お 説 教 集

2011年3月20日  


ロワゼル神父様

イエスのメッセージを聞きましょう

今回の震災について、多くの方からメールや手紙、電話をいただきました。そして、何回も聞いたこと、また書かれていたことですが、それは「祈ります」という言葉でした。

「祈り」は本当に特別な行いです。
山をこえ、海をわたり、どこでも、そして誰でもできることです。
人間の心の中にある共通なものとも関係があります。
人の気持ちを考えて、その人を兄弟や姉妹と思うと、その人のために祈る。そういうものです。

祈ることを私たちに教えて下さったのは、キリストです。
聖書には、キリストの弟子たちが祈るシーンというのはあまり登場しません。どう祈ればいいのか知らなかったのです。
祈るためには恵みが必要です。考えてもみて下さい。私たちの住む町から、教会やお寺がなくなってしまったら、それはどんなに寂しい世界になるでしょうか。人間のかかわりが消えてしまったようになるでしょう。祈りが、恵みであることが分かるでしょう。

震災に際して、祈ることのほかに、もう一つできることがあります。
それは神とつながっていることです。
キリストは世の中の煩わしいところから離れ、山の上などにこもることがありました。
イエスは祈りの中で、悟ったようです。ルカの福音書ではよく描かれています。

父なる神のもとで生きることを、悟る。
神の御旨、自分の使命と運命を悟ったのです。
しかし、それを弟子たちにどう伝えればよいのか、おそらくイエスも苦悩されたのではないでしょうか。そんなときに、ナザレから続く行程で変容の山「タボル山」にのぼったときに、次の出来事がありました。

『ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた』(マタイ17:5)

答えは、まさに神の栄光のなかにあったといえます。

しかし、福音の道は平たんではありませんでした。
イエスが使命を果たすために伝えたメッセージ。
それは、このままでは天国にいけない。神の栄光に永遠にあずかることができないということを人間に知らせること。そして、行なったことは、人のために、自分の命をささげることでした。

弟子たちは、やがて囚われになるかもしれないのに、危険をかえりみず、福音の道を進むイエスの姿に、毎日一緒にいて、神を見ていたかも知れません。いいかえれば、イエスの姿に希望を見たからこそ、その姿のなかに、神の栄光をも見た、ということです。

イエスの大切なメッセージのひとつは、神の御旨に従って生き、互いに支えあって生きることです。そして、さらに人のために、友のために命を捧げることの重要さを説いたと思います。こうした善い行いをした私たちが、神の栄光にあずかり、復活するのです。たしかに私たちは、復活にあずかることを約束されていますが、そのためにこそ行いが大切なのです。
心静かに、イエスのメッセージに耳を傾けて下さい。


(文章については、特別に神父様からHP掲載の許可をいただいておりますが、テープおこしの段階などで、管理人の判断により修正を加えております。お説教録音テープの聴取が困難なときなど、文の省略もありますので、あらかじめご了承下さい)

お説教集トップへ戻る

連絡先・地図を見る



 
ミサの時間をみる(Time of Mass)
Copyright 2006 All right reserved by Catholic Akatsutsumi Church