お 説 教 集

 

2008年11月30 日  

わたしたちは主イエス・キリストの現れを待ち望んでいる


ロワゼル神父様


もしここにイエス様がいらっしゃれば、
私たちはちゃんと歓迎するような気持ち、態度でいると思います。

そして、ここにイエス様がいるのであれば、
この場所は、この聖堂はどんな場所だといえるでしょうか。

それには次のことを考える必要があります。
私たちに必要なのは誰でしょうか。
喜ばしいこととは何でしょうか、
心を満たしてくださる方は誰でしょうか。

このように考えると、
イエス様が私たち一人一人のなかにいらっしゃることがわかりますし、
それを毎日、歓迎したらいいんじゃないかと思います。
また、教会の集まりのなかにも
イエス様がいらっしゃることにも大きな喜びを感じたらいいと思います。

そのためには、聖書でいわれているように、
こころの"目を覚まして"いなければなりません。
私たちに与えられている喜びを見つける、または見つめる。
自覚するということではないでしょうか。

私たちはお互いに、大きな宝を持っています。
同じようにイエス様をもっています。
だから性格の違いなどで、あの方が教会に来ているから
私は行かないなどということは、とんでもないことなんです。

やはり一人一人のなかで神が存在している、
みんなが神の子である。そういうふうにお互いを見つめるんです。
そこで、"目を覚まして"いることが、また必要になります。

イエス様がいるのだから、
もしうれしいことがあっても、つらいこと苦しいことがあったとしても、
私たちは希望をもち続けなくてはなりません。
また希望を持ち続けることが出来ます。

この世界は天国ではありません。
それは電車の中にいるかのようです。
ちょっと例えがへんかも知れませんが。

この前電車にのったら、
私みたいな年寄りのための席が用意されているのですが、
一人の若い男性が、恰幅のいい方がどでんと座っていました。

この人何を考えているのか、と私は思ったのですが、
結局、その人は眠っていたのです。
私は図々しいですから、「ちょっとごめんなさい」と言って、
どいてもらって、座ったんですけど。

へんな例えかも知れませんが、
私たちの社会のなかには、眠っている人が多いように思われます。
私たち自身も、神に対して喜びをもっているか、
希望をもっているか、つまり目を覚ましているかを自問しなくてはいけません。

この前、188人の列福式がありました。
インターネットで実況中継があったみたいですけど、
その方たちが何を私たちに残したのかということです。

ただ、殉教して天国へ行ったということではなく、
その方たちは希望をもって、どんなつらいことがあっても、
イエス様の前に自分を捨てて捧げました。
そこに喜びや希望があったということです。

私たちもこの待降節の間に、ゆるしを求めて、
心をあらためるように、積極性を持ちたいと思います。

ある人が罪を犯したとしたら、それは自分でも楽しくはないです。
でも、その罪を思い出していてばかりでは、何も変りません。
その罪を犯したとしても、私たちはゆるされているということを、
自覚していなければなりません。

ついでにいいますが共同回心式は、ミサと別にしたいと思います。
12月19日の土曜日、夜7時にします。
ミサのなかでやると、長くなってしまいますから。

私たちがゆるしを考えるとき、
自分だけの力でやるものではありません。
さきほどのイザヤ書のなかで、いい言葉がありました。

「しかし、主よ、あなたはわれらの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工、わたしたちは皆、あなたの御手の業。」(イザヤ書64章7節)

このような気持ちが大切です。
私たちは神によってかたちどられていて、命を与えられているのです。
回心、新しい自分とは、自分の力で出来るものではなく、
神が力を与えて下さり、新しく創って下さるものなのです。

入門式に来ているみなさんも、
そのような気持ちでいらっしゃると思います。

キリストの教えにより新しい自分を得るということは、
自分でただ勉強するのではなく、
どのような変化を自分が受け入れることが出来るのか、
ということでもあるのです。

ただ勉強をたくさんすれば良いというものでもありません。
神の恵みを受けることが出来るように、
目を覚ましていられるのか、といってもよいかと思います。


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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