2007年11月25日 年間第34主日 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」 ロワゼール神父様 先ほどの賛美歌にありましたけれども。誰でも年のおわりになると、今年あったことを振り返るものですね。いろいろな人との出会いがあったでしょうし、感謝することもあるでしょう。
王の時代は終りを告げ、政治家や政党の時代が来ましたが、やはり同じようなことを繰り返しています。私たちの信じる王は、本当に世の中の見捨てられた所で、すべてを捧げる王です。あざわらい、侮辱され、ののしられた王です。
権力者は権能で、兵士たちは暴力で人を抑えようとしました。一人の犯罪人は他人を傷つける反社会的な方法で、自分を救おうとしています。私たちがいま生きている世界、文化では、権力があれば非暴力で、人を治めることが出来ると考えています。その方法で平和をつくろうと考えています。でも、それでは平和にならないはずです。 イエス様はいちばん偉い人を救おうとして、その人のそばまで来て、その前にひざまづきました。そして自分自身は何もとらないで、自分をすべて捧げて、人のためになるわけです。この絵にあるように、十字架によってすべてが救われました。
十字架の上でイエス様は何をなさったでしょうか。自分のことは忘れて、人のために自分を捧げたのです。それが私たちの信じている王です、それによって、私はいま生きているのです。 昨日はここで洗礼式があって、まだ洗礼を受けていない方もいらっしゃいました。この福音の言葉はどういう意味ですかと問われました。というのは、一緒に十字架にかけられたのは犯罪人です。一人はイエス様に神のしるしを見せろといい、もう一人はそうではなった。思いがけない展開ですよね。 犯罪人の一人がイエス様に「あなたの御国に入るときには、私を想い出して下さい」といった。イエス様の答えは明らかで「あなたはきょう、私といっしょに楽園にいる」とおっしゃった。この犯罪人は幸せな人ですね。私も最後のときにこんなふうにいわれたら、かえす言葉もありません。 イエス様は犯罪人の心をちゃんと見て、最後には心のなかに入っていった。神の存在はこの人の心のなかに入っていました。
私たち一人一人も同じような状態にあると思います。だから、今日は喜びをもってミサを捧げたいと思います。 (文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい) |