神様になった日



          

 100円玉が、500円玉が投げ込まれ、次々と祈りの言葉が唱えられる。新世紀の幕開けとともに、彼らは身勝手な欲望をぶちまけるのだ。
 ふふふふふ。賽銭箱の中にこのオレが隠れ潜んでいるとも知らず、おまえらのケチな願い事はしかと聞き届けたぞ。あくまで聞くだけだがね。
 正月の香取神社。新年の生活費を稼ぐため、オレは賢明に働いていた。賽銭欲しさに年の暮れから箱の中に身を沈め、参拝客の訪れを待ち構えていたのだ。

 今年こそ○○大学に受かりますように。
 今度こそ、宝くじが当たりますように。  どいつもこいつもろくな願い事をしやしねえ。小せえ、小せえ。もっとこう、血湧き肉踊るような邪悪な願いは無いのかねえ。  
 そしてまた一人、おめでたい奴がやって来た。だらしなく襟をはだけ、着物を着崩した年増の女だ。それなりに美人だが、どことなく水商売の匂いがする。安っぽい香水の匂いだ。
 その女、惜しげもなく賽銭箱に1万円札を放り込むと、目をつむり、眉間にしわを寄せて掠れた声で願い事を囁いた。
「御狐様、御狐様、どうかこの病、癒してください。
 御狐様、御狐様、どうかこの痛み、消してください。
 御狐様、御狐様、どうかあいつを殺してください。
 そのためのお供え物もちゃんと用意しました。今夜、あなたに捧げ物をさせていただきます。あたしの大事な大事な宝物、どうかお受け取りください。」
 そして女は、全てを見通すかのような目で、賽銭箱の中の暗がりを覗き込み、ニタリと嗤ってから、きびすを返して去っていった。
 ピンと来たね。こいつは犯罪の匂いがする。常軌を逸した猟奇の香りだ。
 病を治してくださいだと? いいとも、おまえの病的な欲望の禍根を断ってやろうじゃないか。新年早々、こいつは大忙しだぜ!

 誤解してもらっちゃ困るが、このオレが普段から賽銭箱で暮らしてるってわけじゃない。昼間はごく一般的な小市民として会社に勤め、だらだらと仕事をする振りをしてはそこそこの給料をもらっている。朝晩、満員電車に揺られて通勤し、仕事仲間とは終業後、飲みに行ったりもする。
 だがそれはあくまで仮の姿。本当のオレは夜、目覚める。
 幼い頃から、犬畜生よ、死に損ないめと、親兄弟に虐待され、生まれてきたことを悔いながら生きてきたオレだ。所詮、普通の人生なんて望むべくもなく、安穏とした日々を受け入れることも出来ない。
 そんな病んだ魂が安らぎを得るのは、時折、社会に潜む猟奇の切れ端を見聞きしたときだ。人々が垂れ流したよじれた希望に触れて、すさんだ魂は歓びに打ち震える。本当の自分が覚醒する至福の時間・・・。

