お 説 教 集

 

2008年9月14日 十字架称賛 

人の子も上げられねばならない
(ヨハネ3・14より)


ロワゼル神父様

今日はここで敬老の日のお祝いをします。敬老の日と今日の聖書の関係については、お話をいたしませんが、それは各自でぜひ考えていただきたいことです。人生において経験すること、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなどは、どういう意味を持っているのかを考えることは重要です。

われわれにとっては、キリストとともに経験することです。キリストは、私たちのために、苦しみ、十字架にはりつけになりました。キリストの背負った重荷と、私たちの人生を重ねることも重要です。

昨日、祭壇の前に十字架を飾ったのですが、いかがでしょうか。十字架だけではさびしかったので、その賞賛という意味で、花を添えました。いつも花を生けてくださる方とお花屋さんに行って買ってきました。ちょっと物足りないですか?教会の予算はこれぐらいなのです(笑)。でも、すごくきれいに出来ましたよね。

さて、十字架を賞賛するということはどういうことですか。イエス様がはりつけにされた十字架。誰かが苦しめられ、見捨てられる場所です。それを見つめて、ただうれしい気持ちになる人はいません。

でも、今日は十字架を賛美し、感謝する日なのです。
なぜでしょうか。

先ほど聖書のペトロのところで、イエス様はこういわれています。「神はそのひとり子をおあたえになったほどに、世を愛された。」ひとり子といえば、どんな親にしても、どんな母親にしても最愛の存在です。なくしてはどれほど悲しいか。でも、父である神はその子を私たちにくださいました。罪ある人間のために、神はたいへんなことをなさいました。まず、このことを賞賛しなければならないでしょう。

それにくわえて、ひとり子であるイエス様が人間になったとき、人間のすべての条件を背負われました。人間の喜びと、悲しみ、苦しみ、病など、すべてを。世の罪をのぞくために、イエス様は人間のようになられました。そして人間の死をも経験しなければならなかったのです。

だから私たちは賞賛しなければなりません。というのは、十字架の上にいた神は人を裁く神ではなく、人を救うために、私たちの前にあらわれた神だからです。

人を救うといのは、人を生かす力があるということ、死で絶たれることもなく、いつまでも生かせる命です。私たちが十字架の上のイエス様を見つめるとき、そういう命を与えてくださる方を見つめています。

砂漠をさまようイスラエル人たちは、どこにいっても困難に見舞われたために、指導者であったモーセに文句をいいました。「なんで、こんなに苦しんでいるのか。このさき、毒蛇にかまれて、死んでしまうぞ」と。
神はモーセに青銅で蛇の像をつくり、それを長い棒の先に付けるようにいわれました。蛇にかまれたものがそれを見ると、死なないで済んだのです。

この青銅の蛇こそは、十字架の上のイエスと同じです。見上げると、または見つめると、救われることになります。

ところで、十字架は特別なシーンを物語っています。イエスの最後です。
イエスの十字架の横で、二人の犯罪者が同じように十字架にかけられていました。
ひとりはイエスに向かって冒涜の言葉をはきました。「おまえはメシア(救世主)ではなかったのか。自分とおれたちを救ってみろ」。

キリストは神の子であったのに、なぜ自分を助けなかったのかということを言う人は多くいます。どうしてそうしなかったのかというと、それは十字架にかかって死ぬということは、神の(世の人への)慈しみが、もっとも明らかに示されるからです。神の愛が一方的なものではないものを示しています。すべてを捧げたときに、神の愛と力が示されます。

だから復活して、ご自分の手や脇の傷を弟子たちに見せながら、イエスはさまは「これが私だよ」とおっしゃったのです。かつて復活という言葉は、過ぎ越しという言葉から生まれました。新しい命への過ぎ越しです。

鳥が一つの大陸から別の土地へ海を渡るように、人は絶望的で、何も救いがないこの世から、キリストの船に乗って、向こうへ渡り救いがある。そういう意味が、キリストの十字架のなかにあります。

もうひとりの犯罪人は十字架のうえで、イエス様に対して自分の罪を認め、イエス様に向かって祈ります。「天の御国が実現したときは、どうかわたしを思い出して下さい」と述べます。イエス様は「あなたによくいっておく。あなたは今日、私とともに楽園にいる」と答えられました。

きょうはキリストの十字架に感謝し、賞賛する日です。かの犯罪人と同じように、イエス様に向かって祈りましょう。「イエス様、どうか私たちを思い出してください」


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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