お 説 教 集

 

2007年11月18日 年間第33主日

わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る
(マラキ3・20より)


ロワゼール神父様


皆さん、この写真(下)は長崎にあるブロンズ像です。彼の名は、ルドビコ茨木。この子は12歳のときに、そのときの将軍・秀吉によって殺されました。そのときの秀吉はキリスト教徒を亡き者にしようとしていました。キリストの信仰を捨てない人はみな殺されました。長崎では大勢の人たちが、殺されました。そして、この少年もその一人です。


長崎・ルドビコ茨木の銅像

この少年は1596年、だいたい400年以上前ですね、日本でキリスト教徒がこういうふうに殺された時代ですが、そのときに殉教しました。処刑の前に、秀吉の役人が、信仰を捨てなさい、そうすればおまえを立派な武士にしてやるといいました。しかし、私は信仰を捨てません。私は武士になるより、イエズス様を信じることの方が大切だ、とはっきり答えた。そこで、耳や鼻をそがれ、ひどい拷問を受けました。信仰を捨てずに、この茨城君は他の24名の人たちとともに長崎で死刑にされました。

このことと、イエス様が伝えたことがどこか似ているのです。

「私の名のために王や総督の前に引っ張って行かれる。それはあなた方にとって証をする機会となる。だから前もって弁明の準備をするまいと心に決めなさい」

聖ルドビコも、前もって何を言おうかと考えなかったと思います。けれども、その役人の前で、私は信じています。秀吉に従うよりも、イエス様に従います、といいました。

イエス様はこういってますね。どんな犯罪者でも反論もできないような言葉と知恵を私があなた方にさずけると。そして最後に、イエス様は面白いこともいっていますね。あなた方の髪の毛の一本も、決してなくならない。忍耐によって一生懸命がんばったことにおいて、あなた方は何を受けるか。命を受けるのです。

命といっても、心臓だけのことではありません。別の心臓があると思えばいい。その心臓は神様の中にある心臓で、それがここに、私の心にあるのです。私の心のなかに神の心臓が、神の心があります。だから、そのために神様のために、自分を捧げるなら、命を失うことにはなりません。かえって、命はもっと増えています。自分の心の中にイエス様が生きていて、神様が生きています。自分を捧げてください。一緒に苦しんで、一緒に終りまで、死ぬときまでいてください。そういうとき、自分はもっと神様から命を恵まれる。

きょうのミサを通じて、素晴らしい言葉、大きな知恵をさずかっていることに感謝しましょうね。苦しいこと、たいへんな事件もありました。人間は戦争をすることもありました。しかし、これは人間の業(わざ)です。神の業じゃない。神はいつも言っています。

「私の思いはわざわいではなく、あなたがたに平和を与えることである」


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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