お 説 教 集

 

2007年10月14日 年間第28主日

この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか
(ルカ17・18)

            いやされたサマリア人とイエス


ラベ神父様 

20年前にエイズという病気があらわれたとき、ひとびとは非常に恐れました。この病気を治す薬がなかったためです。そしてこの病気にかかった人は病院に入れません。断られます。本当にそういう人はかわいそう。みんなが恐れて離れていきました。

イエス様の時代の思い皮膚病、らい病もこんな恐ろしい病気だった。そのときはそれを治す薬がなかった。だからその人たちを離れた所にやった。

皆さんはこの病気にかかった人に会ったことがあるかどうか分かりませんが、私は青森にいたとき、松ヶ丘保養所というところに行きました。そこにも信者さんが50人くらいいたのです。そこの患者の人は、病気のために手も足も、鼻先も、口も変わり、大勢の人が目が見えなくなってしまって、本当にかわいそうでした。

でも、もっと苦しい問題があったのです。そういう人たちは、何の罪もおかしてないのに、家族から強制的に離され、友達やみんなから、別の世界に離されてしまう。出来るだけ関わりがないようにする。家族の方も、身内にそういうことがあったことを隠すようにしていました。いろいろ事情があったのでしょう。

イエス様の時代にこの病気にかかった人たちは、町中にいくときは鈴をもって行かされました。人が近づくと鈴をならして、私から離れて下さい、私はけがれた者ですと言っていたのです。今日の福音に出てくる10人も、そういう重い病気にかかっていた。遠く離れた所から大声で叫んだ。イエス様をみて、私たちを憐れんでください。この恐ろしい病気を治してくれるのはイエス様しかないと思っていたから、一生懸命に頼んだ。

でも、イエス様の答えは「あなたの信仰が救う」でした。すぐにその場で治しませんでした。イエス様は遠くの司祭たちがいるところに行って、彼らに体を見せなさい、といった。彼らはがっかりしたかも知れませんが、ただ素直に、イエス様の言った通りにしたのです。

しかし途中で、自分たちの病気が治され、清められた。彼らは、もう大喜び。想像がつきますね。これまでの苦しいことから解放されたのですから。それでほとんどの人は帰ってこなかった。最初に、友達に会おうとしたのかも知れません。でも、そのなかの一人はイエス様のところに帰ってきて、神様を賛美しながら、ひれふして感謝した。ここで、ルカはもうひとつの言葉を付け加えます。

「この人たちはサマリア人だ」。当時、ユダヤの人たちはサマリア人を軽蔑していました。正しい信仰をしない、聖書の言葉を部分的にしか理解しないから、純粋でない悪い信仰として非難していました。イエス様はときどき、いばっているユダヤ人に対して、良いサマリア人をくらべたりします。今日の聖書の話にあるように、シリアの軍隊の司令官だったナアマンも、この重い皮膚病にかかった。

そこで、預言者エリシャに会い、ヨルダン川に七度身を浸して、体を洗いなさいといわれた。最初は反発していたけれど、結局、その言葉の通りにした。そして体は元に戻り、子供のように清くなった。シリアのナアマンは異邦人です。ユダヤ人ではないですね。正しい神を信仰しない、正しい礼拝をしない人。ですが、こうして病気を治されてエリシャのところに戻ってきて、もうこれからは彼の神様だけに仕えます、改心しますと言いました。

こういう話を聞いたとき、私たちはどの立場の人になると思いますか。ユダヤ人でしょうか、サマリア人でしょうか。その間かも知れませんね。(お恵みのあった)ときは神様に感謝します。でも、神様の恵みは当たり前と思ってしまうこともあります。ときには神様の恵みとさえ思わないほど自己中心的になってしまうこともある。

忙しい、忙しいで、神様に感謝する気持ちすら起こらない。そういうことが、たびたびあるのではないかと思います。その恵を失った場合、目が見えなくなった、足が不自由になったときに、神様、いままで神様がなさっていたことを忘れていたのだと気がつきます。

私は毎日、幼稚園の子供たちが唱えて祈るのを聞きます。「神様、毎日新しい朝を与えて下さってありがとうございます」。本当に素晴らしい。私たちも新しい一日を始めるときに、この心をもって祈ると、いいスタートになるのではと思います。寝るときも「今日一日、いろいろ支えて下さってありがとうございます」と言ってみる。

これは例えばですが、すべて神様のお恵みであることを忘れなければ、感謝とか喜びが、もう少し出てくると思います。

先ほど言ったように、ごミサはイエス様の父なる神に対する感謝の祭儀です。ごミサを捧げるときは本当に感謝します。奉献のときには、パンとぶどう酒と供え物とともに、私たちの一週間を捧げ、生活を捧げます。だから毎日の生活の中でも、深い感謝の気持ちを忘れずにいましょう。

親は子供に、いつも教えます。誰かから何かをもらったときに、ありがとうと言いましょうと教えます。私たちも神様から恵みをいただくとき、ありがとうという気持ちを忘れないようにしましょう。アーメン

 


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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