<資料>第9回 8・15労働者市民のつどい 03.08.15)

イラク特措法は成立してない 自衛隊のイラク派兵は法的根拠がない

西川重則
(一)
 2003年7月25日(金)、午後5時28分、小泉首相が着席した。参院外交防衛委員会の再開である。午後5時29分、松村龍二委員長の「ただいまから外交防衛委員会を再開いたします」との再開宣言と共に緊迫した雰囲気の中で、最初の質問者、山本一太自民党議員が発言した。

 「イラク支援新法は衆議院、参議院両院におきましてかなり濃密な審議が行われてまいりました。……もう既に議論も尽くされたと、そういう感を持っておりますので、今日は取りまとめの議論ということで、総理をお迎えしての……少し大きなアングルから、原点に返って二、三問、総理のお言葉をお聞きできればと思っています」(未定稿による。以下同じ)

 第156回国会が40日の延長となり、7月28日(月)の閉会を前に、内閣は万難を排して、イラク特措法を成立すべく、松村龍二委員長とあうんの呼吸で成立の時期と方法をみはからっていた。その日、参院外交防衛委員会は午前10時に開会し、その後午後1時まで休憩。したがって午後1時再開のはずだったが、再開は未確定のまま、時は流れていた。野党側は法案阻止の対決姿勢を崩さず、それぞれの立場で待機していた。本会議・委員会をずっと傍聴してきた私も待ち続けた。再開は突然なされた。傍聴経験による一瞬のヒラメキで、午後5時28分直前に、私は委員会可決必至といわれていた委員会室に飛び込んだ。

 開会前から異様な雰囲気に包まれた外交防衛委員会は「採決」、「可決」の一瞬を報道すべくテレビの放列、委員でない国会議員その他の人々で溢れていた。そんな部屋の中での、山本一太自民党議員は一番バッターとして、「審議は尽くされた。採決を!」と主張することが役割だったのであろう。審議は未了であり、法案提出目的、内容への疑問に対して、何ら納得のゆく答弁はなされないまま、委員長は職権行使による一方的再開を行った。

(二)
 その日の委員会について、事実をありのまま報告することが、どんなに重要であるか。
 その日は、首相が答弁する最後の総括質疑という位置づけで、山本委員に続いて、佐藤道夫(民)、斉藤勤(民)、山本保(公)、小泉親司(共)、広野ただし(自由)、そして最後に大田昌秀(杜民)の各委員が質疑し、その後「採決」が予定されていた。
 大田議員の質間が始まったときは7時18分であり、真っ向から法案に反対する野党議員最後の質問であるにもかかわらず、いやだからこそ、委員を取り囲むように立ったままの、その日だけの参加者たちが、大田議員の真撃な発言に耳を傾けず、がやがやと談笑する体たらくだった。さすがに、委員長は黙し得ず「静粛にお願いします。……静粛にお願いします。続けてご質問をお願いします」を連発する有様であった。
 そして、大田議員が貴重な沖縄の体験を語りイラク法案についての再考を訴え、質問が終わるや、委員長が「他にご発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます」と発言し、議場が大混乱になった。小泉首相はすでに退席していた。私の時計は午後7時33分を指していた。

 その時の大混乱振りはテレビで先刻承知の通りである。私の目の前で展開された乱闘のさまについて、大混乱の中で、速記者は次のような議場であったことを記している。私も速記録どおりであることを証言する。
「……(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)[委員長退席]午後7時34分」

 議場騒然の中で闘こえてきたのは「委員長解任!」「傷害事件!」「これが自衛隊を送る実態か!」「許せない!」 いつの間にか委員長は部屋から姿を消していた。私は何人もの衛視に、休憩かそれとも散会かを問うた。そうこうするうちに、委員会室から人が去り、私が最後の人間となった頃の7時37分、「散会しました」との返事を耳にして、私は退室した。
 私はこの日の採決を認めない。通常、委員会採決前になされる反対討論と賛成討論のルールも踏みにじって、議事は進められた。採決もされてない。したがって採決・可決の前提要件のないままに「散会」となったということである。したがって、本会議開催の理由はない。深夜の11時2分から翌未明の午前1時43分までの本会議での「成立」は前提からして、すべて作られた架空の物語である。この事実に私が沈黙すれぱ「石が叫ぶ」であろう。イラク特措法案は審議未了・廃案なのである。強行採決も成立も虚偽である。イラク特措法案は葬られ、自衛隊のイラク派遣の法的根拠は何ら存在しない。私たちの運動はこの事実の確認から始めるべきである。自衛隊をイラクに行かせてはならない。