ハンセン病訴訟、国の責任認め賠償命令  (アサヒ・コム 2001.5.11より)

 ハンセン病患者に対する隔離政策などをめぐる国の責任が問われた国家賠償請求訴訟の判決で、熊本地裁(杉山正士裁判長)は11日、「遅くとも60年以降には隔離の必要性は失われ、過度に人権を制限したらい予防法の違憲性は明らかだった」として、同法の早期見直しを怠った旧厚生省と国会議員の責任を全面的に認め、総額18億2380万円の支払いを国に命じた。国のハンセン病政策の違法性を認め、患者が「人間らしい生き方」を奪われたことの責任の所在を明確にした。
 原告の元患者ら127人が1人あたり1億1500万円の支払いを国に求めていた。元患者らが熊本、東京、岡山の3地裁に起こしている訴訟で初めての判決となった。
 患者の隔離を柱とする国のハンセン病対策は1907年制定の法律「癩(らい)予防ニ関スル件」に始まり、96年のらい予防法廃止まで約90年に及んだ。

 判決は、まず、らい予防法にもとづく国のハンセン病政策が患者の人権を著しく侵害し、戦前、戦後にわたる隔離政策が差別や偏見を助長したことを明確に指摘。そうした予防法の性質を踏まえ、隔離の必要性は最新の医学的知見にもとづき判断されるべきだとした。
 そのうえで、治療薬の発達や、56年以降、国際会議などの場で強制隔離が繰り返し否定されていたことなどを挙げ、「遅くとも60年の時点で、新法の改廃を含めた隔離政策の抜本的な変換をする必要があったのに怠った」として厚生大臣の職務行為に過失があり、国家賠償法上の違法性があると認めた。
 新法を廃止しなかった国会議員の不作為が問題とされたが、判決は「社会生活全般にわたって人権を制限している新法の隔離規定は、60年には根拠を失っており、違憲性は明白だった」とし、立法府の責任を認定した。
 損害額の認定にあたって判決は、「患者個別の被害の立証を求めれば訴訟が長引き、真の救済は望めない」と指摘し、「一定の共通した範囲の被害を包括して賠償請求の対象とすべきだ」と判断した。
 こうした判断を踏まえて判決は、「社会内で平穏に生活することを妨げられた被害」を患者に共通した被害ととらえ、賠償額は初回入所時期と入所期間に応じて、800万円から1400万円の4段階に分けて認めた。
 国側は「違法行為から20年たてば賠償請求権が失われる」として民法の除斥規定の適用を主張したが、判決は「被害は新法の廃止まで継続的に発生しており、人生被害を全体として評価すべきだ」と述べて、退けた。


 ニューヨーク国連本部に於る・森元美代治さんのメッセージ(Eng1ish)

 ハンセン病の制圧と回復者展「尊厳を求めて」
 オープニング・セレモニー(1997年10月30日)において

        
「人間性の回復」_海の魚族となりて、今は…。  (講演会資料より)

 われわれは深海に生きる魚族と同じ宿命にあった。日本のハンセン病の盲目の歌人、明石海人は「らいは天罰を受けた病であり、又、天が啓示する病である。深海の魚族のように自ら燃えなけれぽ光は何処にもない。」と言った。

 私は14歳、中学3年の時、ハンセン病と診断され、国立の療養所に入った。私はその日から深海の魚族になった。
日本社会は私が陽の当たる道を歩むことを許さなかった。私は10年かかって病気を治し、無菌となり、社会復帰した。
そして28歳の時憧れの大学を率業し銀行員になった。

 一見、順風満帆だった。だが、それはいつも嘘と秘密のヴェールに包まれた虚構の生活に過ぎなかった。私は元ハンセン病患者だったと誰にも告げることはできなかった。神はさらに厳しい試練を与えた。病麿が襲い再発したのだ。すべてを捨てて全生園という東京の療養所に再入園した。再起をめざしたが、インフォームド・コンセントなど全くなかった療養所では主治医の一方的な過坦=の投薬と激しい痛みのため右目は失明し、左目は弱視、手足も不自由になった。みじめな肉体と病んだ心を世にさらすことに耐えられず、このまま誰にも知られずに全生園で生を終えようと決心した。

 ここにいる妻・恵美子はインドネシア人で、日本に留学中に発病し全生園に入園した。そこで私たちは出会い結婚し、もう23年になる。妻は51歳、私は59歳。

 私は狭い地域杜会での自治会活動を通して、逃げ隠れするこれまでの生き方に疑問だった。そしてハンセン病に対して、政府も医学界も法曹界も宗教界もマスコミも、われわれ患者白身も、家族も、そして国民全体も間違った考えで同じ過ちを繰り返してきたのだ。人間の無知と高慢で人を差別するという愚かな罪の産物なのだ。

 1996年は私にとって三つの大きな出来事があった。1つはらい予防法の廃止。かつてはわれわれの存在は文明国日本の恥であった。だが、非科学的、非人権的な差別法であり、国際人権規約にも違反するとして非難轟々であったこの法律を、昨年4月末まで放置してきた日本政府こそ、世界の恥であったと言わねぽならない。われわれはそのことを全ての国会議員に認めさせ、謝罪声明と療養者の老後の生活・医療・福祉の全てに於いて充分な保障を約束させた。あらゆる法律や社会制度から「らい」という差別用語を撤廃させ、『ハンセン病」と改め、又、日本聖書協会は聖書の中の「らい病」は間違いであり、『重い皮膚病」と読み改めることを決定した。

