お 説 教 集

2010年11月21日  


ロワゼル神父様


王であるキリストの大祝日

神の国は楽園です。


いま、洗礼を準備している方々のためにカトリック教理を教えています。この秋の間、何回かにかけて、主の祈りの意味について、いろいろな説明をしました。そして、「み国が来ますように」との祈りが大変大事と思って、聖書のいろいろな箇所を紹介して、じっくりと一緒に考えました。

ところが、神のみ国というものはそんなに難しく考える必要があるか、と今になって思っています。神の国は、きょうの福音の箇所が、見事に、そして簡単に、どんなものだかを伝えています。イエスが他の二人の罪人とともに十字架にかけられたとき、一人の罪人がイエスに向かって言いました。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
するとイエスさまは、隣であわれみを請う罪人におっしゃったのです。
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
じつに、イエスさまはこう約束なさいました。

そうなのです。神の国は「楽園」ですね。イエスさまはそういわれています。神の国とはそんな簡単に説明できるのですね。洗礼の準備をなさっている方に、神の国について、長い時間をかけて説明したことは申し訳ないですね。神に国は「楽園」だよ、というだけで、すぐ、みなさんが納得なさったかも知れません。そして、楽園に向かう人生という素晴らしい旅路を、恐れることなく疑うことなく、信じる仲間で一緒に、よろこびをもって、歩んでいこう、と励ますだけで、良かったかも知れませんね。

では楽園とはどんなところでしょうか。それも考える必要があるかも知れませんね。きょうは、王であるキリストのお祝いです。教会暦の最後の日曜日だから、ここで、イエスの勝利をお祝いするのは、当然です。

きょうの叙唱には、王であるキリストの国を、真理と生命の国、聖性と恩恵の国、正義の愛と平和の国と歌います。これこそ、楽園です。ただ、こういう国を、私たちは見たことはありませんから、私たちの想像力を超えるのです。

しかし、それは神さまがはじめから、人類と被造物のために造られた状況です。神の親しさと慈しみ、人間同士の円満な関係、暗闇、苦しみ、孤独、病気と死さえもない世界です。それこそ、わたしたちが、こころから望んでいる世界です。

ところが、イエス様は、私たちを楽園につれてくださるために、大変なことをなさいました。今日、のお祝いの日に思い出すべきことです。先ほど、今日のお祝いがイエスの勝利の祭日と申しましたが、イエスの勝利は力によるものではなく、弱さによるものでした。これも、なかなか理解しにくいかも知れませんね。実際、イエスの弟子たちも、当時の宗教家の人たちも、またほとんどの人たちが理解できませんでした。

これらの人たちは、イエス様がメシアであると思いましたが、そのメシアと言うのは、人間を救う力を持っている人と考えていました。だから、たとえば、あのローマの独裁者を倒して、全世界を治め、うわべだけの平和をもたらすような救い主を望んでいました。十字架のもとにいる議員、兵隊たち、そして、イエスのそばに十字架にかけられていた一人の犯罪人は言いました。
「あなたはメシア、救い主なら、そこから降りてみせろ」

イエスの勝利は力によるものではありません。力ではなく、人類のために自分自身を捧げ、十字架の上にへりくだって、死を経験するまで私たちにその愛を示した、そういう勝利です。

しかし、なぜそれは必要だったのでしょうか。実は、私たちが死の世界を作ってしまい、そのなかに生きているからです。このままでは、決して救いは訪れません。私たちの滅びの深みまで、神(キリスト)が、愛をもって、その手を伸ばしてやらなければ、どうにもならないのです。

イエスを見ていた犯罪人の二人がまったく違った態度をとりましたが、これを紹介したのは、ルカの福音書だけです。ルカはこれを通して私たちに何を伝えたかったのでしょうか。

いま、わたしもキリストの十字架をながめながら、どんな立場を取るかを求められています。「救い」というものが、この世を征服することによって実現するのか、または、友のために命をすてるほどの愛を通してあらわれるのか。どちらの「救い」を取るのかと、選択を迫られています。

でも、みなさん安心して下さい。イエスさまはちゃんと、私たちにメッセージを残しています。「大丈夫ですよ。わたしを信じてよ。楽園につれて行ってあげたいよ。」というメッセージをね。




(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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