武田家臣。加藤信邦の子。通称を弥五郎・伝右衛門尉。永禄4年(1561)9月の川中島の合戦:第4回で初鹿野忠次が戦死すると、初鹿野の武名を惜しんだ武田信玄は、弥五郎を養子に入れて名跡を継がせた。のち伝右衛門と名を改め、信玄・勝頼に従って諸戦に活躍した。信玄の代には使番十二人衆、勝頼の代には足軽大将、侍大将となった。武田家滅亡後は徳川家康に仕えて小牧・長久手の合戦や小田原征伐、大坂の陣で活躍した。寛永元年(1624)、80歳で病死した。