2010年12月19日
ロワゼル神父様
待降節第4主日
神が私たちのなかにいる
少し海外のことに関心がある人なら耳にしたことがある言葉、そのひとつがインマヌエルです。映画、書籍などに登場します。どういう意味かというと、福音書にあるとおりです。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
(マタイによる福音書第1章)
ひとことでは、キリストのことですが、インマヌエルは、神によって人類に伝えられたメッセージでもあります。神が、私は世の終りまで、ともにいますということ。
イエズスが世にお生まれになったことで、神は、人とともにおられる神になられた。だから、世の終りまで私たちとともにいて下さる。これほど力強い励ましが、他にあるでしょうか。
インマヌエルという言葉が登場するマタイの福音書のなかでは、神が私たちとともにいて下さるということが、ひとつのテーマとなって、繰り返されているようです。たとえば次の箇所もそうです。
「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
(マタイ18:19−20)
毎日曜日の主日のミサで、私たちはただここにいるだけではなく、このなかにキリストが存在しています。このマタイの教えにあるとおりです。さらに、聖体拝領も同じですね。キリストのからだをいただくのですから、神とともにいることの体験です。
しかし、神の御旨にしたがうことを考えた場合、これだけでは不十分です。神がともにいて下さるだけではなく、わたしたちが神と出会いにいくことが大切。それには次のことを理解することが必要かも知れません。
「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」(マタイ25:40)
「もっとも貧しい人との出会いの中にキリストとの出会いがある」(マザーテレサの言葉)
(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)
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