お 説 教 集

 

2008年5月11日 聖霊降臨の主日 

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると……
(使徒言行録2・1より)


ロワゼール神父様

聖霊のことをお話しするのは重要なことだと思いますが、いま歌った聖歌のなかにも関係する箇所がありました。きょうの歌詞から、聖霊がわたしたちにどんな賜物を下さるのかを知ることができると思います。

みなさんは水が踊るという歌をご存知でしょうか。さいたま教区の塩田泉神父様が作曲されたのですが、とても面白い歌です。こんな感じです。

水はつかめません。水はすくうのです。
指をぴったりつけて、そっと大切に水をつかみます。
水は包むものです。
この手の中にそっと大切に。
水の心もひとの心も。水の心も、人の心も。

というたいへんきれいな詩です。詩はべつの方がつくったものだそうです。

本当に水はつかめません。こちらがこうしようと思っても結局だめになったりします。
だからしっかり包まなくては、何もできません。
水は手ですくうようにしないとだめなのです。

でも水は私たちが生きるために一番大事なもののひとつです。
水がなければ私たちは生きられない。

ほかにも大切なもので、つかめないものが2つあります。
ひとつめは光です。光もつかめません。
光はわたしたちには必要であって、それなしにはすべての生き物が生きられません。

ふたつめは風です。風がなければこの地球はすぐに汚れてしまい、どうにもならなくなってしまいます。風もつかめない、手でにぎろうとすれば、空を切ってしまいます。しかし、風がなければ空気はにごってしまいます。

じつは聖書のなかで聖霊が象徴しているものが、水、光、風なのです。霊ということばは恵みという言葉から生まれたものだそうです。それは風のように、やわらかい、また強いなどのニュアンスもあります。

私たちが生きるためには、この3つのものがなくてはなりません。また同時に聖霊の働きかけがなくては生きていけないのです。神の啓示を悟る力は、聖霊によっていただくもの。聖霊にすべてをまかせていたら、私たちはどんなに変わっていたか、どんなに幸せになっていたかと思います。

洗礼のときにかける水は決して、普通の水ではなくて、私たちのけがれを洗い落とし、新しい命が入ってこられるようにするのです。

最初の聖霊降臨のときと同じように、私たちが互いを理解し、深く交わることができるように、祈ることは価値のあることです。聖霊の光によって、この教会がいつまでも照らされますように、このミサを捧げ、ともに祈りましょう。


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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