お 説 教 集

 

2008年3月22日 復活徹夜祭


ロワゼール神父様

キリスト復活の物語の前後を読みますと、「恐れ」ということばが時々出てきます。たとえば、墓からイエスのからだが盗まれることを恐れて、ユダヤ人のリーダーたちが番兵を送るように頼んだと書いてあります。体が盗まれたとなれば、それだけイエスが信奉されていることをを示すので、彼らは困るわけです。

面子を失ってしまう怖さ、自分の権威を無くする怖さ、群衆に嘲られる怖さ。また、イエスが復活したときの現象を見た番兵たちが「恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」そうです。

それから、あの二人のマリアたちも墓に行きます。そこで「恐れることはない」と神の使いたちに言われました。あれから、イエスさまが何回か出現なさいますが弟子たちに恐れることはないと必ず挨拶なさっています。

今、私たちが生きている社会でも「恐れることはない」ということばを聞きたいものです。何と不安な社会でしょうか。この前、ある監視カメラを売っている会社の方がここに来て、この聖堂にも監視カメラを付けたらどうだと勧められました。失礼ですが、思わず、笑ってしまいました。教会に監視カメラなんてね。

でも、その会社の方によると、最近は何かと物騒なので、笑うことではないそうです。まあ、ここで監視カメラをつけたら、便利かも知りません、毎日曜日の午後になって、みなさんがよく祈っている様子の画面をもう一度見て、感激を新たにするかもしれませんよ。
  
でも本当に世の中が大変になっています。電車の中に流れている広告も「不審物、不信者を発見したらご連絡ください」と、物騒です。まじめにうけとめると、思わず隣の人の顔をのぞきこんでしまいますね。

だから、「恐れることはない」と書かれた看板がそこらじゅうの街角に置いてあるといった状況に、いつか遭遇したいものです。先ず、赤堤教会の二つの看板にそう書いてみましょうか。「こちらの教会に限り、恐れることはない」というポスターのようなものを貼ってね。

というのは、イエスさまを信じ、信頼するとしたら、心に平和、喜びと愛が生じるのです。それは「イエスさまがご復活された」からです。復活はいのちです。いのちがあるから、喜びがあり、希望があり、勇気もあります。「恐れることはない」とイエスさまがマリアたちに言われ指示なさいます「急いで行って、弟子たちにこう告げなさい。あの方は死者の中から復活された」

今夜、この夜、わたしたちの信仰の大事なときです。おそれてはなりません。洗礼のとき、また毎日のようにいのちを与えてくださるキリストを私たちの生活の信用すべき土台にしましょう。

この社会の人々の多くが、しっかりとした生活の土台をなかなか見出されないために恐れていることに対して、私たちは、岩であるキリストに委ねたい。ご復活なさっているのですから、私たちを恐怖感から解放できるちからを持っておられます。そのことに確信を持ちましょう


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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