 2つめは、わたしたちは日本で初めて、夫婦が実名で闘病体験談をまとめた本を出したことだ。
 「証言・日本人の過ち」一ハンセン病をいきて一という本です。この本がマスメディアに乗って、国民の間でセンセーショナルだった。これに驚き激しい抵抗をしたのが、私の兄弟であり、親戚の一部の人だった。「これ以上家族を苦しめるな。」と言うのだ。私はこれらの声に耳をかさなかった。なぜなら、彼らがこの痛みや犠牲を共に乗り越えないと日本のハンセン病問題は一向に前進しないと思ったからだ。

 偏見や差別の根強い社会に多くを期待することはできない。だからわれわれ自身が変わるから社会は変わると信じて、価値ある人生にしようと思う。日本のハンセン病者の人間回復の原点は家族との絆を取り戻すことにある。残念ながら、15の療養所にいる5,400人の人達は、大半本名を隠し、家郷を捨てたまま寂しい老後の生活を送っている。

 私がカミングアウトした結果、失ったものもあるが、得たものが遥かに多い。故郷の人々や大学や職場の友人との交
流の復活、新しい多くの出会いを通して、私の生きる世界はこの一年で全く変わってしまった。私は今ほど人間の信頼にもとづく友情の絆の深さやすぱらしさに感動している時はない。

 3つ目は、昨年3月マザーテレサさんと会ったことだ。全生園には3派のキリスト教会と4派の仏教のお寺がある。その正副代表でつくる「麦の会」は毎年一回、園内で募金活動し、カルカッタのマザーテレサさんが経営するハンセン病センターやその他の施設に寄付してきた。昨年は10年になったので、ハンセン病センターから特別招待があり、貴重な国際交流を果たした。お元気なマザーと40分もお会いすることができたのです。その時に、われわれと同行した佐々木あとみさんという名前の彼女が、日本の障害者へのメッセージをお願いしたところ、マザーは「あなたの名前は佐々木あとみ。おお、アトミックポンプは人を殺す、恐ろしい爆弾だ。あなたは世界に愛を爆発させなさい。」といった。86歳のマザーの機知に官んだジョークにわれわれは驚嘆した。この展示場にある私とマザーの写真は、マザーと最後に会った日本人の写真とのこと。これは私の生涯の誇りであり、祈念すぺき大切な宝である。

 われわれハンセン病者は、神仏からも見放された最も醜く、最も汚れた者として蔑まれ、さまざまな社会的迫害や差別の中で激しい人生を生き抜いてきた。だからこそ、如何なる艱難をも克服できる忍耐力と勇気を持っている。今こそIDEAの活動を通し、21世紀の早い時期に地球上から新しいハンセン病患者がでないよう努カし、戦争や飢餓、病気や肌の色の違い、国民牲や主義信条等による誤解や偏見・差別に苦しんでいる人々の良き理解者・良き友人となって、互いに励まし助け合いながら、平和で豊かな明るい人類の未来社会建設のため、一役を担おうではありませんか。


 元ハンセン病患者の森元さん 新生活第一歩

 「堂々と生き直したい」          (読売新聞 2002年4月25日より)

 国立ハンセン病療養所を退所し、社会生活を始める元ハンセン病患者に対する国の社会復帰支援策が今月スタートしたことを受け、多摩全生園(東京都東村山市)で長年暮らしてきた同園の前自治会長,森元美代治さん(64)らが24日,厚生労働省で記者会見し,療養所暮らしに終止符を打つことへの希望と,医療体制などについての不安を語った。

    夢と期待と不安胸に

 「今まで逃げ隠れしてばかりだったが,これからは社会の中で自分の力を試したい」。森元さんは中学3年生で発病。一時病状が好転したときには,医師の制止を振り切って退所し,大学に通い,サラリーマン生活を送った。結婚を意識してつき合う女性とも知り合ったが,病歴をうち明けられず,症状の悪化を機に,黙って療養所に戻った。
 「若い頃社会に出た時は,病気のことを知られないかと不安な気持ちばかりだった。今回は気分がまったく違う。堂々と生き直してみたい」と,声に力を込めた。中,高校生にハンセン病について講演したり,海外のハンセン病患者との交流も考えているという。

 会見を終えた森元さんは東京都清瀬市内に借りたアパートに直行,荷物を解きながら,新生活への夢を膨らませた。
 その一方で,15年前に療養所外の医師から体に触れられないまま診断された経験のある女性(64)は「病気を診てもらえる専門的なお医者さんが身近にいないと…」と不安を漏らした。
 社会生活を始める元患者への支援策として,厚生労働省は,最大月額約28万円の「退所者給与金」の支給などを始めた。全国の国立ハンセン病療養所入所者は昨年5月段階で4,375人。平均年齢は74.2歳に達する。全国ハンセン病療養所入所者協議会によると,このうち約130人が社会復帰を希望しているという。
森本美代治さん講演会
「尊厳回復の願いと私のたたかい」
− ハンセン病を生きて −
<講演会関係資料>