2007年12月16日 待降節第3主日 「来(きた)るべき方は、あなたでしょうか」 洗礼者ヨハネ ロワゼール神父様 今日は共同回心式ですが、赦される(ゆるされる)ということはキリスト者にとって最大の恵です。赦されるわたしたちは本当に幸せです。 この時期になると手をつないで、電流が伝わるゲームを想い出します。手を繋いでいると、小さな電流が流れているからわかる。反対に表情から、誰が手をつないでいるのか、つないでいないのかもわかります。手をつなぐ、手を伸ばすということが重要です。 これとはドミノ倒しなんかも似てますね。1つのドミノが2つのドミノを倒し、それが次は4つのドミノを倒す。バーッと広がっていく。 キリスト教ってあんな感じです。イエス様の始めたわざが、愛のエネルギーが次々と伝えられ、みんなを巻き込んでいく。隣の人に福音を伝え、助け合い、癒し、さらに次の人へ。途絶えることなく、それが広がっていく。 ところが途中で倒れないドミノがあります。それが倒れないと、そのうしろのたくさんのドミノが倒れない。とても残念なことですね。私たちは、イエス様になるのです。イエス様のように手を伸ばして、人に伝えていくのです。どんどん広がっていくキリスト者の大きな流れのなかにいる自分を思い起こして下さい。 私たちは、しばしば無責任で、自分のことしか考えないことがあります。そんな私たちでも、イエス様はもう一度立たせてくださいます。何回倒れても、おこして、立ち上がらせてくれます。イエス様は喜んで、そうなさるのです。放蕩者のたとえを想い出しますね。100匹の羊の話もやはり似ています。本当に心配するのは群れにいる99匹の羊ではなく、群からはなれ迷ってしまった羊の方であるという話ですね。 赦すということはそれぐらい大きなこと。昔、イエス様がイスラエルの人たちに、赦しますといったとき、みんなとても驚いた。そんなことは絶対にできないと猛反対された。なぜなら、人を赦すことが出来るのは神様だけだから。しかし、キリストは天の父の御子だったのです。 だから恐れることなく、イエス様の赦しを願いましょう。私たちに、今日もイエスさまは手を伸ばして下さいます。なんとうれしいことでしょうか。 今日の告解では、赦しを願うことをしてしまった自分を反省し、イエス様を信頼して、お話して下さい。
(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい) |