 そして、夜が来た。オレは辺りを伺うと、こっそり賽銭箱から抜け出した。もちろん集金した賽銭を懐にしてだ。
 地面に鼻を押しつけて昼間の残り香を追い始める。初春の澄んだ空気の中、人工的な臭気というのはなかなか消えるものではない。ほどなく一件のアパートに辿り着いた。
 ”黒姫荘”。薄汚れた木造アパートだ。外から見て、灯りがついているのは2階の隅にある部屋だけだ。猟奇の匂いがプンプンするぜ。あの部屋だな。
 階段を上がり、廊下を奥まで進む。
 表札には”石倉みどり・本山美津子”と書かれている。ホステス二人が友達同士で一緒に住んでいるといったところだろうか。
 耳を澄ませ、鍵穴から中の様子を窺ったところ、中に人のいる様子はない。念のため、「石倉さん、本山さん、お届け物ですよ」と、宅配を装って声を掛けたが、返事はない。
 試しにノブを回すと、ドアに鍵はかかっていなかった。足を忍ばせて中に入る。  狭い部屋だ。
 床には服や雑誌などが乱雑に放り出され、散らかり放題だ。そして隅には、縛られ、猿轡をされた女が転がっている。昼間とは別の女だ。
 急いで自由にしてやると、女はぜいぜいと息を荒げながら言った。
「みどりは狂ってるわ。普通じゃない」
 とすると、例の女は石倉みどり。この女が本山美津子だな。
「その女にやられたんだな。いま何処にいるんだ?」
 女は怯えた顔で叫んだ。 「あの娘はあたしを神様に捧げるっていうの。お供え物にするんだって。
 来るわ、彼女が。もう駄目。ああ、来た!」
 視線につられて玄関の方を振り向いたが、誰も来た様子はない。安心するような言葉を掛けてやろうと振り向いた。
「うふふ、やっぱり来てくれたわね」
 少し目を離した隙に、目の前の女の顔つきが一変している。さっきとは全くの別人だ。その顔は紛れもなく昼間見た女のそれだ。
「あんたは捧げ物。あたしがあたしを取り戻すための、大事な生贄なのさ」
 いつの間に手にしたのか、右手に包丁を握りしめている。
「待ってくれ。ひとつ質問がある。きみは石倉みどりなのか、それとも本山美津子なのか?」
「そんなのどっちでもいいじゃないの」女は拗ねたようにため息をついた。
「いまはどっちもあたしだし、どっちともあたしじゃないのよ。半分だけの歓びに、半分だけの不幸せ。ずっと押し込められてきた。ずっと憎み合ってきた。判る? この、躰を引き裂かれるような痛みが・・・。
 でも、それもこれでお終い。一人生贄を捧げれば、あたしの中の余計な人間も一人消える。単純な算数の計算よ。神様が願いを叶えてくれるの」
 一体どうしたら、そんな結論に達するのやら。半身だけの彼女が考え出した、半端な解決法だ。
 でも、そういう非理性的なのって嫌いじゃないよ。喜んで協力してあげよう。いっそのこと一人消すなんてケチくさいことは言わず、二人分まとめてあの世へ行ってしまうってのはどうだろう。狂っていようがどうだろうが、人ひとり殺そうっていうんだ。そっちもリスクは覚悟してもらわなきゃな。オレも手加減はしない。神様がありがたくも恩寵たれてやるよ。死ね。
 腰溜めに構えた包丁をオレに向け、女はいきなり体ごとぶつかってきた。紙一重で刃をかわし、顎に肘打ちを喰らわせる。
 思わず包丁を放し、床の上に倒れる女。その上に馬乗りになった。
 首に手を掛けて締め付ける。
 女の首筋の皮膚には昆虫の柔らかい腹部のような輪になったかすかな筋がある。その筋に沿って指先を伸ばし、やんわりと少しずつ少しずつ力を加えていく。
 上下する喉仏、頸骨の感触、蠕動する食堂の管が手の中でのたうつ。
 最初のうちは抵抗し、手足をばたつかせたりしていたのだが、それもだんだんと静かになり、大人しく死へと向かっていく。
 土気色になった女の顔は、石倉みどりの顔から本山美津子の顔へ、また本山美津子の顔から石倉みどりの顔へとクルクルと変わっていく。それがなんだか無性に面白くて指に力を込めたり弛めたり、指に力を込めたり弛めたり・・・。
 しばらく楽しんでいたのだがそれもそのうち飽きてきて、もう終わりにしようと思い切り力を込めるとポキンと音がして、女の首は妙な方向に折れ曲がってしまった。
 やれやれ新年早々、重労働をしてしまったよ。ノロノロと死体の上から身を引き剥がし立ち上がる。外は寒そうだな。これから帰って熱燗でもやりますか。
 その時、床に伸びていた女の躰がよろよろとぎこちなく立ち上がった。
「ありがとう、あなたのおかげで助かったわ。彼女はもういない。いま、あたしは一人よ」
 どうやら二人目は始末し損なったようだ。ちょっぴり心残りだな。
 オレは訊いた。
「ひとつ質問がある。きみは石倉みどりなのか、それとも本山美津子なのかな?」
 女は折れ曲がった首のまま薄く嗤うと、ひとこと答えて夜の闇の中へ消えていった。
「そんなのどっちでもいいじゃないの」

 それ以来、彼女の姿は見ていない。
 結局のところ、その願いは叶えられたというわけだ。あなたの街で首の折れ曲がった女を見ても、どうか優しくしてやっとくれ。彼女はもう正常な人間なのだから。
 オレの方はというと、21世紀はあまり順風満帆のスタートという訳にいかなかったな。1万円を供えられはしたものの、死ぬような目にあったのだ。商売としては割に合ったものじゃない。
 だが、不思議とオレは満足だった。なんてったって神様の役割を果たしたのだ。たまには全知全能の存在を気取るのも悪くない。

 どうかな。悩める哀れな人間たちよ。困ったことがあったら言っとくれ。1万円で願いを叶えてあげるかもよ。