お 説 教 集

 

2008年2月17日 四旬節第2主日

顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった
(マタイ17・2より)


ロワゼール神父様

大人は子供から教わることが少なくありません。彼らは素直に感じたことをそのまま話すから、私たちははっと気づかされるのです。ずっと昔の話ですが、私は上野から青森まで鉄道の寝台車に乗って行ったことがあります。青森に着く前に夜明けを迎えましたが、ちょうど汽車が野辺地から陸奥湾にそって走っている頃でした。

車内のベッドは片付けられ、乗客は一段めのベッドの上に座ることになりました。気がつくと、私の前には一人の母親と双子の子供が座っていました。子供たちは5歳くらいでした。窓の外は次第に明るくなってきて、海の上に太陽がゆっくりと顔をのぞかせました。すると、波頭がきらきらと輝き、一面はダイヤモンドのような美しい光景となりました。私はまだねぼけていたのですが、あまりに素晴らしい景色に思わず目が覚めてしまいました。ところがこの光景に見とれていたのは私だけではなく、向かいに座っていた双子も感動していたのです。

一人の子は「きれいですね、きれいですね」と言い、
もう一人の子がこれを真似をして、同じこと繰り返しました。
そのうち「きれいですね、きれいですね、お母さん。どうしてこんなにきれいなんだろう」といい、二人で「お母さん、どうしてこんなにきれいなの」と合唱のように歌いました。
それで母さんも答えました。
「神様がお造りになったからだよう」
子供たちは
「神様、いいですね。神様、いいですね」
と繰り返します。隣に座っていた別の乗客もこの光景をみて思わず微笑んでいました。わたしも天使の合唱を聞いた気持ちでした。双子は自分たちがスゴイことを言ったということに気がつかず、幼児らしくはしゃぎ続けていました。

きょうの聖書朗読は、イエス様のご変容の話でした。わたしはとても好きな話です。ここで、イエス様はご自分の本当の姿を見せて下さったわけです。いままで奇跡を行い、普通の人間にはできないお話を何回もなさいました。しかし、イエス様のご自分の内面的なことを示してくださったのはこれが初めてでした。

これには理由があります。イエス様はご変容の直前に、弟子たちに、これから自分の身に起こることを予言なさいました。「自分はエルサレムに行き、長老や律法学者から多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目に復活する」。イエス様が殺されるということを聞いた弟子たちは、大変ショックを受けたと思います。彼らの最愛の先生なわけですから。

それで、イエス様は何人かをつれて、山を登り始めました。そして、山頂について祈りを始めると、姿が変わりました。そこで祈りの相手である、天の御父がこう宣言なさいます。「これはわたしの愛する子。わたしの心にかなう者。これに聞け」

イエス様の弟子たちは、現世的なものだけを見ようとしたため、イエスさまの内面的な本質をなかなか悟りませんでした。現世的な理想は、イエス様が王様になって、ローマ帝国に勝ち、イスラエルを治め、イスラエルは選ばれた国民として、全世界を平和のうちに支配下に置くことでした。弟子たちは力のある救世主を望んでいました。

それに対してイエス様は、死を抑えても人々のために、愛をもって命を捧げる“人の子”と言われます。弟子たちはそのことをなかなか悟らなかったので、イエス様は彼らを連れて山に登り、誰から本当の救いをいただくのかを、御父から直接教えてもらいたかったのでしょう。そのために天国の幸せの場面を見せてあげるのです。ペトロは興奮してわけの分からないことを言います。「ここで泊まろう」と。

私たちも現世的な力によって人類が救われると思いがちです。いま、アメリカの大統領候補の予備選挙をやっていて、テレビで毎日のように報道されていますが、あれだけ騒いでいるところを見ると、アメリカ人は本当の救い主を待っているようにすら見えます。

他方、科学の発展によって、救いが私たちの手で実現されていると信じる人もすなくないようです。どちらの場合も、人間は心の中で、死を通して、死をなくして永遠の命を幸福を望んでいるということです。結局、私たちは、いつも自分たちも変容したいのです。

イエス様の変容は私たちの変容の予告でもあります。私たちもあの幸福に招かれています。だから、イエス様はおびえていた弟子たちに向かって、「起きなさい、恐れてはならない」と言われました。主なる神の子に従いましょう。私たちは科学によってではなく、現世権力の力によってでもなく、神の子に従うことによって、その力によって、復活し、変容し、完成されるのです。

今日のテモテへのパウロの手紙に「神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出して下さったのは、私たちの行いによるものではなく、神のご自身の計画と恵みによるものです」とありました。選ばれたものに与えられた信仰・・・、なんて喜ばしいことでしょうか。冒頭おはなしした子供たちのように「神様はいいな、神様いいな」と叫びたくなるのではありませんか。自分は愛されている者、このことを希望出来る者です。

「恐れてはならない」。今日もイエス様が私たちに呼びかけています。この四旬節の間、いつも人を喜ばすのに恐れず、人を励ますのに恐れず、人を照らすのに恐れず、自分の十字架を背負うのに恐れないようつとめましょう。キリストが与えて下さる不滅の命がすぐそこにあるのですから。


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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