黒い魂をもった生き物

 


 



          

  アンチェロッティ師は言いました。

「おまえは罪の子、罪の子だ。哀れな醜い娘だよ。
「頭蓋の裏まで真っ黒に染まったおまえの惨めな魂は、救いようがないほど汚れているのだ。

  そう言いながら、彼は鞭で私のお尻を打ちすえるのです。尻たぼの間に打ち下ろされる皮拵えの痛覚が、私の内へ内へと喰い込んでくる。気が遠くなりそうなその白熱のなかで、現実の世界がひどく遠いものに思えました。

  正直言って、そのころは彼の言葉がなんのことだか、さっぱりわかりませんでした。 幼いころ修道院に引き取られた私は、厳格な院の教えの中でいつも自分の考えを持たずにうすぼんやりとして、ただただ教えられたとおりに教義を守ろうと努めながら、黴臭い建物の闇の奥で祈りを奉げていたのです。

  その後も私への懲罰は続きました。 肉という肉、穴という穴に与えられる苛烈なまでの責め苦は年を重ねるにつれてひどいものになっていきました。信仰と快楽、苦痛と恍惚とが一体となり、もはやそれは幼い少女の体で受け入れられる質量を超えていたのです。
  けれども、そのことを辛いと感じたことは一度もありません。それは私がこの世に産まれたことに対する当然の罰だからです。この世界に生み落とされたこと、そのものが罪なのですから。

 あれから20年の歳月が経ちました。いまではアンチェロッティ師の言葉の意味がよくわかります。

  私は確かに穢れています。
  それは長い年月の間に受けた虐待や、その後の外界での暮らしで学んだ倫理的堕落の結果というわけではありません。
  もともと私の奥底に潜んでいたものだったのです。

  私は秘密を知りました。
  淫売や強奪、人殺しなどにはもはやなんの悦びも覚えません。それらあまたの悪徳を超えた、遙けき至高の体験。
  路地裏の暗がり、下水道の暗がりから観た人間の本質。
  肉の奥、骨の奥、魂の奥底にある人間の底辺。獣よりもさらに下劣な生命の奈落へと私は辿り着きたい。
  そこには、この世界の裏側に隠されてきた大いなる秘密が眠っているのです。それをかいま見ることができるのならば、たとえこの身が地獄へ堕ちようとも決して悔いることはないでしょう。




その女は懺悔を終えると、忍びやかに夜の通りへと出ていきました。為すすべもなく見送る私は、神父としての今までの人生で教わった、神と、神の教えがまるで役に立たないことを感じました。
  私は真理の一端に触れたのです。
  ふらりと教会を訪れたその夜の女は、たった数分で私の宗教観を変えたのでした。