怨歌 前篇

(「妄想日記」より転載)


 



          

XXXX年XX月XX日の行状

          

 

 平日はどうしても郵便物のチェックがおろそかになってしまう。週末になってポストを覗くと、案の定、中は手紙の束でいっぱいになっていた。
 電話料金の通知、様々な店からのセールの知らせ、知り合いからの公演のダイレクト・メール、などなど・・・。
 その中に一通、見慣れぬ封書が混じっている。藤色に染められたその封筒には差出人の名前がなく、切手も貼ってはいなかった。
 誰からだろうか?
 こんなマネをするやつは知り合いにはいなかったはずだが。

 部屋に入って封を切ると、数枚の便せんに筆で書かれた文字が綴られていた。
 それはこんな内容だった。


「○○様(オレの本名)、ご無沙汰しております。
 わたくしのこと覚えておいででしょうか。

 あれから長い年月が過ぎました。お互い異なる人生を選び、触れあうことのない世界で様々な経験をしてきたことと思いますが、お変わりなくお過ごしですか。

 わたしはいまでもよく思い出します。あの、XXXXの隠れ里で、修行に明け暮れた日々。
 いまさらながらに長く過酷な日々であったと思います。
 打ち身と切り傷、過酷な精神集中で削り取られた神経。ぼろぼろになった状態で帰り着く、冷え切った粗末な寝床。
 幼かったわたしは、血の出るような修練の辛さに耐えかねて、寝床でいつも涙に暮れていたものです。
 そんなわたしをいつも慰め、励ましてくれたのはあなた。
 数年にも渡る厳しい修行を、なんとか脱落せずに続けてこられたのは、傍らにあなたという存在があったからこそです。
 暗器に塗る毒薬を調合していたときは、私の分まで薬草を探し出してきてくれましたね。
 受け身の失敗により内傷を負ったときは、三日三晩眠らずに看病をしてくれましたね。

 当時は死ぬほど辛く感じたものですが、いまにして思えば、あの頃がわたしにとって最も幸せな時期であったような気がいたします。

 そんなわたしたちに、あのような運命が待っていようとは。
 いいえ、本当は薄々感づいていたのです。自分たちが何のために生きているのか、何のために厳しい訓練を受けさせられているのか。
 やがて訪れるその時から必死に目を背けることで、少しでもその到来を遅らせられるのではないかと思いこんでいただけ。

 XXXX拳とは一子相伝。継承者は単一でなければならず、その地位を賭けて競う者達に与えられるのは、力か死。ふたつにひとつ。
 長い間お互いを思いやりながら生きてきた二人に、どうしてこのような宿命が訪れるのか、そう思い悩んだのは一時の間だけでした。継承者を決める戦いを前にして、わたしは自分がいかにすればよいのか、とっくに心を決めていたのです。

 そして、運命のあの日の朝。あなたはわたしの前から、一族の前から、忽然と姿を消しました。
 あの時の虚脱感、失望感はたとえようがありません。それまでのわたしの人生は、あの日の決着、その一点に収束されるはずだったのです。
 きっとあなたは傷つけたくなかったのでしょう。愛していたあたし(そう思って良いのでしょう?)のことと、それを倒さなければならない自分、その痛みに耐えかねてあなたは逃げた。それが最も良い解決法だと思ったのでしょうね。
 けれどわたしは殺されても良かった。
 一族への責任、わたしへの責任、あたしを傷つけて勝ち取る継承者の権利と重責。それら背負っていたもの全てを放棄し、わたしをこの地獄へ置き去りにしてあなたは消えた。

 それからのことは言うまでもありません。前もって長老たちから、大体のことは教えられていたはずです。
 新しく一族の長となったわたしは、一人の人間としての存在を放棄し、数限りない影の任務をこなし、この日の本の国の暗部を支えながら偽りの生を送ってまいりました。
 でも、それもこれでおしまい。
 一族の血は絶えました。一人残らず血を流して、あの山奥の隠れ里で、人知れずに横たわっています。信じていた長に裏切られ、顔には驚愕の表情を凍り付かせたまま、この世の地獄から、あの世の地獄へと彼らは静かに旅立っていきました。
 一族の長の権利に於いて、このわたしが彼らの影なる命を奪ってあげたのです。

 いま、わたしは還ってきました。人の世の外から。忘却の過去から。


 お恨み申し上げております。
 永の年月にわたり想いつづけてまいりましたあなたに、せめて一太刀、せめて一太刀なりとも浴びせたく、こうして地獄より舞い戻ってきた次第でございます。
 あなたはどのような気持ちでしょうか。かっての思い人からこうまで心を寄せられて、少しでも心震わせてくれますか。
 再びお目にかかれる日をお待ち申しております。
 その日の訪れるのは、そう遠くはないことでしょう。

                    かしこ」


 誰も過去から逃れることはできない。
 自由を手に入れたつもりでも、そこは常に宿命という蜘蛛の巣の上。もがけばもがくほど絡まって、罪の記憶でがんじがらめになっちまう。

 彼女はオレを殺すだろうか。




後篇を読む 百物語・目次へ戻る 野外クラブ活動へ戻る