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その日は朝から澱んだ曇り空でこんな日は碌な事は起こらないと決めこんで一日中家に籠もっていた付近の住人たちの予想を裏付けるように、暗闇坂の上の方からごろごろといびつな音が聞こえ、なにやら不吉な前兆が次第次第に近づいてくる。
坂沿いの家に住む人々は何事かと恐れおののいてはみたものの、実際視てしまうと災いが自分の身におよぶという妄想に駆られて窓を開けることもせずに家の奥に引き籠もる。
やがて姿を現したのは、目鼻手足もつかない巨大なピンク色の肉の塊。加速度をつけて転がりながら、坂の中腹でひと休みしていた老人や、足を止めて世間話に興じていた奥様たちの傍らにあった乳母車の赤子を押し潰し、それは行く行く、坂の下目指し。
坂の下にあるのは、貧しいながらも常連頼みで2代3代ほそぼそと商売を続けてきた日の丸食堂。その日も一人だけの客が大して旨くもないカツ丼を仕方なさそうに詰め込んでいる傍で、店の親父は新聞を広げてなんとか暇をつぶしてる。
危うし日の丸食堂と思いきや、店の看板に激突しかけた肉球から野太い二本の足がムクリと生え出て踏ん張って、これは見事な受け身というのか、すんでのところで店は圧壊を免れた。
仁王立ちになった肉塊の上部から今度はズポッズポッとむくんだ拳が肘が肩が生えてきて、お次は大銀杏を結ったずんぐりした頭。
彼こそは坂の上にある八曲部屋の筆頭力士、小結の尻丹波。
普段から彼の素行に頭を痛め、事あるごとに説教垂れてた親方が留守の間を見計らい、まだ若いおかみさんを手籠めにし、止めに入った若い衆に強烈な張り手を見舞って悶絶させ、さらには奪った部屋の金を懐に、3年間世話になった部屋を追ん出てきたのだ。
飛び出た弾みで坂道転げ落ちながらも、スピード出るし追っ手がかかる前に距離を稼ぐにはもってこいだとそのまま手足頭を縮め込め、数千回転の果てに辿り着いた坂の下。さあて、これからどうしたものかと思案に暮れてはみたものの、さしていい案も浮かばない。
(続く・・・のか?)
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