緑灯
りょくとう

生きるか死ぬかだとか、自由にならない身体だとか。そんなことばかり隣り合わせで麻痺していく感覚に、外界の悩みはただ軽いばかりで人の苦しみなど私事を比べること自体無意味だと知りながら、ああ何が不満なのだと尊大にも思う。優しさの閾値は上がり反応しない心を冷たいと自身で感じるもそれももう他人事のようで、夢を見なくなってからどれくらい経つ。夢よりも暗闇を欲するようになってどのくらい。泥に沈み深く眠りたいとそれは現実逃避なのかも知れず、ただ優しくなりたいと呪文のごとく唱え、叶うと期待する様はまるで脅えた狂信者のようだ。呼吸もままならない小さな身体が廃用予防に動かされ反射で握られる指は温かく柔らかく、TVや紙上で繰り返される脳死は生か死かそんな議論は何ら意味を為さない。あの温かみを失いたくないと思って何が悪い。理性など何の役に立つ。病が心を壊しまた憂いが人の身体を壊す。内は空虚になって限りなく増大していく。奇跡を起こすなど不可能で治すのも治されるのも決まった出来事である。憧れた姿はどこにも無い。自分はなれなかった。弱った人々が回復を求める場所で自分は衰える。金を稼ぐための職業になぜ選んだ。なぜそこに埋め合わせを求めた。もう己に優しさがあるなどと誤魔化しは出来ない。日々は忙殺されガランドウになって暗い闇は広がっていくばかりだ。揺らされない心を抱えながら仮寝をいとおしむ。暗闇をサイレンに破られぬことを祈りながら。


緑灯
2003/10/20

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