エロ・グロ・ナンセンス



          

 べつに評論家じゃないので客観的にエロ・グロ・ナンセンスを語っても仕方がないので、自分の表現活動をするうえでのエロ・グロ・ナンセンスについてひとくさり。

 エロスは”陰”だ。陰陽の”陰”は、様々なものを表す。暗さ、マイナス、夜、柔らかさ、女性、冷気、そして内側。もっとも重要な要素であり、表現をする以前に、これこれこそが表現する内容なのだ。舞踏ではあまりお目にかからないが、これを表現でやるとメタフィジカルな要素が強く出ることになるかもしれない。観念的になるのは避けたいが、ただ無意識に踊るのでは満足できない。存在の暗黒面の底にある、真実。どうしてもそれを見つけたい。それこそが自分の神、唯一の救いなのだ。
 グロテスク。エログロのグロと言うと悪趣味なものを想像する人が多いだろうが、なにもウンコとかゲロとか下品なものに興味があるわけじゃない。むしろ社会的モラルや上っ面の人間性を越えたところにある、猟奇と残酷性を求めたい。当たり障りのない明るく楽しい表現とは相容れない。
 ナンセンス。これは、現実社会の常識を越えた(あるいは覆した)奇想のこと。物理科学や社会から押しつけられた一般常識なんぞは、表現活動する上でクソの役にも立たない。ときにナンセンスはユーモアの形をとることが多いが、これは作品の幅を拡げるためというのもあるが(私個人がナンセンスなギャグ好きという理由もある)、どシリアスなものをやっていると自分がその雰囲気に酔ってしまう危険性があるので、それを避ける目的もある。想像力をたくましくしながらも自分自身のロマンチシズムを否定しなければならない。

 実をいうと、ライブのパフォーマンスをやる上でこの3つのうちナンセンスが最も難しい。野外パフォーマンスなどで通りすがりの客を惹きつけるのにはある程度必要なものだし、エンターテイメント性の獲得のためにも有効なので試すこともあるのだが、なかなか思った通りの感触は得られない。TVのお笑い芸人なんかも大変だろうと思うが、余裕を見せながらも全力でやらねばならないということのなんと難しいことか。これが文章で描く分にはなんとかなるのだが、ライブでやるのは至難の技なのである。これからはもう少し残酷なブラック・ユーモアの方で試していきたい。

 エロス+グロテスク+ナンセンス、そこから産み出される暗黒舞台。野外でやるパフォーマンスではかなり制限が多いが、そこはあくまで実験の場だと割り切って、その成果を室内で結実させていきたい。もっともっと猟奇とブラック・ユーモアが渾然一体となった妄想をひり出していきたい。

   

 

 

       

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