お 説 教 集

 

2008年3月2日 四旬節第4主日

彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た
(ヨハネ9・7より)


ロワゼール神父様 (共同回心式)

みなさんはスイスの心理学者、そして精神医学者だったカール・グスタフ・ユングという名前を聞いたことがあるでしょう。かれは有名なフロイト心理学とともに、精神分裂研究の中心人物となりました。しかし、後にフロイト理論を批判し、独自の精神分裂理論を築き上げました。

そんなユングが、研究のなかで、精神分裂の患者にはカトリックの信者が少ないことに気づき、その理由について考えました。ユングの考えによると、カトリック信者は若いときから告解をする習慣があり、キリストの代理者である教会の司祭に心を開く機会があるから、(人格が分裂するほど、自分のなかで苦しまずに)精神の病になることが少ないということになります。告解することには、こんないい面があるんです。きょうのごミサの間、共同回心式がありますが、これは素晴らしいことなのです。

私たちは神様のおゆるしを信じ、告解し、心の安らぎをいただきます。告解をすることによって、はげまされて、精神の健康に役立つのです。

ところで、告解とは何でしょうか。また、その恵みを十分にうけるためには、どんな心構えが必要なのでしょうか。皆さんがご存知のように、告解の秘蹟という言葉を教会では使います。最近では、ゆるしの秘蹟、または回心の秘蹟という表現をより多く用います。

ゆるしの秘蹟といわれると、分かりやすいですが、回心というのは少しわかりづらいですね。回心は心を回す、回転させるということですね。この言葉はもともと土を耕す、掘り返すという行為から来ているそうです。農夫は土に種をまく前に、土を耕し、土を天地の恵み、太陽、雨に当ててやります。そうして土に栄養を与えるのです。

回心することも似たようなもので御言葉の光、または聖霊のエネルギーにたましいをさらすのです。すると、たましいは生まれ変われるようになり、復活するのです。だから、ゆるしの秘蹟はもう一つの洗礼などと、表現されることがあるのです。

洗礼によって、キリストのいのちで満たされたように、ゆるしの秘蹟によって、個人の罪のために死にかけたたましいが、もう一度キリストのいのちに満たされます。罪によって、神の民と分かれてしまった自分が、ゆるしの秘蹟によって、神の民である教会、教会の人々と和解します。共同で回心式をやるのには、こうした意味が背景にあるからです。

きょうの福音の話では、イエス様が生まれつき目の見えなかった人を癒した出来事が書かれています。皆さんといっしょに、このはなしをゆっくりと黙想したいところですが、時間の関係でそれもできませんので、皆さんはご自宅で、もう一度お読みになり、黙想してください。

人間は年をとると、白内障という目の病気にかかります。罪が重なると、心も、白内障にかかる目のような状態になってしまいます。目は専門医になおしてもらいますが、こころは、本日さずけられるゆるしの秘蹟でなおしてもらいましょう。自分のこころを細かく観察する必要はありません。それよりもキリストに自分のすべてをゆだね、聖霊のいやし、光にたましいをさらすことを心がけることこそが大切なことです。

ゆるしの秘蹟を受けたい方は、各部屋に司祭がいますので、どうぞ進んでください。


以上


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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