お 説 教 集

2010年11月28日  


ロワゼル神父様

待降節の第一の主日


用意するのは何でしょう

今日から待降節です。一年間で一番喜ばしい時ですね。わたしは子どもの時、この待降節を、いつも特別な気持ちで生きていました。子供だったわたしは、待降節のはじめに近くの森に行き、今年飾るもみの木を探します。そして、きれいで丈夫な木を見つけると、家に帰り「ねえ、お父さん、あそこにあるもみの木を切ってもいい」と聞きます。父はいつも「好きなようにやりなさい」といってくれました。父からオーケーをえると、わたしはソリを引いて行き、きれいなもみの木を斧で切り、雪の上を、家までソリで運びました。

今の教会の子どもたちはクリスマス劇などをして、楽しくイエスさまの生まれたときのお芝居などをしますが、私の住んでいたところは、とても田舎でしたので、近隣にそんなに人がいませんでした。ですから、わたしたちのしたことといえば、クリスマスツリーを兄弟といっしょに飾り、その下に小さい、イエスの馬小屋を置くぐらいのものでした。でも、それだけでも十分に楽しく、イエスの到来をわくわくしながら待っていました。

そんな私たちを見て母は、「よく出来ましたね。きれいですね」と、いつもわたしたちをほめてくれました。「でも、イエス様を待っている間、こころもきれいにしましょうね」とよく言っていました。

また「クリスマスまで、喧嘩はだめです。そして、教会の大きな馬小屋のイエス様の前に献金箱があるでしょう。お父さんからもらうお小遣いから、お菓子を買うのを我慢して、どのぐらいイエス様に上げたらよいか、よく考えてください」ともいっていました。

さあ、みなさん、こころを合わせて、力を合わせて、2010年のクリスマスを準備いたしましょう。きょう、イエスさまは「用意しなさい。目覚めなさい」と強くわたしたちを励ましてくださいます。毎年くるクリスマスですけれども、私たち一人ひとり、今年が最後のクリスマスにならないとは、だれも言えません。

わたしたちは、ただただ神のみ旨によってのみ、この日を迎えることができるのです。このすばらしい救い主の誕生の日を準備できること自体が、大きな恵みなのです。暗い世界が、救い主が輝き出るのを待っています。クリスマスが本当に輝くクリスマスとなるように、今年は特別に心を込めて、救い主、神の子の日を一緒に準備いたしましょう。

クリスマスの準備はたのしい。それは教会の本質でもあります。子どもの頃は、この時期にわくわくして準備をしていたのです。それは大人になっても同じ。むしろ大人のほうがその本質を知って、いっそう深くわくわくするべきでしょう。救い主イエス・キリストを迎えること以上にわくわくすることがこの世にあるでしょうか。

きょうの、このミサのテーマは「用意するのは何でしょう」です。みなさんはどう思いますか。どんな用意をしたら良いのでしょうか。12月の間、クリスマスとお正月の用意があり、大変忙しいです。また、デパートにいって、どんなプレゼントを買おうか。好きな人に何を買ってあげようかと、色々と考えます。それは悪くありませんが、私たちがイエスを迎える準備となると、こうしたこととは少し違います。

きょうから、祭壇の前にアドベント・クラウンのろうそくが置いてあります。一本のロウソクに奉仕者が火をつけました。イエスを迎える希望の火です。毎週一本ずつ火を増やしていき、この期間はスペシャルだということをあらわしています。

だから、待降節のあいだ、わたしたちは周囲をますます明くるしましょうと、教会は言っていますね。これは、待降節のスペシャルです。「あなたがたは世の光」とイエスは言われましたが、先ず、周りの人をちょっと温めて輝かせてあげませんか。これがクリスマスを迎えるための一つの準備です。

待降節はほんのひと月ですから、何かを決心するにもいい機会ですよ。禁煙なんていいんじゃないですか。絶対その期間、子どもを叱らないとか。その期間、毎晩夫婦で必ず祈るとか。一年間というと、きついなと思うことでも、ひと月なら頑張ってやってみようとなるのではないでしょうか。イエスを迎える、いい準備でしょう。

各家庭で、かわいいらしい工夫をして、当日「ああ、今年のクリスマスは、イエスさまが本当に来てくださった」、そう思えるような、ささやかなチャレンジをひと月間やってみるというのはどうでしょう。

クリスマスの季節は、たしかに恵みの季節だと思います。例えば、はじめてクリスマス・イブのミサに来た人たちが、教会の皆さんに温かく歓迎され、そのきっかけで、洗礼まで進んだという話を時々聞かれます。

かれらは、自分を無条件に迎え入れてくれるところなんてこの世にあるものかと、きっとこころの底ではそう思って、自分の思いだけを抱きしめてこの暗い世の中を精一杯歩いてきたのでしょう。

しかし、たたえば、赤堤教会のクリスマスのミサにたどり着き、「神さまが私たちを迎え入れてくれている」ということを体験して、その方の人生はまったく変わってしまいます。

今度のクリスマスの夜、わたしが手を高く上げて、入堂する幼子イエスは、こうして両手を大きく開いています。その手はあなたを迎えているのです。「私のところにおいで、もう大丈夫」と。今年のクリスマスがそのようなクリスマスとなって、大勢の人が救いのよろこびにあずかれるように、よい準備をいたしましょう。一人ひとりが赤堤教会を代表するともし火となって。

ことしのクリスマスは、去年にも増して素晴らしいことがたくさん起こりそうな予感がしませんか。12月24日まであとひと月。辛いこと、厳しいことの多いこの世界で、小さな奇跡を皆さんで起こしましょう。24日の夜が楽しみです。その日初めてこの教会の門をくぐる人はたしかに来ます。暖かく声をかけて小さなともし火をともすのは、皆さんです。




(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

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