じゃないから・・・。それだけは伝えたくて・・・。じゃあまたメールするね・・・』


送信ボタンを押す・・・。

見てくれるか分からないけど・・・。

私にできること・・・。

何でもする・・・。

掛け替えのないあなたのために。


「こんにちはー!」

出版社の帰り、ひとみは毎日、宿舎に寄る。

「あの、カズさん。疾斗居ますか?」

「それが・・・。昼出ていったきり帰ってこなくて・・・」

和浩の顔が曇る。

気のせいか、ひとみが来る時間帯を避けるように最近はいなくなる・・・。

「そうですか。じゃあ、これ、カズさん達で食べて下さい★」

「え・・・、あの、ひとみちゃんッ」

黄色いチェックのハンカチに包まれたお弁当。

温かい。

和浩に手渡すとひとみは帰っていく・・・。

「・・・健気だよな・・・。彼女・・・。疾斗は食べてくれないの承知で・・・」

「・・・。加賀見さん。疾斗・・・。どうにかして救ってやれないかな・・・。このままじゃ疾斗もひとみちゃんも・・・」

「・・・」


加賀見はポン!

と力強く叩いた・・・。



ザー・・・。

朝から雨。

カチ、コチ。


カチ、コチ・・・。


窓のウィンカーが激しく動かしながら、ひとみは出版社に向かっていた。

(・・・疾斗・・・。どうしてるかな・・・)

そう思いながらゆっくりと住宅街を走っていると・・・。


「・・・!」


数人の男達に囲まれ、殴られている男が・・・。


疾斗だった。


キィ・・・!!

ひとみは急ブレーキをかけ、車を止め疾斗に駆け寄るひとみ。


「疾斗!!」

殴られたせいで唇が切れて血がでている・・・。

「何だァ?この女?」

柄の悪い金のシャツを着た男がひとみを見下ろす。

「これ以上、疾斗になんかしたら、許さないから・・・!」

男をキッと睨むひとみ。

「なんだ。女に庇われてやがるぜ。こいつ・・・。へん。くだらねぇ。相手にしててもつまらねぇな。行くぞ」

男達は唾をペッと吐いて、去っていった・・・。


「疾斗・・・!大丈夫・・・?」

ひとみがハンカチで口元の血を拭おうとしたが、パンとその手を払った。

「ほっとけよ・・・!俺なんか・・・」

「ほっとけるわけないでしょ・・・?俺なんかってなんて言わないで・・・」

「頼むから・・・。一人にしてくれ・・・!」


びしょ濡れのまま一人立ち上がり歩き出す疾斗・・・。

「待って・・・。疾斗・・・」

「ついて来るな・・・ッ!」


しかしひとみはついていく。

今の疾斗をほおっておくわけにいかない。


見失ったら・・・。


壊れそうで・・・。


疾斗はまるで迷い犬の様にあてもなく歩く・・・。


その後をひとみは歩く・・・。


歩く・・・。


二人ともずぶ濡れで・・・。


コンクリートの道・・・。


雨の滴が落ちる電線・・・。


二人は歩いた・・・。


公園の前で立ち止まる疾斗


「・・・。帰れよ・・・。ひとみ・・・」


「帰らない・・・。疾斗が帰るまで帰らない・・・」

「・・・勝手にしろッ・・・ッ!」

再びスタスタと歩き始める疾斗・・・。


「あ・・・待って・・・。わッ・・・」


ハイヒールのかかとがマンホール管の溝に引っかかった。

「痛タタ・・・。あれ・・・。抜けない・・・」

ひとみがハイヒールを引っ張るがなかなかとれない。

疾斗が行ってしまうのに・・・。

その時・・・。

ひとみの背後から大きなトラックが走ってくる・・・!

しかしひとみは気がつかない!


「ひとみ、危ねぇーーーー・・・ッ!!」


疾斗の声に振り向き立ち上がるともう目の前に、トラックが・・・!!!


「ひとみィーーーーー・・・・・・ッ!!!!」


疾斗はひとみを抱いたまま、路肩に空き缶がコロコロと転がるように転げ落ちた・・・!


「う・・・」

疾斗が気がつくと、自分のTシャツが赤く染まっているのに気がつく・・・。


「ひとみ・・・!!」


自分の腕の中で気絶しているひとみ・・・。


その額からは血が流れ出していた・・・。


「ひとみ・・・!おい、ひとみ!!目、開けろよ!!ひとみ!!」


ひとみの体を揺さぶっても目は開かず・・・。

左手がストン・・・っと力が抜けた・・・。


「ひとみ・・・。ひとみ、ひとみーーーーーー・・・ッ!!!!!!」


ファンファン・・・。


救急車の赤いランプの点滅をじっと呆然としたまま疾斗は見つめていた・・・。



白いカーテンが揺れる。病室の窓が少し開き、外の光が漏れていた。

ポタ・・・。

点滴が一定のリズムで落ちておく・・・。


頭に包帯が巻かれたひとみが目を開けた・・・。


「ここ・・・は・・・」


横を振り向くと自分の手を握っている疾斗がいた・・・ 。

「疾斗・・・。あたし・・・」


「ひとみ・・・。気がついたのか・・・。よかった・・・。よかっ・・・」


意識が戻ったひとみをみて思わず疾斗は目を押さえてる・・・。


「や・・・やだ。疾斗、泣いて・・・るの?」

「違・・・。泣いてなんか・・・」

ゴシゴシと涙をふき取る疾斗。

その仕草が何だか可愛く・・・。

「ふふ・・・。でもよかった・・・。疾斗はなんともないの?」

「・・・。お前・・・。一時意識なくしかけたってのにヒトの心配して・・・。ホントニお前って奴は・・・」


ひとみが自分の腕の中で意識を失った瞬間・・・。

自分のTシャツが赤く染まった瞬間・・・。


「怖かった・・・」

「え・・・?」


「お前が・・・死ぬかと思って・・・怖かった・・・。ホント怖かった・・・」


微かに手が震えている・・・。


「ひとみ・・・。ごめん・・・。俺・・・。俺・・・。死ぬのが怖かった・・・。事故が起きたからずっと・・・。だけど・・・。お前を失う方がずっと怖かった・・・。俺は・・・俺は・・・っ」

