藤沢頼親(ふじさわ・よりちか) ?〜?

信濃国の国人領主。信濃国伊那郡福与城(別称:箕輪城)主。信濃守護・小笠原長時の妹を妻とした。
天文11年(1542)9月、武田信玄領である信濃国諏訪郡の東域の併呑を目論む伊那郡高遠城主・高遠頼継に与して武田氏に敵対したが、逆に高遠氏が諏訪郡を武田氏に奪われるとその攻撃を受けて居城の福与城を攻囲され、同月末に降伏して許された。
しかし諏訪奪還を窺う高遠氏に再び同調して武田氏に叛いたため、天文13年(1544)10月より武田軍の攻撃を受けることになったが、高遠氏や妻の兄・小笠原長時の援軍を得て、武田軍を撤退させている(福与城の戦い)。
翌天文14年(1545)4月に武田氏との抗争に敗れて(高遠城の戦い)高遠城を逐われた高遠頼継を福与城に迎え、再び侵攻してきた武田軍に対して伊那郡の土豪や小笠原長時の支援を得て抵抗したが、6月1日に支城の龍ヶ崎城が陥落させられると(龍ヶ崎城の戦い)、抗しきれずに降伏勧告を容れて6月11日に弟・権次郎を人質として提出、再度の降伏開城をした(福与城の戦い:その2)。