痛々しく包帯が巻かれた右手が疾斗の手の甲を包んだ・・・。


「それでいいのよ・・・。疾斗・・・。誰だって自分が死ぬのが怖い・・・。でもそれ以上に大切な人がいなくなるのがもっと怖い・・・。あたしだってね、疾斗が事故起きたとき心が凍るかと思ったよ・・・。みんな同じなんだよ・・・。だから・・・。自分を否定しないで・・・。それでいいんだよ・・・」


ギュウ・・・。


力強く疾斗の手を握る・・・。

想いを込めて・・・。


「・・・ひとみ・・・。ひとみ・・・」


その手の温もりが・・・。あんまりあったかくて・・・。


有り難くて・・・。


疾斗の目からまた・・・。


涙が零れた・・・。


わたしにできること・・・。


それは・・・。


想いを伝えること・・・。


強い想いを・・・。




それから1ヶ月後・・・。


レース場・・・。

雨で路面が濡れている・・・。

一台のマシンが走ろうとしている。

「疾斗・・・。大丈夫か・・・?お前・・・まだ・・・」

和浩が心配そうに疾斗に声をかける。

「カズさん。ここが正念場なんだ。俺の・・・。今日・・・。やらきゃ・・・。乗り越えなきゃ俺は前に進めない・・・」

「疾斗・・・」

「あいつのためにも・・・。俺はやらなきゃならねぇんだ・・・」

手の中のあのクリスタルのお守りを見つめる疾斗・・・。


「よしわかった・・・。でも無理するな・・・!僕も加賀見さんも航河も見てるからな・・・!」

「サンキュ・・・!」


ブオン・・・ッ!


疾斗の決心の様に勢い良くエンジンを蒸かせ、走り出す・・・。


あの事故以来・・・。


ハンドルを握ると足がすくんでいた疾斗・・・。


そんな自分と闘うように水しぶきをあげ走る・・・。


ピットではひとみが見守っている・・・。


(・・・疾斗・・・。頑張って・・・!)


ひとみの願いは通じるのか・・・。


疾斗のマシンは事故が起きた急カーブに差し掛かろうとしていた・・・。


ヘルメット越しにあの時の光景がぼやけるように蘇る・・・。


空と地面が逆転して・・・。


後は炎に包まれ・・・。


(・・・くッ・・・)


アクセルを踏む足が一瞬竦む・・・。


”一人じゃないから・・・”


ひとみの言葉が聞こえる・・・。


(・・・ひとみ・・・っ!)


急カーブでグッとアクセルを踏み、スピードを上げた・・・!

ウィィン・・・ッ!


マシンは綺麗なUの字を描くように曲がり、残りのコースも順調にこなし・・・。


ゴール・・・。


ゴールには加賀見達が待っていた・・・。


「疾斗・・・!」

マシンから疾斗が降り、ヘルメットを取った・・・。


そして加賀見達に深々と頭を下げた・・・。


「みんな・・・。色々すいませんでした・・・!俺・・・。まだ完全じゃないけど・・・。俺は今日から・・・。ここからまた・・・イチから始めたい・・・。いいですか・・・?」

「疾斗・・・」

和浩と航河はガッと疾斗の背中を叩いた。


「しょうがねぇ奴だな!また一緒に走ってやる・・・!いいか!疾斗!」

「僕もだ」

「カズさん・・・。疾斗・・・」

そして慧も疾斗としっかり握手を交わす。

「おかえり・・・。疾斗・・・。焦らずゆっくり行こう・・・」

「はい・・・!」


「・・・。ほら。早く彼女の所にいってやれ・・・!」

慧の後ろには・・・ひとみがいた・・・。

「ひとみ・・・」

「・・・。疾斗・・・」

「へへ・・・。何か振り出しに戻った気分だ・・・。そんな俺でも・・・。いいか・・・?」


「いいに決まってるじゃないの・・・!」


ひとみ静かに疾斗の胸で泣く・・・。


やっと大好きな疾斗の笑顔が見られたから・・・。


「・・・ありがとう・・・。ひとみ・・・」


そっと優しくひとみを抱きしめ何度もそう言う疾斗・・・。


「二人の世界だなぁ・・・。でもま、今日は目をつぶるか」

慧達もそんな二人を微笑ましく見つめていたのだった・・・。


見上げれば空は・・・。


虹が架かっていた・・・。



七色の虹が・・・。


fin

さて。最初はこんなに長くなるつもりはなかったのですが、前編中編後編と読んで下さり有り難うございました。それにしても、書いていてF1の世界の知識ってまったくゼロな私。専門用語とか分からないのでレースのシーンとか上手く書けませんでした・・・(滝汗)その辺りは大きな目でみてやってくださいね・・・。
さて。このお話はここで終わりじゃありません。じつはさらにエピローグが。前編で疾斗君がいっていた「ご褒美」を描いたエピローグがございまして。ハイ。ちょっとこっぱずかいしのでそのページは別にいたしました。このページのどこかに入り口がありますのでお暇な方は読んでいただけたら嬉しいです★では♪